EOS10D日記その37 ---ksmt.com---10D日誌---ご意見、ご感想などこちらまで---掲示板---email: ---


2009.12.37 易入門(24) 正午

午(うま)は午前11時から午後1時のことを指します。24時間を十二支で表すわしますので、各干支は2時間すね。お昼12時は午の刻の真ん中、まさしく午の刻という意味で「正午」と言うのだそうです。これより前が「午前」で、これより後が「午後」。来年は寅年ですから、時刻でいうと午前3時から午前5時です。


2009.12.36 易入門(23) 子午線

子午線は同一経度の点、すなわち真北と真南を結んだ経線のことです。子が北の方角を指し、午が南の方角を指すことから子午線と呼ばれます。同様に同じ緯度の点、すなわち緯線のことを卯酉線(ぼうゆうせん)を呼ぶそうですが、こちらは一般的ではなく、私も初めて聞きました。


2009.12.35 易入門(22) 乾(いぬい)、巽(たつみ)

乾(いぬい)さんや、巽(たつみ)さんという苗字があります。明らかに易と関係ありますが、(けん)や(そん)とは読みません。これは方位と関係があります。

東洋の方位を見て頂けば分かるのですが、乾(けん)すなわち西北の方向は干支でいうと戌(いぬ)亥(い)の方向を同じであることから(いぬい)と呼ぶのだそうです。巽(そん)すなわち南東の方向は干支でいうと辰(たつ)巳(み)の方向であることから(たつみ)と呼ぶそうです。

同様に艮(ごん、東北)は丑寅(うしとら)、坤(こん、西南)は未申(ひつじさる)と呼ばれます。昔話に登場する動物に兎、犬、蛇、猿、鳥(キジ)などが多いのは、かれらが十二支を表したり、易の卦を表したり、五行思想(木、火、土、金、水)を表たりしているからだそうです。


2009.12.34 易入門(21) 大海人皇子

「古事記の暗号」(藤村由加著、新潮社)の冒頭から引用させて頂きます。古事記編纂の時代背景が明快に描かれています。

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大海人皇子(後の天武天皇)は吉野の宮にいた。奥深い山の中で、人の声は山の空気に吸い込まれてしまいそうだが、風だけは自由に吹き抜け、梢の先をざわつかせていた。
彼の心の中には兄、天智に対する悲しみに似た憤慨が渦巻いていた。大化改新で蘇我一族を屠り、律令国家を理想とし、共に夢を描いたこともあった。その兄は今でも百済への肩入れに固執し、応援に出かけた白村江の戦いも予想通りに負けてしまった。大陸からの侵攻に怯え、民衆の怨嗟の声に追われるように急遽、都を大和から大津に遷す。その危急存亡の時に、百済から逃げてきた亡命宮人と、夜ごとに酒宴をはり、これこそが先進文化だ、はては大陸への反攻だなどとから騒ぎしている。
もう百済は新羅に滅ぼされてしまったのだ。もはや百済、百済と言っている時代ではない。
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兄・天智天皇は、大陸の文化、すなわち易経、をそのまま取り入れ、百済と組んで中華圏の先進国に躍り出ようとしました。これに対し、弟・天武天皇は、大陸や朝鮮半島とは距離を置いて、日本独自の安定した政治体制を固めるべきだと考えたようです。日本は日本固有の神々が作った国であり、、天武天皇はその神々の正当な後継者であることを世に示す必要があったのだと思います。易経をそのまま使うことは大陸に追従することであり、絶対に避けなければなりませんでした。そのために古事記が編纂されたようです。

しかし当時は、易経が東アジア地域の最先端の文明であり科学であったわけですから、支配階級の頭の中には易経しかありません。従って、できあがった神々の物語は易経の強い影響を受けているようです。

古事記は日本が大陸や朝鮮半島から独立した国家になるための、一種の独立宣言だったのかもしれません。後の時代に、朝鮮から撤兵し、朝鮮との友好関係を維持することによって長く日本に君臨した徳川家は、天武天皇の政治手法に習ったのかもしれません。

いずれにしろ、大海人皇子=天武天皇の目論見は見事に成功し、世界でも類を見ないほど効率の良い長期安定王朝となりました。長い日本の歴史の中で天皇家に代わる王朝を開こうとしたのは足利義満ただひとりであるが、足利義満でさえ誰にも相手にされなかった、との説もあります。1300年以上にわたり、脅かされることすらなかった王家というのは、驚異的です。


2009.12.33 Enna Sockel mount (2)

先日、「Supe-Lithagon 1.9/35mmはSockel Exaktaヘリコイド専用である。Sockel M42ヘリコイドに取り付けるとわずかに無限遠が出ない。」 という仮説をたてたのですが、これは間違いのようです。M42ヘリコイドとExaktaヘリコイドは互換性があり、Sockelマウントのレンズならどうちらのヘリコイドでも当然無限遠が来るそうです。まあ、そうじゃないとSockelマウントの意味がないですね。何か別の仮説を考えなければいけないようです。


2009.12.32 易入門(20) 三柱の神

昨日は古事記の序文でしたが、古事記の本文の冒頭にも、次のように書かれているようです。「古事記の暗号」(藤村由加著、新潮社)から引用します。

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「天地初めて発けし時、高天の原に成れる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)。次に神産巣日神(かみむすひのかみ)。此の三柱の神は、並独神となり坐して、身を隠したまひき」

神代の冒頭に登場する神々である。これまでも根源的な神ではないかと解釈されてきたが、私たちにはここにきて初めてはっきりとした姿を現したように思えたのだった。
天之御中主神、御をとると天之中になるが、「天中」という漢語があり。天の中央、空の中心、大空の意がある。古事記の高天原の中心というより、もっと宇宙的な意味で中心の神だというのだ。易ではそれは万物のすべての大もと、太極にあたる。
そこから生まれるのが陽と陰の神々である。つまり、高御産巣日神は陽、神産巣日神が陰ということだ。最初に太極、陽、陰と万物を構築していいてくのになくてはならぬ神々が出現したのである。
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古事記では宇宙の起源から説明をはじめているようです。まず最初に太極(混沌、混元)から陽と陰の神が生まれ、これらから万物が生まれたのだが、その後これら三柱の神自体は身を隠してしまったと。現代の宇宙物理学者はひょっとしたら、易経あるいは古事記からヒントを得たのかもしれません。ビッグバン(太極)からクォーク(陰陽)が生まれ、そこから全ての物質が生まれたが、その後クオーク自体はしばらく姿を隠していた。それをやっと見つけ出したぞ、と言っているのかもしれません。


2009.12.31 易入門(19) 天武天皇・古事記

「古事記の暗号」(藤村由加著、新潮社)を以前読んだ時には良く意味が分からなかったのですが、とにかく易経を学ばないと日本の古代史は分からないんだなぁ、ということだけは良く分かりました。少し易を学んだ後でこの本を読み返してみると、だいぶ意味が分かるようになりました。この本から少し引用させて頂きます。

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「・・・混元既に凝(こ)りて・・・乾坤(けんこん)初めて分れて・・・陰陽斯(ここ)に開け・・・」
「・・・二気の正しきに乗り、五行の序(ついで)を斎(ととの)へ・・・」
何と古事記の冒頭に易経の基本哲理が堂々と述べられている。何度も目にしたことのある序文であったが、易のことを知らない時には気づきもしなかった。
私たちには衝撃的な瞬間だった。
「二気の正しきに乗り、五行の序(ついで)を斎(ととの)へ」という文は、天武天皇のことを賞賛している箇所である。このことは天武自身が易の思想の体現者だったことを示している。天武紀にも天武が天文と遁甲(一種の占星術)に秀でていたとあり、初めて占星台を建てたことも記されている。彼が卜筮(ぼくぜい)、天文、暦、時刻をつかさどる陰陽寮(おんようのつかさ)を創設したのもこの時代だった。
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天武天皇の権威を確立するために古事記が編纂されたが、その権威のよりどころは易経であった、と言えるようです。


2009.12.30 易入門(18) 家相学、四柱推命

家相学と四柱推命と易経の関係が知りたくて、少し本を読んでみました。やはり、易経に基づき宅卦を推し進めたものが家相学、本命卦を推し進めたものが四柱推命のようです。家相学は主に方角と暦を元にいつどのような家を建てるのが良いかを論じ、四柱推命は主に生年月日を元に運勢を論じるようです。

まあ、これらは明らかにカウンセリング・サービスまたはコンサルティングでありますから、相談に来られた方の現状を分析し、納得できる説明を行い、自信を持って決断をして頂くのが目的であるわけです。従って、易経、家相学、四柱推命などはカウンセラーまたはコンサルタントを養成するためのアニュアルであると言えます。

たとえば、デベロッパーが建売住宅を開発する時には、まだ買い手が決まっていないわけですから、本命卦や四柱推命を使うことはできず、宅卦または家相学のみを使うのが現実的だと思われます。投資目的で住宅を買う場合なども同じです。プロ用のツールと言えるかもしえません。

たとえば、結婚相談の場合には、四柱推命を使うのが現実的だと思います。個人向けのツールと言えるかもしれません。住む家の話は、結婚が決まった後でも差し支えありませんので。

まあ、人に何かをアドバイスするとき、何らかの根拠が必要になります。現代では法律と科学が明確な根拠を与えるのですが、それだけで全てをカバーできないことも確かです。まして、法律も科学もない時代においては易経を根拠にせざるを得なかったのだと思います。


2008.12.29 Enna Sockel mount

CamerapediaのM42マウントのEnnaの項目を見ると、Sockel mountには二世代あるようです。それぞれの世代に次のようなレンズがリストアップされています。1.9/35mmはリストに入っておらず、レアなレンズであることが分かります。「クラシックカメラ専科 No.38 プラクチカマウント」(朝日ソノラマ)にも1.9/35mmは記載されていません。Vade mecumにも記載されていません。

一方、Enna Exakta Lensesの方にはちゃんと出ています。もしかしたら、Super-Lithagon 1.9/35mmはExakta Sockelヘリコイド専用だったのかもしれません。実は、お借りしたSuper-Lithagon 1.9/35mmを、マウントアダプタ経由でEOS 5Dに取り付けると、無限遠が出ていなかったので不思議だったのです。これは、EOS 5Dの場合には大変好都合です。もし無限遠までレンズを引っ込めると、ミラーに当たるので、非常に困るのです。

Exakta Sockelヘリコイドを入手してテストすればはっきりするのですが、とりあえずは結果オーライですので、次のような仮説を提唱するにとどめます。(2009.12.33でこの仮説は否定されました)

「Supe-Lithagon 1.9/35mmはSockel Exaktaヘリコイド専用である。Sockel M42ヘリコイドに取り付けるとわずかに無限遠が出ない。これが結果的にEOS 5Dなどのミラーの大きな一眼レフでの安全な使用を可能にしている。」(2009.12.33でこの仮説は否定されました)

Vade mecumには、Sockelヘリコイドのカメラマウントには、Alpa, M42, Exakta, Miranda, Yashika, Nikon Fがあったと記載されています。私はM42しか見たことがありません。


2009.12.28 Enna Super-Lithagon 1.9/35mm

ENNA Munchen Super-Lithagon 1:1,9/35mm 3852xxx


ゾッケルマウントのエナ スーパーリサゴン 1.9/35mmをお借りしました。大口径の広角レンズです。ゾッケルマウントはヘリコイドのトラベルが長く、広角レンズはものすごく寄れます。


2009.12.27 易入門(17) 風水の本

風水鑑定に関する本はたくさん売られていますし、図書館などで借りることもできます。本命卦や宅卦の見方、方角の見方、暦の見方などが丁寧に解説されていますので、本を見ながら自分で学ぶことができます。ただし、鑑定にはいろいろな流派があるようですし、本には鑑定手法の一部分しか書くことができませんので、何冊か読んでみた方が良いと思います。近所の図書館でたまたま見つけて、参考にさせて頂いた本を紹介します。

- 「自分でできる風水鑑定完全マニュアル」(月読麗人著、柏書房) 宅卦と本命卦の全ての組み合わせについて詳しい鑑定結果が書かれています。宅卦と本命卦を調べて、該当するページを開けば鑑定ができるというシンプルな構成です。

- 「風水大全」(リリアン・トゥー著、小林祥晃監訳、東洋書林) 風水の歴史から近代的な応用方法まで風水利用者の立場で書かれた本です。写真や図版が多く、分かりやすいです。 ”自分のために風水を学ぶのは、役に立つし、おもしろいことであるが、人のためにその知識を使うとなると、まったく別である。” と書いてあったのが印象的でした。これは重要な忠告ですね。素人が他人の家の風水鑑定をしたりすると、もめごとが起こるだけですので、注意しましょう。


2009.12.26 易入門(16) 本命卦と宅卦の組み合わせ

本命卦と宅卦が導き出せれば、これらの組み合わせで縁起の良い間取りや、家具の配置などを知ることができます。優先度としては本命卦の方が高いようです。家の中心から見て、リビングや寝室などは吉の方角に置きます。しかし、全ての方角が吉の家はありません。すべて吉と凶の方角は半分ずつです。凶の方向に何を置くかは意見の分かれるところのようです。タンスは凶方向からの災いを遮り、トイレや浴室や台所などの水回りは災いを洗い流してくれると考える説もあります。トイレや浴室は凶方向に置いてはいけないとする説もあるようです。かまどのたき口の方向(現代ではガスコンロのつまみの向いている方向)も重要なのだそうです。

現在の住宅事情では簡単に間取りを変えるというわけにはいきません。しかし、風水では簡単にできる対策を用意しています。例えば、水回りや玄関や部屋をきれいに掃除したり、盛り塩をしたり、縁起の良い置物や絵を飾ったり、植物を置いたり、机やベッドの方向を変えたりすれば良いと教えています。ただし、何をどこに置くかはいろいろな説があります。これらは常識的に見ても良いことであり、自分のためにうまく使えば結構実質的な効果が得られるかもしれません。しかし、人に風水をすすめるのは、多分ものすごく嫌がられますので、やめたほうが良いと思います。


2009.12.25 易入門(15) 宅卦

宅卦(たくか・たくけ)は家の玄関の方向を基準に導き出される八卦の方角のことです。典型的な長方形の家を想定しています。玄関が西を向いている場合、震宅となります。震は東の意味ですから、玄関の向きと反対の方向が宅卦になるようです。玄関と反対方向に裏口が裏口があると考えて、裏口の方向を宅卦とすると書いてある本もあります。Webで宅卦を調べればたくさん出ていますので、玄関の方角が分かれば宅卦は簡単に導けます。

ただし、いくつかの注意点があるようです。
・マンションの場合には、マンション全体の玄関の方角が基準になるそうです。同じマンションに住んでいる人は、同じ宅卦であると思われます。
・方角は磁北を基準に考えます。北極点を基準とする北とはに比べて、磁北は東京で約6度54分西に傾いています。
・日本の気学、家相学では東西南北を30度と狭く考え、東北・東南・西北・西南を60度と広く考えるようですが、中国風水ではすべて45度のようです。
・玄関の向きと、玄関の位置とは異なるようです。コの字型の家では、南向きの玄関が家の北側にあるようなケースが考えられますが、このような特殊なケースをどう考えるのかは難しいようです。長方形の家が推薦されています。
・ちょうど西と西北の境目を向いていたらどうするのか、というのは特に記載がありません。できれば東西南北に沿って家を建てた方が良いと書かれています。


2009.12.24 易入門(14) 本命卦

本命卦(ほんめいか・ほんめいけ)の本命とは「生まれ年」のことであり、生まれ年を基準に導きだされた卦のことです。生まれ年から計算で求めることもできますが、Wen上に早見表がたくさん掲載されていますので、これを参考にした方が確実でしょう。要するに同じ年に生まれた人は同じ運勢を持っていると考えるわけです。ただし男女では卦が異なります。

一見簡単に見えますが、一年の始まりがいつか、つまり太陰暦か太陽暦か、は文献やWebによって微妙に異なります。ざっと見ただけでも、旧正月説(1月22日から2月19日の間で毎年変動する)、立春説(2月3日、4日前後)、小寒説(12月22日から1月7日の間で変動)、便宜上1月と2月生まれを前の年とする説、新暦説などがありました。新暦説が本当にあるとは考えにくいので、実際には小寒説なのだが毎年変わるのは面倒くさいので便宜上新暦の元旦としたのかもしれません。あるいは、小寒を起点にするのを当然と考え特に注釈をつけていないだけかもしれません。誕生日が12月末から2月初めの間の方は、自分に都合のよい説を採用されると良いと思います。

私の場合には本命卦は「乾」と出ましたので、どちらに向いて寝ればよいか、家具や電気製品をどの方角に置けばよいか、どのような縁起物をどの方角に置けばよいか、などが導かれます。1人暮らしの人の場合にはこれでおしまいです。しかし、同居家族がいる場合には、それぞれに本命卦が異なるわけですから少々複雑になります。この場合、その部屋の主な使用者の本命卦を考えるのだそうです。例えば台所は主に奥さんが使うわけですから、奥さんの本命卦に従うのが良いそうです。


2009.12.23 易入門(13) 素粒子論との類似性

易経は万物の根源は混沌すなわち太極であるとしています。太極-両儀(陰陽)-四象-八卦の順で宇宙が作られたと考えられています。これは現代の宇宙観や素粒子論に似ているように思います。既に四千年前の中国で素粒子の存在を予言していたと言えるかもしれません。ひょっとしたら、物理学者が易経にヒントを得て、素粒子論を作ったのかもしれません。易経を知った上で小林・増川理論などの素粒子論を読むと面白いかもしれませんね。(私はまだ読んでいませんが)

無謀ではありますが、次のような仮説をたててみたいと思います。

無極または太極 - ビッグバン以前の宇宙
陽 - トップクオークなどの正電荷を持つ素粒子
陰 - ボトムクオークなどの負電荷を持つ素粒子(反物質?)
四象 青竜朱雀白虎玄武 - 電子、陽子、中性子などの粒子
八卦 - 原子、分子、時間、空間
五行 - 木、火、土、金、水、人間と宇宙のかかわり

つまり、易経は物理学でもあったわけですね。


2009.12.22 易入門(12) 韓国の国旗

八卦の記号を見て思い出したのは韓国の国旗です。易を調べだすまであまり気にしたことはなかったのですが、どうやら易経を表しているようです。というか、易経以外の要素は一切混ざっていないといえます。その名も「太極旗」。中央の太極が万物の根源を表すそうです。図案の都合で八卦は4個しか書かれていませんが、大変縁起の良い国旗だと思います。易経を知る人には良く分かるが、そうでない人には分からない例ですね。近年の韓国経済の躍進は、ひょっとしたら太極旗のおかげかもしれません。


2009.12.21 易入門(11) 離(り)(南)、坎(かん)(北)

Wikipediaに適切な解説が出ているようですので、わざわざ本から引用する必要はないようです。離(り)(南)、坎(かん)(北)をご覧ください。

八卦には先天図後天図があり、八卦の順序が異なります。現代の地図とは逆で、南を上にして描かれているので注意が必要です。先天図は理想の宇宙を表し、主に陰宅すなわち墓を作る時に使われます。中国では祖先の墓の善し悪しが子孫の運不運を決めると信じられているので、墓を建てる場所を特に重視するそうです。後天図は大地を表し、陽宅すなわち生きている人の住む家の配置を決めるのに使われます。ですので、ここでは後天図のみを扱います。


2009.12.20 易入門(10) 兌(西)

兌(西)について、「風水大全」(リリアン・トゥー著、小林祥晃監訳、東洋書林)から引用します。

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兌(だ):喜悦
 陽爻ふたつの上に陰爻ひとつがのった形の卦。兌は喜び、楽しさ、末の娘を表す。兌はまた湖を表し、体では、喜びを表現する口を意味する。外から見ると弱そうだが、内面はしっかりしているさま。五行では金を表し、方位は西、数字は7。
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兌(だ)とういう漢字は現代の日本では「兌換」という言葉にしか使われないようです。なぜ交換ではなくて兌換なのかWebで調べてみたのですが分かりません。Wiktionaryの兌換の項目を見ると中国語でも同じ「兌換」ですので、中国語をそのまま使っているのだと思われます。そこでエキサイト辞書のデイリーコンサイス中日辞典で「兌」を調べてみると、”(他国の貨幣に)換える,両替する,(小切手などを)換金する” と書かれています。そのまんまですね。易との関係は不明です。


2009.12.19 易入門(9) 震(東)

まだ易の全貌が見えていないので、とりあえずいいかげんな仮説を立てて検証して行こうという段階です。ですので、思い違いが多いと思いますが、ご容赦ください。とりあえず、まだ出てきていない東、西、南、北の方位について書きたいと思います。「風水大全」(リリアン・トゥー著、小林祥晃監訳、東洋書林)の説明が分かりやすいので、この本から引用します。

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震(しん):奮起
 陽爻ひとつの上に陰爻ふたつがのった形の卦。長男、雷を表す。震はまた水底から姿を現し、嵐を起こしながら威風堂々と空へ昇ってゆく龍を表す。強い陽爻が陰爻ふたつを押し上げ、陰爻が道をゆずるさま。五行の要素は木、方位は東、数字は3。
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2009.12.18 易入門(8) 易経の歴史

4500年ほど前に伝説の皇帝伏義が3本の線からなる八つの卦を書いたと言われます。周の文王は六四卦を作り、そのひとつひとつに短い文句を添え、易経の土台を築いたといわれます。文王の息子である周公が作ったものが「周易」と呼ばれます。この頃から易経が占いに使われるようになりました。孔子が易経の研究を行い、「翼」と呼ばれる一連の解説書を書き、易経の世界を広げました。占いの魔術の書としての地位を確立した易経は秦の始皇帝が行った焚書坑儒でも燃やされなかったそうです。宋の時代には易経は人生哲学の書を考えられるようになりました。清の時代には再び魔術的な色彩を帯び、今日では高尚な占いの書とみなされているようです。(「風水大全」(リリアン・トゥー著、小林祥晃監訳、東洋書林)を参考にさせて頂きました。)

易経は哲学書になったり、占いの魔術の書になったりしたようですが、まあどっちでも似たようなものですね。私の仮説は、易経は土木建築工学書、および建築基準法、および農学書です。全然違う分野だとも言えますが、ほぼ同じだとも言えます。

もしあなたが戦国武将で、幸運にも天下を平定し、新しく都を建設するとします。その時に必要なのは、国家の基本的な哲学、行政庁舎建設および首都市街建設、軍事的防衛戦略、財政すなわち農業振興と地方徴税組織の構築、そして何より立派な世継ぎの育成すなわち子孫繁栄であります。あなたは将軍ですから何でも自由に決められるわけですが、これに反対する勢力もあります。反対勢力を抑えて政府を安定させるのには権威が必要です。権威とはすなわち、天皇から授かった官位であり(征夷大将軍とか太政大臣とか)、天皇家との血縁であり(源氏、平氏など)、そして易経であった、と推測します。これらの権威の中で易経は最も便利だっと思います。高名な占い師を買収して、自分に都合の良いお告げをさせれば良いわけですから。これもまた、私が今思いついた仮説です。

政権の権威を宗教に依存した西洋に比べて、権威を易経に置いた漢字文化圏の方が合理的だったのかもしれないなぁ、と思いました。

征夷大将軍とか太政大臣の説明を読んで、日本の歴史上天皇に代わって王朝を開こうとしたのが、室町幕府の第3代将軍・足利義満ただひとりというのははじめて知りました。天皇の権威が常に大きかったことを再認識しました。日本の武士による戦は、あくまでも天皇の臣下としての出世争いであったわけですね。


2009.12.17 易入門(7) 常識

我々の現代の常識は、平安時代の日本では通用しません。我々が学校で習った地理や、天文や、生物や、化学や、物理や、農業や、保健などの常識は最近のものです。我々が文章を書く時、それがいかなる文章であろうと、これらの常識を元に書くわけですから、平安時代の人が読んでも意味が分からないと思います。例えば地球儀も世界地図も見たことがない平安時代の人が今の新聞の国際面を読んでも、なんだかさっぱり分からないでしょう。同様に、平安時代の天文や生物や化学や物理や農業や保健の常識を知らずに平安時代の文章の意味は分からないと思われます。

平安時代の貴族の常識が何かというと、それは易・陰陽・五行ではなかったかと思い至ったわけです。最近読んだ古事記・日本書紀や源氏物語の本は、易・陰陽・五行に基づいて解説が試みられており、なかなか切れ味が鋭いのです。ところが、私に当時の常識がないために面白さが半減しており、これが悔しいわけです。

易は現代の科学と案外似ているところもあります。例えば、八卦六十四卦は二進数そのものであると言えます。1703年に朱熹の「伏羲六十四卦方位図」を入手したライプニッツは、これが自ら考案した二進法の計算術と同じであることに気付いたそうです。


2009.12.16 易入門(6) 風水師、八卦見

自分で易あるいは風水を学ぶことはそれほど難しいことではないようです。図書館に行けば本がたくさん見つかりますし、どの本も親切丁寧に解説されています。私は易や風水を全面的に信じているわけではないのですが、中国や日本の歴史を読むとき、どうしても避けて通れないのではないかと思い出したわけです。易は漢字文化圏の歴史や文学に重要な影響を与えていることだけは確かだと思います。

易や風水は、どうせ素人じゃ分からないので、専門の易者や八卦見や風水師(これらの違いは分かりません)にまかせておけばよい、かというとそんなことはないようです。ある程度知識がないと、良い風水師なのか、悪い風水師なのか、見分けがつきません。

「風水大全」(リリアン・トゥー著、小林祥晃監訳、東洋書林)から引用します。
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羅盤派であれ形態派であれ、風水術の多くは学ぶのもさほど難しくはない。またどんな訓練や職業でもそうだが、実際にやってみて上達するのも確かだ。そういう意味で、風水師や風水コンサルタントの提供するサービスは重要である。ところが最近は、風水の大リバイバルで、あまりにも多くの風水師が軒を連ねているため、誰が経験豊富で誰がへたなのか、素人には見分けがつきにくい。
私も風水を学ぶ過程で数多くの風水師と知り合い、相談に乗ってもらった。だがアドバイスを鵜呑みにすることはほとんどなく、自分なりに解釈してから実行に移すようにしている。いってみれば、私は私なりの風水で、すばらしい効果を上げているのである。だから風水というのは良い本や良い先生がいれば、自分でも学べるものだと私は信じている。
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2009.12.15 易入門(5) 巽、地戸

東南の方角を巽[そん]あるいは地戸または地門といいます。乾(西北)すなわち天門の反対方向で、天から地に吹く風が通る窓であると考えられているようです。「易・五行と源氏の世界」(吉野裕子著、人文書院)から引用します。
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(巽[そん]に関して)、要約すると、次の如くなろう。
・まず、天地間を自由に往来するのは風。
・天地とは、つまり根源の陰陽である。
・往来とはすなわち、交合である。
・根源の陰陽の交合により万物は繁殖する。
・「巽」は「風」
・「乾」「巽」は天門・地戸の関係にある。
・乾・巽の軸は、それ故、万物繁殖の因である
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易や風水の本を読んでいると子孫繁栄、すなわち家が代々栄えていくことに主眼がおかれています。元々は広大な未開の原野のどの位置に、どの方向に、どのような形の家または城を建てれば子孫が繁栄するかという、経験的土木建築工学であったと思われます。たとえば、直線的な川の傍より蛇行した川の畔の方が良いとされるのは洪水の被害を防ぐためだと思われます。直線道路の突き当たりが嫌われるのは外敵から逃げにくいためだと思われます。門と玄関が一直線に並ぶのが嫌われるのは、外敵の侵入が容易であるためだと思われます。トイレやカマドの位置は大昔の衛生状態を配慮して決められたものだと思われます。

あるいは、一種の建築基準法のようなものだったかもしれません。昔といえども、ある程度は村の建築を規制しないと社会生活上不便が生じたと思われます。法律が整備されていない時代には、建築規制の根拠を易に求めたのかもしれません。違反者には子孫が滅びるという厳しい罰が下されので、皆それを恐れて建築基準法を守ったのではないかと想像します。年金も健康保険も生活保護もない時代では、息子や娘の経済的成功なくしては老後を生きることはできなかったのだと思います。

現代では少子化が進み、国会議員の世襲が禁止され、川の上に道路が走り、一戸建てよりマンションが増え、地価が上がり、衛生状態が良くなり、鉄道網や道路網が発達し、風水を昔のまま適用することは困難になりました。そこで、風水師さんが独自の方法で古代の土木建築工学を今に伝えているのだと思います。


2009.12.14 易入門(4) 乾、天門

西北の方角を乾[けん]、あるいは天門と呼びます。「易・五行と源氏の世界」(吉野裕子著、人文書院)から引用します。
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「『乾』を天門とする。聖人は乾を画して天門とされた。ここは万霊、朝会して衆生成る処。その勢は高遠、陽気の基本数、三を重ねて三三が九、この数を陽徳の数とする。・・・・・天門は元気を闢(ひら)き、易は乾に始まる。」(「易緯乾坤さく度」より)
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2日前にかきましたように、
・乾  内外共につまっている。「有」の象
であるわけですから、漢字の三とも通じるようです。

乾[けん]は、五行では金、季節では晩秋から初冬、時刻では午後7時から午後11時、親族では父親・家長・老人、色は白、数字は6、をあらわすそうです。源氏物語の「乙女」巻では明石上が割り振られているそうです。

乾と坤が出てきましたので、「乾坤一擲」(けんこんいってき)という言葉を調べてみると、”さいころを投げて天(奇数)が出るか地(偶数)が出るか運命を賭ける”という意味だそうです。易との直接的な関係はないようです。


2009.12.13 易入門(3) 艮、再度鬼門

南西、すなわち坤[こん]が”母”または”人”または”地”を表すことが分かりましたので、もういちど北東、すなわち艮[ごん](鬼門)を考えてみたいと思います。

「易・五行と源氏の世界」(吉野裕子著、人文書院)から引用します。
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西南の「人門」に相対するものは、東北の「鬼門」である。陰陽五行では、人間の死んだものが「鬼」であって、「鬼則帰」という。要するに生者と死者を合わせたものが人間なのである。(中略)

「艮」(丑寅)を冥門とする。一陽二陰()、物は之、冥味に生じ、気は之、幽蔽に起こる。山は坤也・・・・・万霊の止る処にして冥門起つ。衆物『艮』に帰る。・・・・・・艮は静かなること冥暗の如く、その路を顕さず、故に鬼門という。」(「易緯乾坤さく度」より)

「艮」(丑寅)は、すべての境で、昨日と明日、昨年と今年、此世と彼世の境でもある。すべての境なので、これを現世で見れば代替わり、相続を意味する処となり、死者(鬼)と生者の境と執れば、ここは鬼の出入りする鬼門ともなる。
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艮は今の時刻で言うと、午前1時から午前5時頃にあたり、夜明け前にあたります。季節で言うと晩冬から初春のころ。古事記に登場する神様では国之常立尊(くにのとこたちのかみ)だそうです。神世七代の一番目の神ですが、姿を現さなかったといわれています。どうやら新しいことの始まる直前をあらわすようです。

源氏物語の「乙女」巻では、艮の役割は花散里と夕霧が配されていると「易・五行と源氏の世界」の中で吉野氏は書いておられます。艮の方角は、継ぎ目、後継者の方角であり、夕霧はよい後継者として太政大臣にまで昇進します。


2009.12.12 易入門(2) 人門

ある方角と、その反対の方角をセットで考えるようでして、東北(艮[ごん]、鬼門)の反対は南西(坤[こん]、人門、裏鬼門)です。日本では裏鬼門を守るため、京都の石清水八幡宮や江戸の増上寺が置かれています。易では南西(坤[こん])の方角では”母”、あるいは”人”の方角と考えられているようです。説卦伝では坤[こん]を次のように説いているそうです。

「坤為地、為母、為布、為釜・・・」 (坤が地であり、母であり、広くたいらで物を載せるという点では布であり、物を容れて成熟させるという点では釜である・・・) (高田・後藤訳「易経」岩波文庫)

「易緯乾坤さく度」では坤卦を次のように説いているそうです。

「『坤』の卦は(「乾」卦の天門に対し)『人門』とされる。此処に万物はうごめき、もろともに母性としての陰の養育を受ける。この卦の象は、この『坤』卦の働きに準えられ、その徳は厚く遠く、万霊を包容し、人倫を資有し、この人の法を用って、万門は地の利しい処に起こる。故に『坤』を人門とする。其徳は広く厚く、その本体は終始なく、無限である・・・・・坤は無徳を象り、下は上に従うものなので、順でよく承けるもの、とする。」

これらは、「易・五行と源氏の世界」(吉野裕子著、人文書院)からの引用です。吉野氏は、つぎのようにまとめておられます。

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以上を総合すると、『坤』はまず天の『乾』に対する地、父に対する母で、その本質は広く厚く、万物をよく載せ、かつ熟成させる。この意味で、坤を物にたとえれば、布とか釜である。あるいは坤は、乾の「天門に対する「人門」であって、万物はこの母としての「陰」の養いを受け、その作用はこの卦「」の象さながらである。坤の本性は万霊を包容し、人倫を扶翼し、万門の地のよろしい処にひらくので、これを人門とする。」(中略)
「坤」、即ち「地」は、本来、「無」で、それは「乾」、「天」の「有」に相対する。坤の本性はひたすら「無」で、それ故にこそ、与えられるものをよく受け入れ、それを化育する力が働く。
・坤  内側が欠けている。「無」の象
・乾  内外共につまっている。「有」の象
内側に詰まっている乾は、「有」そのもので、その溢れ出したものが自ずから「施与」となる。これに対し内が欠けている坤は、乾の施与を受容し、それを育成する。
これを国家に当てはめれば、君は乾、民は坤、したがって君はよく施すもので、施しが期待出来なければ君主をしての資格はない。
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ひょっとしたら、民主党の子供手当なんかは、易経に従って、「坤」すなわち「民」または「母」に施しをする、ということなのかもしれません。まさかそんなことはないかと思いますが。。。そういえば、鳩山首相が「平成維新」と言っている意味が分かりませんでした。維新にはrestoration、つまり王政復古という意味合いがあります。英字新聞でもrestorationと翻訳されています。明治時代に戻るのか、それとも平安時代に戻るのかと思っていたのですが、ひっとしたら、易経に戻ると言っているのかもしれません。民主党と鳩山首相には大いに期待していますが、維新という言葉はどうも好きになれません。「坂の上の雲」でも出てきましたが、明治時代には「ご一新」と呼んでおり、「明治維新」とは言わなかったようです。「平成一新」の方が良いと思うのですが。。。


2009.12.11 易入門(1) 鬼門

日本の歴史を調べだすと、どうしても易(易経、易学、風水など)の影響から逃れることはできないようです。もちろん中国や韓国の歴史にも大きな影響を及ぼしているようです。残念ながら私は易については全く無知です。いきなり易経を読むというわけにもいかないので、少しずつ易の世界に近づいていきたいと思います。東京にしろ、鎌倉ににしろ、京都にしろ、香港にしろ、台北にしろ、ソウルにしろ、町を歩くときに易を知っていれば、多少なりとも理解が深まるのではないかと思います。

まずは、割と有名な鬼門を考えてみたいと思います。鬼門は東北、丑寅、すなわち艮(ごん)の方角にあります。平安京の東北には鬼門を封じるため比叡山延暦寺が置かれ、江戸の東北に位置する上野には東叡山寛永寺が置かれました。鎌倉の場合には明王院がこれに相当するようです。

日本では便所などを鬼門に置くことを嫌う風習があるようですが、中国にはそのような風習はないそうです。(ただし、香港やシンガポールでは北東向きの玄関を嫌う風習があるそうです) これは風水が易経を元にしつつ、地域の特色や、時代や、衛生状態や、常識を加味して発展したためだと思われます。


2009.12.10 XPRES 4.5/7.25inの後側主点

簡単に改造して、三枚貼り合わせのXPRESの後側主点を調べました。

フードとか中間リングをかを適当につなげて、革を巻いて完成です。

後側主点はだいたい中玉の中心にあるようです。バックフォーカスは焦点距離の87%程度です。後玉を3枚貼り合わせにしたからといって、特に変ったことはないようです。


2009.12.9 XPRES 4.5/7.25inの構成図


後玉が3枚貼り合わせの典型的なROSS XPRESです。貼り合わせ面は不明ですので、Vade mecumの構成図を参考にして書きこみました。後玉がやたらと厚いです。

中玉と後玉のガラス部と金属部分は、わずかな面積で接着されています。金属部品を減らせる設計です。このレンズは多分1941年頃の製造ですので、第二次世界大戦の影響を受けているかもしれません。


外観は平凡です。


2009.12.8 RUO ACOMAR 4.5/18cmの構成図

RUOの話題が出たので、ACOMAR 4.5/18cmの構成図を作成しました。 直進ヘリコイドが付いていますので、木製のカメラについていたものと思われます。


普通のTessar型のレンズです。後玉の前面は平らです。全長が短いです。


直進ヘリコイドにするために、結構複雑な構造になっています。ヘリコイドといっても、真鍮のパイプに斜めの溝が三本切ってあるだけなのですが、結構スムーズに動きます。この時代はまだ精密なヘリコイドを使るのは難しかったようです。ヘリコイドの歴史を調べるのも、なかなか面白いかもしれませんね。


一番外にパイプにはまっすぐな溝が切ってあります。その内側に斜めの溝を切ったパイプが入っていて、これを回すことにより2本の溝の交点が移動します。ここにビスを打っておけば、レンズヘッドも一緒に移動するという仕組みです。


2009.12.7 謎のレンズメーカー(14) RUO Optik

RUO社は何だか良く分からないメーカーです。中将姫光学さんからRUO Kino f1.5/4.2cmに関する質問があったので、ちょっと調べてみたのですが、分かりませんでした。うちにもRUO ANASTIGMAT ACOMAR 1:4,5 F=18cm OPT-WERKE RUDERSDORF-BERLIN No 3438と刻印されたレンズがあるのですが、どれが会社名なのか、地名なのか、レンズ名なのかはっきりしません。イギリスでもあまり売られていなかったようで、Vade mecumの著者も良く分からなかったようです。多分、Rudersforf Optikを略してRUOなのではないかと書いてあります。Vade mecumからRUO Optikのレンズを引用します。

Iricentor f6.8 Dopp.-Anast. probably DAGOR type
Hekistar f3.5 triplet
Ruo Anastigmat f2/42mm for Askania
Objective f1.5, complex structure
Caleinar f1.5/50mm fitted to an 1917 Ernemann camera
Ruo Anastigmat f3.5/60mm on Sico camera
Ruo Kino f2.5/75mm for Eyemo
Acomar f4.5/18cm

結構明るいレンズをAskaniaとかEyemoなど、映画用に製造していたようです。しかし、うちにあるf4.5/:18cmは巨大なヘリコイドが付いていますので、木製のスチルカメラ用だったと思われます。


2009.12.6 ティッシュじゃなくてマスク

駅前でティッシュを配っているのかと思ったらマスクでした。ティッシュだと受け取らない人が多いのですが、マスクだとみんな受け取っていました。なかなか良いアイデアですね。ちなみに配っていたのはパチンコ屋さんでした。マスクがあればパチンコ屋で風邪をもらう心配はありませんよ、というような意味だと思います。


2009.12.5 Primoplan F1.5/50mm

中将姫光学さんがMeyer Primoplan f1.5/5cmという大変めずらしいレンズを持っておられます。Vade mecumに解説と構成図が出ていましたので、引用します。


左右反転していますので文字が変ですが、左のMey021図がF1.5, 右のMey022図がF1.9のPrimoplanの構成図だそうです。全く同じに見えます。

Primoplan f1.5 25mm, 50mm
This lens was for cine use only. 5-glass Mey021. (B.J.A. 1936, p316) It was only listed as 1in by 1938. (B.J.A. 1938, p568)

Primoplan f1.9
This was made as: 30, 50, 58, 75, 80, 100mm and apparently 180mm. Mey022. This 5-glass design is controversial, and the problem seems to be that while the centre sharpness is good, the edge and corner is less nice.

(from Vade mecum Version 07/05/2001)


2009.12.04 テレセントリック

ROSS TELECENTRICを初めて見たとき、これが元になってテレセントリック光学系という概念が始まったのに違いない、と思ったのですが、どうやらそうではないようです。ちょっとネットで調べてみたのですが、私以外でそんなことを書いている人は誰もいません。”ロス テレセントリック”でググると、「テレセントリック光学系は伝送ロスが少ない」、みたいな記事ばかり出てきます。まあ、ほとんど誰も知らないレンズなのでしょうがないですね。少し作例を作ってみたいと思います。


2009.12.03 Cooke Triplet IIa 3.5/6.25inの構成図

テーラー・ホブスン社のCooke Tripletには多くのシリーズがあります。これはシリーズ11a(イギリスではIIaと11aは同じ意味のようです)で、1909-1929年の間に生産されたようです。この個体は、シリアルナンバーから1924年頃の製造だと思われます。まだ見たことのないシリーズ I F3.1を除くと、クックのトリプレットの中では最も明るいシリーズになります。分解は至って簡単で、手でくるくるとはずせます。


絞りが中玉の前にあります。トリプレットでは絞りが中玉の後ろにある場合の方が多いと思いますが、どれほど違うのかは分かりません。このレンズの場合は、絞り輪を前方に置く必要から中玉の前に置いたものと思われます。後側主点はほぼレンズの中心にあります。


中玉の中央が薄いです。金具はシンプルで、しっかりした作りです。一個の金具に一枚のレンズが接着されています。スクリューの数を減らして、生産効率を上げたものと思われます。


相当使い込まれています。きっと写真館で長い間活躍したのだと思います。絞りがF16までしか絞れないので、風景用ではなく、ポートレート用だと思われます。1924年(大正13年)ごろの製造なので、コーティングはされていないと思っていましたが、分解した時に良く見ると、前玉の後面にコーティングの形跡があります。後年コーティングされたものだと思います。


2009.12.02 胡錦涛

「胡錦涛 21世紀中国の支配者」(楊中美著、趙宏偉監修、青木まさこ訳、日本放送出版協会)から引用します。

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胡家は、明朝の時代には、「徽商」という名を馳せていた「安徽商人」の中の豪商として繁栄した。胡錦涛の曾祖父の胡樹銘は、上海をはじめ江南の主な都市に八つの茶葉問屋を開き、さらに欧米j各国にも茶葉を輸出し、数人の英語の通訳まで雇っていたほどで、大変な金持だった。
 だが、胡家の繁栄は、1894年の日清戦争によって終わりを告げる。莫大な戦費と戦後賠償金の捻出のため、茶税が大幅に引き上げられ、茶葉業は大きな打撃を受けた。
 さらに、胡家の没落を決定的にしたのが、胡錦涛の父である胡増玉の代、1937年に勃発した日中戦争だった。戦争になれば、お茶を飲んでくつろぐような余裕は人々の暮らしから消えてしまう。かろうじて残ったのは、「外国」である上海の租界にある店だけだった。1940年、胡増玉は泣く泣く泰州の本店をたたみ、上海に移り住んだ。
 だが、まもなく太平洋戦争が始まり、日本軍が上海全域を占領下に置いた。胡家は従業員をすべて解雇して、細々と茶葉の小売りを営むしかなかった。そして戦争中、母親は栄養不良と過労が原因で病に伏した。
 1946年春、胡家は上海を離れて泰州市にある胡家の親戚のもとに身を寄せる。あれほど繁栄した胡家が没落したのも、母親が病気になったのも、すべて日本の侵略があったためである。
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胡錦涛は1942年に上海で生まれ、7歳の時に母親を亡くします。その後、江蘇省立泰州高校、精華大学水利学部を経て共産党に入党し、貴州省党委員会書記、チベット自治区党委員会書記などを経て国家主席になります。この本は、中国共産党内部の権力争いの様子が分かりやすく書かれていて、面白かったです。


2009.12.01 国語(グォユィ)

中華民国期(1912−1949)においては、国語(グォユィ)という標準語が制定され、中華民国政府により推進されたようです。台湾では現在でも国語(グォユィ)というらしいのですが、内容は1956年に中華人民共和国が制定した普通話とほぼ同じだそうです。これとは別に書き言葉である「文言」と話し言葉に近い「白話」があると昔習ったような気がしますが、白話と国語と普通話は、良く似たもののようです。まあ細かく言えば違うのでしょうけれども、明治時代に日本語で書かれた小説、例えば森鴎外などでも現代の日本語とはかなり違うわけですから、まあ当然だと思います。

これとは別に、普通話では簡体字とピンイン(アルファベットの発音記号)が採用されたことだそうです。私は北京官話/国語/普通話の件と、文言/白話の件と、簡体字/繁体字の件がこちゃごちゃになっていました。「中国語はおもしろい」(新井一二三著、講談社現代新書)を読んで、少し理解できたというところです。また、ピンインの導入は大いに成功したようです。実際の発音とは英語とは少し違うようですが、なにしろ英語のスペルの共通化ができたと点が大きいと思います。英字新聞などに出てくる中国人名の漢字がだいたい想像できるというだけでも大きな効果を発揮していると思います。


2009.11.30 北京官話

アメリカ人は中国の標準語である普通話のことをマンダリンと言いますが、マンダリンを辞書で引くと、北京官話、中国清時代の役人、みかん類の植物、中国風の襟(幅の狭いスタンドカラー)、文体や趣味が凝り過ぎた、などの意味があるようです。普通話を北京官話と呼ぶのは少し古いそうですが、実際に古くから存在するようです。「中国語はおもしろい」(新井一二三著、講談社現代新書)から引用します。

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1582年にマカオで彼(マテオ・リッチ)を迎えたイエズス会東インド管区総巡察使アレッサンドロ・ヴァリニャーノは、その五年後、ローマに送った文書の中で、「官話と中国人の関係はラテン語をヨーロッパ人の関係に相当する」と説明している。
もともとローマ帝国の言葉であったラテン語が、その後長きにわたって欧州知識人の共通語として機能し、二十世紀初頭までカトリック教会の公用語に使われていたことはよく知られている。それに比類する言葉として、中国の官話はヨーロッパの人々に伝えられたのであった。
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2009.11.29 Telecentric 6.8/11inアダプタ

テレセントリックにはM42アダプタのようなものが付属していましたので、これをヘリコイドを接続するアダプタを製作しました。

革張りの部分が製作したアダプタです。M42の中間リングと52mmのフィルター枠を接着。強度的に心配なので、革を巻いて補強。


EOSマウント改造ができれば、無限遠の位置が分かるので、後側主点が求められます。望遠レンズですので、後側主点がレンズの前方に出ます。バックフォーカスは焦点距離の52%ほどです。つまり焦点距離の約半分の長さの蛇腹があれば写せるということになります。


2009.11.28 Telecentric 6.8/11inの構成図

ROSS TELECENTRICは1912年頃発売された、最初期のレンズ間隔固定の望遠レンズです。それまでは、Dallmeyer Adonなどは前後のレンズの間隔を変えることによって焦点距離を変える方式でしたが、暗くて性能が良くありませんでした。テレセントリックはレンズ間隔を固定にし、前群を3枚貼り合わせにすることによって、大口径を実現しています。F5.4のシリーズと、F6.8のシリーズがあります。どちらも焦点距離は9inch-13inchです。1922年頃まで販売され、その後はTelerosに置き換わりました。発売当初は高価だったようですが、現在では人気はなく、安く買うことができます。


レンズの外側の曲率は緩やかです。


貼り合わせ面の曲率については、Vade mecumの構成図を参考にしました。貼り合わせ面のカーブがきついようです。


M42マウントと同じマウント金具が付属しています。

今では古典望遠レンズは人気がありませんが、明治時代の末期には望遠レンズの人気が高かったようです。イギリス人が、アラビア、インド、中国などへ小型カメラを携えて渡航するようになりました。この時、短い蛇腹でも遠くのものを大きく写せる望遠レンズが必要になりました。軍事的偵察の需要があったかもしれません。


2009.11.27 Dogmar 4.5/10cm改造

Dogmar 4.5/10cmを52mmスクリューのヘリコイドに接続する金具を製作しました。

まあ、その辺にあったガラクタを接着剤でくっつけただけです。レンズが軽いので、なんでもありです。


筒の中の内面反射にさえ気をつければ、この程度の改造で十分きれいに写ります。数枚撮影してみたところ、先代のCelorにくらべて少しコントラストが高いようです。後で、描写の比較をしてみたいと思います。


2009.11.26 Dogmar 4.5/10cmの後方主点


DOGMARの後方主点とバックフォーカス(レンズの最後端からフィルムまでの距離)を計測しました。だいたいCelorと同じ位置にあるようです。100mmの焦点距離に対して、バックフォーカスが89.4mmですから、焦点距離の89.4%です。同じ時期に作られた同じ銘柄のレンズなら、この比率は変わらないはずです。100mmレンズの場合には全くどうでも良いことですが、例えばDogmar 5cmを見つけた時には大いに参考になるはずです。50mm x 0.894 = 44.7mmだから、ぎりぎりEOSマウントに改造できそうだ、という判断ができます。オークションでは、バックフォーカスを知ることは難しいので、自分で計算した値を信じて入札するしかありません。

また、中古カメラ店で買うときにも役にたちます。天井の蛍光灯の光をレンズを通してテーブルに結像させれば、おおよそのバックフォーカスを知ることができます。高価なレンズの場合には、一眼レフカメラを借りて、レンズを手で動かして、正確なバックフォーカスを確認したほうがいいでしょう。
計測したバックフォーカスが予想した値と大きく異なっていた場合、何か問題があるかもしれません。あるいは、同じ銘柄でも未知の構成のレンズで大掘り出し物かもしれません。

ちなみに、お店で5mの距離にある蛍光灯を写した場合、レンズを無限遠からわずかに繰り出していることになります。5m離れた被写体に焦点を合わせた時のレンズの繰り出し量を計算してみると、50mmレンズで0.5mm, 100mmレンズで2mm, 300mmレンズで19mmですから、ほとんど無限遠時と同じと考えて差し支えありません。

ただし、ある特殊な条件で大きな差し支えがあります。カメラがEOS 5Dなどのキヤノンのフルサイズ一眼レフで(ミラーが大きい)、マウントアダプタを使ってM42マウントの50mm以下のレンズを買う時です。お店で5mの距離の物を写す時にはレンズとミラーは衝突しません。レンズが0.5mm前に出ているためです。このレンズを買って帰ってから、無限遠を写すと、レンズとミラーが衝突して、うまく写せません。0.5mmレンズが後ろに下がるためです。こういう場合には、あわてず騒がずレンズのお尻の金属部分をヤスリで削ります。(無限遠では決して写さないという人は気にしないでください)

削るのが嫌いな人は、お店で試す時に、ピントリングを無限遠に合わせてシャッターを切ります。決して店内の物にピントを合わせてはいけません。


2009.11.25 Celor/Aviar/Unar

Celor(Double Anastigmat Goerz B, 1899)と、Cooke Aviar(1917)は構造がそっくりです。一般にはどちらもDialyte型と呼ばれています。また、Zeiss Unar(1899)もよく似ています。

左から、Goerz Celor, Cooke Aviar(Vade mecumから引用), Zeiss Unar

GoerzのCelorはDagor(1892)の6枚のレンズのうち、2枚目と5枚目を空気間隔に置き換えたと考えられます。Cooke AviarはCooke Triplet(1893)の中玉を2枚に分割したものと考えられます。Zeiss UnarはZeiss Anastigmat(1890)の貼り合わせ面を分離したものと考えられます。。ほぼ同じ時期に開発された三社の看板レンズ(Dagor, Cooke Triplet, Zeiss Anastigmat)を、三社が別々に改良し、最終的に似たような構成に落ち着いているところが面白いです。三社がそれぞれ独自性を主張し激しく争ったのかと思ったら、別にそういうわけでもないようでして、穏便に共存していたようです。これらのレンズはそこそこ成功しましたが、結局主流にはなれずに、ダゴールやトリプレットやテッサーほどの名声を得ることはできませんでした。

でも、これらのレンズを改めて眺めてみると、ペッツバール型にも似ています。ペッツバール型も凸凹凹凸の順でレンズが並んでいます。テッサーもそうですし、ダブルガウスだって凹レンズが貼り合わせになっているだけだとも考えられます。まあ、レンズの構成図を見ながら、色々と想像をふくらますのは楽しい、というのが私の本日の主張です。


2009.11.24 DOGMAR 4.5/100mmの構成図

Goerzが1899年に発表したダブル・アナスチグマット・ゲルツB Series Ib F4.5は1904年にCelorと改名されます。さらに1916年にはW.ショッケ(W. Zschokke, 1870-1951)設計によるF4.5ドグマー(Dogmar)に置き換わります。しかし、CelorとDogmarの違いに関する記載がありませんので、気になっていました。先日Celorの構成図を作図しましたので、今度はTenaxについていたDogmar 4.5/10cmの作図をしてみました。


Celorとほとんど同じですが、少し後群が小さく、非対称になっているようです。ガラスが変わっているかどうかは分かりません。「レンズ設計のすべて」(辻定彦著、電波新聞社)に、"図54 Celor型 40/4.5"と、"図55 Celor型新種ガラス 40/3.5"の収差が詳しくでています。これを見ると同等の性能です。新種ガラスを使うとF3.5まで明るくできるようです。


コンパーのシャッターに入っています。シャッターのシリアルナンバーは258646で、http://motamedi.info/serial.htm#compurを見ると、1933年製造であることが分かります。

ところで、CelorやDogmarの構成をみると、Tessarの後群の張り合わせを分離しただけのようにも見えます。TessarとCelorは時代も同じですし、構成もだいたい同じなのです。「レンズ設計のすべて」(辻定彦著、電波新聞社)では次のように書かれています。

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このように分離型のレンズが接合レンズに比べ収差補正上のメリットが多い。ただ忘れてはいけないのは、当時はまだコーティングの技術が無く、面反射によるコントラストの低下は画像に大きな影響を及ぼしたことである。従って当時の設計者の課題は接合の形で収差補正のできるものをどうやって生み出すかであった。
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2009.11.23 Carl Meyer Rothschild

カール・マイヤーというシネレンズのメーカーがあります。以前書きましたように、シカゴのBurke & James Photographic Coのレンズに付けられた商標のことだと思います。しかし、ひょっとしたら、ロスチャイルド家の四男にしてナポリ・ロスチャイルド家の初代当主であったCarl Mayer Rothschildに関係があるのかもしれません。Carl Meyerの父Meyer Amschelは1750年代に古いコインやメダルの通信販売で頭角を現します。当時ヨーロッパ全土に広まった郵便制度をいち早く利用したのです。名の知れたコレクターに商品カタログを送り、注文を取り、不要な物を買い上げる仕組みを作りました。これが旧ヘッセン大公国の皇太子ヴェルヘルムの目にとまり、「宮廷支配人」の肩書きをもらいます。ヘッセン大公となったヴェルヘルムは傭兵群団を作ってイギリスに貸し出し、大もうけをします。「宮廷支配人」のMeyer Amschelも大富豪への道を歩みはじめます。Meyer Amschelは5人の息子をヨーロッパの主要都市に送ります。四男のカールはナポリに赴きます。残念ながらナポリのロスチャイルド家は1886年に営業を終了してしまい、19世紀末に出回った「世界の名門ロスチャイルド」というブロマイドのような銅版画にはカールの姿は描かれていません。ちょっと影が薄かったようで、さみしいですね。

さて、ロスチャイルドというのは英語読みで、ドイツ語ではロートシルト(Rothschild)、すなわち、「赤い標識」という意味だそうです。昔フランクフルトの金貸し業者は戸口に赤い標識をぶら下げる習わしがあり、のちにこれを商号兼苗字として使用したのだそうです。

参考文献:「富の王国ロスチャイルド」(池内紀著、東洋経済新報社)


2009.11.22 RIETZSCHEL PROLINEAR 1.9/135mmの構成図

RIETZSCHEL PROLINEAR 1.9/135mmがやっと分解できましたので、作図してみました。

難関は右上の細いリングを回すのが難しいことです。ローレット加工がしてありますので、元々は手で回すもののようです。しかし、実際には手では回せないので、後で誰かがコンパス用の小さな穴を二つあけています。ここにコンパスを入れて強引に回すのですが、びくともしません。このような細いリングは力を入れるとたわむので余計回らなくなります。あまり力を入れると、コンパスがはずれて手に突き刺さるので怖いです。そこで、今回はコンパスを木槌で叩く作戦を採用。これが見事に成功し、うまく分解することができました。

典型的なスピーディック型です。スピーディック型の代表例としては、Cooke Series X (Speedic), Astro Tacharなどがあります。クックのトリプレットの後玉を2枚の凸レンズに分けて明るくしています。普通はF2.5が限界と言われていますので、F1.9はかなり無理をした設計です。特徴は一番フィルムに近い面が大きく突出していることです。これによってイメージサークルを稼いでいるのではないかと思います。このレンズは6.5 x 9cm判のMentor Reflexについていたのですが、イメージサークルははるかに大きいです。

もうひとつ気になるのは平面に近い面が3面もあることです。特に第4群の前の面は、ほとんど平面です。平らな板の上に置くと、間に入った空気のせいで少し滑ります。しかし、良く見るとほんのわずかに凸面に仕上げられているようです。中心付近は平らな平面の板に張り付きますが、周辺部分には少し空気が入っています。完全な平面が2枚以上あると合わせ鏡になりますので、これを避けているのではないかと思います。デジタルカメラの撮像素子はほぼ完全な平面ですので注意が必要です。EOS 10Dを買った時、レンズの先に取り付けた保護フィルターと撮像素子の間で合わせ鏡現象が起き、像が二重写しになって驚いたことがあります。それ以来、フィルターはデジカメ向きではないと考え、使うのをやめました。


Vade mecumにはこのような構成図が出ています。これはとても面白いので笑ってしまいました。第三群が私の構成図を違っていますが、これは、「後群を分解できなかったので想像で描きました」、と言っているのです。実際第三群のようにコバが極端に薄いレンズ自体怪しいのですが、これは作図した人が、「ここは怪しいので注意して下さいよ!」、と警告しているのです。なかなか良心的な構成図だと思います。


中央にちらっと見えているのは、絞り値を表示する窓です。金物は割と単純なのですが、鏡筒と第三群が固着しており、分離できませんでした。


写真だけだとこうなります。後玉の突出が目立ちます。


2009.11.21 Celor 4.8/5inの構成図

Goerzのフォン・フーフが1899年に、ダブル・アナスチグマット・ゲルツB型を発表しました。これにはシリーズIb F4.5と、シリーズIc F6.3がありました、1904年にゲルツのレンズの名称が変更になり、シリーズIbはCelorと改名されました。このレンズのシリアルナンバーは180,737で、Goerzのシリアルナンバー表を見ると、1903年から1905年に製造されたようです。ちょうど改名直後のレンズのようです。鏡筒には、C.P. GOERZ BERLIN NEW-YORKと刻印されていますので、アメリカで製造されたか、またはアメリカ輸出用だったと思われます。

分解写真。全くの左右対称で、部品点数が少ないです。


構成としてはダイアーリト型と呼ばれるものです。レンズばかりでなく金物まで完全な左右対称なので、部品が少なくてすみます。さらに第二群の金属枠が第一群の押さえ金具を兼ねるなどの工夫により、部品点数を減らしています。結果的に、ガラス部品2種、金属部品5種(絞り部品を除く)でレンズができており、量産向きだと思います。当時、トリプレットよりもダイアーリト型のレンズを作るメーカーが多かったのも、うなずけます。


全く前後対称のレンズなので、後側主点がレンズの中心にくるのかと思ったら、そうでもないようです。ちょっと前にずれています。


2009.11.20 YouTubeの動画から音だけ取り出して車で聞く

YouTubeの動画から音だけ取り出して車で聞こうと思い、音楽CDを作ってみたのですが、面倒くさかったです。音声情報というのは、どうもすんなりとは処理できません。手順は次の通り。

1. FirefoxのアドオンであるVideo DownloadHelper(https://addons.mozilla.org/ja/firefox/addon/3006)を使って.flvファイルをダウンロードする。
2. .flvをSplitFLV(http://www.vector.co.jp/soft/winnt/art/se442237.html)を使って音声だけ取り出し.mp3ファイルを作成する。
3. .mp3をiTunesで音楽CDに書き出す。
4. CDをカーナビに入れて車のハードディスクにコピーする。

問題はふたつあります。
1. SplitFLVが8分のFLVから58分の.mp3を作る。実際再生してみると8分なのですが、ヘッダーが間違っているようです。iTunesは58分だと認識するようで、これだけでCDが一杯になり、他のファイルは入らないと勘違いするようです。この場合、”午後のコーダ”(http://www.marinecat.net/free/windows/mct_free.htm)で.mp3を.wavにデコードしてやれば問題を回避することができました。

2. SplitFLVがiTunesでも”午後のコーダ”でも認識できない.mp3を作ることがある。これは多分元の.flvの音声データの形式によるものだと思います。SplitFLV以外のソフトを試してみるべきだとは思いますが、とりあえず必要なCDは作成できたので試していません。

flvをmp4に変換することはできそうですので、YouTubeからDVDを作ることもできそうです。しかし、車で画像を見ることはないし、ハードディスクに入れてしまった方が楽なので、やはり汎用的なオーディオCDがいいようです。


2009.11.19 ZUNOW Cine 1.1/38mmのCマウント改造

豊田茂雄氏からZUNOW Cine 1.1/38mmはD mountからC mountに改造可能だと掲示板に書き込みをして頂きましたので、図面上で確認してみました。レンズの機械図面を一生懸命書いていたのは、まさにこれをやるためだったのです。

青で描いたのがDマウント金具。赤で描いたようなCマウント金具で作って、うまくはめればCマウントに改造できます。

拡大図

黒で描いたレンズヘッドの金具と、赤で描いたCマウント金具が重なるところは、どちらかを削ってください。寸法は現物に合わせた方が良いと思いますので、記入していません。Cマウントのフランジバック、内径、ネジ山のピッチについては規定があるようですが、フィルム側開口部の内径やネジ山の数、フランジ面からフィルム側へのネジの突き出しの長さなどはレンズによってバラバラのようですので、注意が必要です。ともあれ、元々C/Dマウント兼用として設計されているような印象を受けました。


2009.11.18 Sonnar 4/135mm(EXAKTA)の構成図

テレゾナー型のレンズの構成が見たくて、本家と言えるKine-Exakta用の4/135mm(プリセット絞り)を分解してみました。残念ながら、きれいに分解することはできず、一番前の刻印のあるリングと、その下の前玉抑えリングを破壊することにしました。

分解の手順は次のようになります。
1. レンズの後部から”1”をコンパスで抜きます。これでヘリコイド”0”とレンズヘッド”2”が分離できます。
2. ”2”の後部から後玉を手で抜きます。”9”の金具に”C”が入り、”10”のスクリューで押さえてあります。
3. ”2”から”3”を抜きます。これはスクリューなのですが、回す方法がありません。ドリルで穴をあけてコンパスを突っ込んで力まかせにまわそうと思ったのですが、どうしても回りません。木槌で叩きたおしたのですが、へこむばかりで緩む気配はありません。そこでやむをえず、”3”を破壊しました。”3”はただの飾りなので、破壊しても実用上の問題はありません。
4. ”4”を回して抜き取ります。”4”は割と簡単にまわせます。今回はそれが分からなかったので残念ながら”3”と一緒に破壊してしまいました。もし”3”がどうしても回らない場合には、”3”は破壊しても、”4”は破壊しないように気をつけましょう。これで、前玉”A”が分離できます。
5. ”5”をコンパスで抜きだします。”5”から”11”のリングをはずすと、中玉”B”が取り出せます。
6. ”6”、”7”、”8”、はプリセット絞り関係の金具です。一旦はずすと、再組み立てが難しいので、ちゃんとメモしながら取り外した方がいいようです。私はちゃんと組み立て直すことができず、普通絞りになってしまいました。どうせプリセット絞りは使わないので実害はないのですが。

要するに、”3”をうまくはずせれば、後は簡単ということです。


破壊した部品。左側の部品が抜けないと、右側の部品が抜けないので両方破壊したが、これは失敗。左側の部品だけ破壊すべきでした。


初めて見た(多分)テレゾナーの中玉。厚いです。F4なのでこれくらいの大きさで済んでいますが、大口径化は難しそうです。


望遠レンズですので、後側主点がレンズの前に出ています。コンパクトな設計です。機械部品は複雑なので、作図はパス。この型はNikkor-Q 3.5/135mmなど多くの望遠レンズで使われているはずですが、主に戦後に使われた型なので、私はいまいちよく分かりません。

ちなみに、このSonnar 4/135 4875893 をツアイスの台帳で調べると、1937年から1958年まで、7875801から4876550まで750本がExaktaマウントで出荷されています。同じロットで戦前から戦後まで21年間にわたりイエナから出荷されたと書かれていますので、まさにロングセラーですね。また、全く同じ日付で同じ750本がM42マウントでも出荷されています。


2009.11.17 和製英語が役に立つ

「和製英語が役に立つ」(河口鴻三著、文春新書)を読みました。”和製英語が役に立つ”というのは私も以前から思っていたことで、大いに共感できました。英語の単語を覚えるというのは困難な作業です。無理やり語呂合わせで覚えるか、語源から覚えられれば良いのですが、それができない場合大変苦労します。一方和製英語はどういうわけか簡単に覚えることができ、英単語の本来の意味を覚える助けになります。「和製英語が役に立つ」(河口鴻三著、文春新書)の”おわりに”に面白いエピソードが紹介されていたので引用させて頂きます。

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 「和製英語」はある意味で受難の言葉でした。たとえばデッドボール、サラリーマンあるいはパンティーストッキング。「世界に通用しない言葉」として、英語の母国はもとより、日本にいる「英語が得意な人々」からさげすまれます。まるで日陰者扱いです。しかしいま、ことはそう簡単ではありません。
 ある英語学習のサイトでは、ファミリー・コンピュータを和製英語としています。確かにアメリカやイギリスでは、ゲームをやるためのコンピュータをファミリー・コンピュータとは言いません。では、英語ではなんというのでしょうか。
 その同じサイトの対照表は正しい英語ではなんと Nintendo だと書いています。
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もっと時代が進むと、英語のほとんどの単語が和製英語になって、英語学習が非常に簡単になるかもしれません。カタカナの単語のは知っているので、後はスペルと発音を覚えるだけです。

話は古代に飛びますが、千四百年ほど前に住吉津から隋に旅立った遣隋使も似たようなことを考えていたかもしれません。漢字を日本に輸入すれば、最初は変な使われ方をされるかもしれないが、将来的には日本人が中国語を学ぶ助けになるのではないかと。今、中国語を学んでみると、我々日本人はかなり控えめに言っても全員50%以上中国語を理解していると思います。漢字の意味が分かるというのが、中国語学習上で最も難しいからです。欧米人が中国語を学ぶ時、日本人の漢字のレベルに達するまで大変な時間がかかるようです。我々は漢字文化圏にいるのだなぁ、と改めて思います。


2009.11.16 Goerz Lynkeioscop再改造

ライツが良い引き伸ばし機を出す以前は、密着プリントが主流だったようです。大きなプリントを得ようとすれば、大きな乾板が必要となり、イメージサークルの大きなレンズ、すなわち焦点距離の長いレンズが必要になります。従って、写真館では8x10や5x7インチ乾板用の300mmや210mmレンズが主に使われていたようです。ということで、昔の著名なレンズの焦点距離は長く、EOSで使うには、長い筒が必要になります。長い筒は内面反射が大きくなりますので、これを防止する工夫が必要になります。


たまたまフランジ金具にぴったりと合うメスのスクリューを見つけたので、工作は簡単でした。


フェルト製のリブを3個入れています。一番フィルム側のリブの直径を小さくしていますので、より強力な反射防止になりますが、ペンタ67ではケラレると思います。当面EOS 5Dでしか使いませんので、35mm専用としています。


2009.11.15 Dallmeyer 3D再改造

しばらく前に改造して、11月3日に近所でテストしたDallmeyer 3Dを掲載します。長いです。

右側はペンタックス67のヘリコイドと手製のペンタ67-EOSアダプタです。中央のアルミの筒はシグマの古いズームレンズから取りだしたものです。


外見は直線的ですが、中は反射防止のリブを3個入れています。リブは手芸用の黒いフェルトを使って作りました。レンズを蛍光灯に向けてカメラ側から覗けば、内面反射の具合が見えます。鏡筒と平行な面があると内面反射を起こしますので、鏡筒と直角なリブを使って平行な面が見えないようにしています。


2009.11.14 HERMAGIS 4.5/210mmの構成図

三年半ほど前に、9,500円だったのできっとテッサー型だろうと思って買ったエルマジ 4.5/210mmですが、分解してみるとダブルガウス型で驚きました。エルマジのダブルガウス型のレンズはこれ以外に見たことありません。年代もパテントも書かれていませんのではっきりしないのですが、多分ツアイスのパウル・ルドルフが1897年に開発した初期のプラナーをコピーして、1905年くらいに作られたものと思われます。多分木製の大型カメラに取り付けられていたものと思われます。ずいぶん使い込まれています。

なかなか丁寧な作りです。前玉にはたくさん傷がありますが、他の面はきれいです。


前群と後群が全く同じ均斉式です。


EOSマウントに改造して、無限遠の位置を測定し、そこから210mmの焦点距離を引いた点を後側主点としてプロットしてみました。レンズの中心から10mmほど後ろに寄っているようです。これがどういう意味があるのかは分かりません。今後は他のレンズでも後側主点を計測していきたいと思います。

パノラマ写真では合成時に前側主点が問題になり、古典レンズの改造では後側主点が問題になるわけですが、実作業上で両方の主点を気にしなければならないユーザーはめずらしいのではないかと思います。


2009.11.13 WATSON 1.9/75mmの構成図(2)

WATSON 1.9/75mmの構成図に、EOSマウント面、フィルム面、後方主点を記入しました。


再度組み立てようとしたのですが、これがなかなか難しい。元々ビスを打つのが難しいので接着剤が使われていたわけですから、当然なのですが。

レンズヘッドの加工。これが一番楽しい作業です。いつでも分解できるようにするには、これ以外の方法はありません。


ヘリコイドの加工。オーバーインフにするため、だいぶ削りました。元の改造では、ほんの少し無限の手前で止まっているようで気持ちが悪かったのです。はっきりオーバーインフにしたので安心してピント合わせができます。


2009.11.12 音声合成

kaneko-adさんのJapanos BBSに音声合成ナレーション(http://www.ai-j.jp/)が紹介されていたので試してみたところ、非常に自然な音声合成で驚きました。

「フリーテキスト音声合成」というところに、次のような文章を打ち込んでみました。

『秋の陽が落ちるのは早く、快晴でも午後四時過ぎには陽が翳ってしまいます。調べてみると、11月7日の東京の日没時刻は午後4時41分です。日没時刻が最も早いのが11月29日から12月13日までの午後4時28分ですから、それよりわずか13分遅いだけです。ワトソン 1.9 5インチは日没後もシャープなピントとハイライトの滲みを見せてくれます。』

今回作成した音声ファイルはサイズが大きい割にノイズが多いですが、音声合成の素晴らしさはお分かり頂けると思います。
akino-gogo.mp3 (再生できることを祈る)

QuickTimeで再生すれば特に問題ないので、もし再生できない場合には、QuickTime Playerを起動して、直接以下のURLを開いてください。
http://www.ksmt.com/eos10d/091111sound/akino-gogo.mp3

音声合成結果をファイルに落とすのが案外難しく苦戦しました。ICレコーダーでノートパソコンのスピーカーの音声を拾おうとしたのですが、ファンの音などのノイスが多くて断念。ノートパソコンのスピーカーから出た音をノートパソコン内臓のマイクで拾った方が、まだいくらかきれいに録音できます。Windowsなら”アクセサリ”の”サウンドレコーダ”でも録音できます。しかし、サイズの大きなwmaファイルしかできないので、より自由度の高いフリーソフト”午後のこーだ”を使いました。

もうひとつの問題はWindows Media Playerです。音質的には16kbpsモノラルのmp3で十分なのですが、 どういうわけかWindows Media Playerで再生することができません。それで、やむをえず、64kbpsステレオの大きなファイルになりました。8年前にビデオ編集で音入れをした時、オーディオ・ファイルのサンプリング周波数やコーデックで大いにトラぶったのを思い出しました。当時はWindowsノートパソコンにIEEE 1394(ソニーではiLinkと呼ぶ)が付いたばかりでしたので仕方ないなぁと思っていたのですが、8年たっても似たような問題があるようです。

音声合成結果を聞きながら思ったのですが、文章の校正に使えるんじゃないかと思います。自分の書いた文章は何度読んでも間違いを見逃すのですが、音声で読み上げるのを聞けば、おかしな所をすべて検出できると思います。


2009.11.11 WATSON 1.9/75mmの構成図

全く分解の方法が分からなかったWATSON 1.9/75mmを無理やり分解すると、予想通りエポキシ系接着剤でこってりと接着されていました。これをはがずのに一苦労。


最下段の4個だけがオリジナルのレンズ(多分テレビ用)で、それ以外はニコンFマウントに改造するためのヘリコイドとアダプタ部分です。


第三群がはずれませんが、ここまで分解できると作図できます。


何とかして第三群を分離しようと試みましたが、無理でした。


これら二つの金具がエポキシ系接着剤で強固に接着されていました。接着剤が底面と側面にまたがって塗布されていると強力です。エポキシをはがした後、ネジ止めに変更。


左側の2個の絞り輪お金具もエポキシで接着されていましたので苦労しました。エポキシをはがした後で、ネジ止めに変更。


第4群の分離にも苦労しました。ドリルで2個穴をあけてコンパスを差し込み、コンパスの脚を木槌で叩き倒して分解。コンパスを手で力いっぱい回すのは怖いです。失敗すると手に突き刺さります。



典型的なダブルガウス型です。


2009.11.10 Heliar 4.5/18cmの構成図


明治38年頃製造のHeliar 4.5/18cmです。良く写るのですが、ほとんど出番がありません。

三群だとシンプルで作図しやすいです。


金物もシンプルです。トリプレットトリプレット系は、クックのトリプレットでも、テッサーでも、ヘリアーでも、だいたい同じ金物が使えるので、全体としての量産効果があったのかもしれません。それに、レンズの間隔が広く、小さな部品を詰め込む必要がないので、何となく余裕が感じられます。


2009.11.9 Ernostar 2/100mmの構成図

ついに分解に成功したErnostar 2/100mmですが、金物が複雑です。レンズをカメラの箱の中に埋め込むため、絞り輪を一番前に引っ張り出す必要があるので、このような複雑な形になったのだと思います。改造時に取り付けられたニコンFマウントもいっしょに作図しました。レンズの最後尾からニコンFマウント面まで、わずか1.5mmしかない望遠タイプのレンズです。フィルム面、ニコンFマウント面、後方主点も書き込んでおきました。





ニコンFマウント金具を取り除くとこのような外観。


ニコンFマウント金具を取り付けると、このような外観。

今回の分解および再組み立てによって、いくつかの改善と改悪があります。
1. 繰り出し量約25mmの直進ヘリコイド。マクロに強くなった。
2. 固着して回らなかった絞り輪が、軽くズムーズの回るようになった。
3. 絞りがF2からF5.6までしか動かなくなった。F5.6以上には絞れない。なぜこうなったのかは不明。どうしても元に戻らない。


2009.11.8 Ernostar 2/100mm分解

エルノスター f2/100mmは開放からシャープでボケが美しいので大変気に入っています。三年ほど前に買ってから何度か分解を試みたのですが、失敗。特に後玉(第三群と第四群)はどこをどうやれば良いのかすら不明でした。プライヤーで力まかせに回したり、小さな穴をあけてコンパスで回したりしてみたのですが、びくともしませんでした。それどころか、絞り輪に何かが挟まったようで、絞りが固くて変えられません。いじくりまわすうちに壊してしまったようです。

くやしいので、再度分解に挑戦。三年越しの分解にやっと成功しました。これで絞りの故障も解消し、構成図の作成もできます。

同じような長い筒が四重になっていたのが分解を難しくした原因でした。筒の下にビスが隠されていて、筒を抜かない限りビスが回せないという構造です。長い筒が内部のスクリューでつながり、この部分が固着していたのです。この場合、力まかせでは分解できません。木槌で丁寧に叩いて固着部分をほぐしてやる必要があります。

絞り板がグリスで粘っていたので、ミシン油で軽く拭いて清掃。スムーズに動くようになりました。


2009.11.7 画像付き構成図の候補

レンズの構成図に画像を重ねるのが良いか、重ねるとすればどう重ねるのが良いか、について検討してみました。JW_CADのレイヤー機能を使えばサンプルは簡単に作れます。

候補1:画像なし


候補2: 画像半分重ね


候補3: 画像半分排他


候補4: 画像全部重ね


候補3がすっきりしていていいかなぁと思います。でも、作るのがちょっと面倒くさい。検図用には簡単に作れる候補4がいいです。


2009.11.6 ZEIKAの広告

昭和33年3月号の写真工業にZEIKAの広告(半ページ)を見つけました。なかなか意欲的な宣伝です。F1.4のシリーズは当時のZEIKAの看板商品だったようです。


2009.11.5 ZEIKA Cine Tele 1.4/38mmの構成図

ZEIKA Cine Tele 1.4/38mmは、案外簡単に分解できました。

昔の職人さんの手作業による組み立ての様子が目に浮かぶような部品構成です。


多分テレゾナー型だと思いますが、通常のテレゾナー型とは第一群と第二群が逆です。


一番右の面(フィルムに一番近い面)は平面のようです。


全面的に写真を重ねてみました。レンズにクロスハッチを入れないと見にくくなるようです。
ヘリコイドは右の三角のところにあります。ヘリコイドも絞りも非常にスムーズで、精密金属加工の技術は高いです。


重ねるのに使った写真。形が歪まないように300mmの望遠レンズで撮影し、レタッチで色を薄くしました。良く見るとピントリングがはずれて斜めになっていますが、全体的には歪みなく撮影できるようです。


2009.11.04 ZUNOW-ELMO 1.1/38mm構成図(画像付き)

機械図面+画像付きの豪華な構成図を作ってしまうと、ガラス部分だけの構成図は貧相に見えてしまいます。そこで、ZUNOW-ELMO 1.1/38mmも画像付きにバージョンアップしました。


後で気付いたのですが、画像を重ねるのは良い検図になります。間違っているところを写真に合わせて少し修正しました。


2009.11.03 ISOSTIGMARの構成図(画像付き)

「写真レンズの歴史」(ルドルフ・キングズレーク著、雄倉保行訳、朝日ソノラマ)から引用します。
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この型の改良で面白いのは、ダブル・ガウスの中央の空気間隔に薄い凹のエレメントを入れる設計である。これはロンドンのベック(Beck)社が1906年に、アイソスチグマー(Isostigmar)レンズとして発表したのが最初である。
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奇抜なレンズ構成で魅力的なIsostigmarですが、一般には超不人気です。是非宣伝したいと思い、構成図を描き起こしてみました。Zunowと同様に金属部品の作図をしたのに加えて、下半分に写真を重ね、豪華な図面にしてみました。

金属部品の作図にも慣れてきて、快適に作図ができました。直線で作図する時には、補助線は不要だということに気付いたためです。JW_CADは画像も簡単に扱えることが分かりました。

中央の凹レンズはほとんど平らなガラス板です。薄い紙一枚くらいの凹みですので、0.1mmとしましたが正確には分かりません。


非常に分解と組み立てが容易な設計です。残念ながら絞り羽根がでこぼこになってうまく開け閉めできなくなったので、絞り羽根を半分ほど抜いてしまいました。F11までは正常に絞れますが、それ以上は隙間があきます。


2009.11.02 ZUNOW-ELMO 1.1/38mm機械図面

はじめて機械図面を描いてみたのですが、難しかったです。これだけ複雑になると、補助線の入れ方を工夫しないと混乱してしまいます。それに、計測時のメモの書き方にも工夫が必要でした。うまく基準点を決めないと、部品がかみ合わなくなります。ヘリコイドの位置は外からは見えないので書いていません。

機械図面入力の練習用としては良い題材でした。でも、これを精度よく作るのはなかなか大変そうです。


2009.11.01 ZUNOW-ELMO 1.1/38mm構成図

DマウントのZunow 1.1/38mmが値上がりしているので、てっきりCマウントに改造してマイクロフォーサーズで無限遠から使えるものだと思っていたのですが、どうやら無限は出ないらしいです。そこで、値上がり前でとても安かった時に買ったZUNOW-ELMO 1.1/38mmを分解してみました。案外簡単にバラバラになりました。

上の写真の右上に置いてあるのがDマウントの金具です。スクリューでj簡単に無限遠が調整できるようになっています。


第三群が厚い張り合わせですが、他の3枚は薄いレンズです。


フィルム面からレンズの最後尾まで約13.9mm。Cマウントに改造するには後玉をCマウントのスクリューの中に押し込まなければ無限は出ません。しかし、後玉の外側の鏡筒の直径は32mmほどありますので、Cマウントの内側には入りません。従って、鏡筒を交換の必要があり、かなりの大仕事になります。

レンズは4群5枚です。テレゾナー型の前に一枚足したようでもありますし、ダブルガウス型の後群を単レンズの簡略化したようでもあります。あるいはAstro Tachnar F1.0の3枚目と4枚目を張り合わせたエルノスター型だと考えることもできます。。


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