EOS10D日記その12

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2006.9.10 Biometar 120 (Pentacon Six)

Carl Zeiss Jena Biometar 2,8/120 5894110 (Pentacon Six mount)

ペンタコン・シックス用のビオメター(ビオメタール)です。Wray F1.0 CRT レンズのところで触れたように、1944年にレイのワインが6枚玉のダブルガウス型から1枚レンズを減らす方法を開発し、F2ユニライト、F1.9シネ・ユニライト、F1.0CRTレンズなどの明るいレンズを設計しました。戦後になってクセノター、プラナー、ビオメターなどでこの案が使われ、明るいレンズが作られました。と思っていたのですが、写真工業の2006年6月号を読むと、ちょっとニュアンスが違います。レンズ史上ではワインのF2ユニライトが最初であるとしながらも、後群がトポゴン型であるため、開放F値はF2.8が限界といえるそうだと書いてあります。確かに後群はトポゴン型ですので、こちらの説も一理あります。戦前のレンズの歴史は割と単純なのでだいぶ理解できてきたのですが、戦後のことはさっぱり分かりません。


このレンズが気に入ったのは、何といっても革張りのピントリングです。昔は金属で、最近はゴムのものが多いのですが、革張りのは初めて見ました。なかなか古めかしくていい感じです。最初もっと新しいビオメタールの80mmを買ったのですが、絞りが壊れており、これと交換してもらいました。ペンタコン・シックスの絞りは一般的に壊れやすいらしいです。私は自動絞りは全く使わないので、壊れないと思うのですが。


もうひとつの特徴は皮張りのキャップが付属していることです。右側の写真はマウント部分。


ペンタコン・シックス -> EOSマウントアダプタを取り付けたところ。このマウントアダプタは構造が単純なせいか、比較的安く入手できます。


EOSに取り付けたところ。なかなかバランスがいいです。ただ、革張りのピントリングより絞り輪の方が太いので、ピント合わせの時に誤って絞り輪が動いてしまいます。昔のレンズはそんなこと全然考えずに設計されていますね。


2006.9.9 Primoplan 1:1.9/58 (M42)

Meyer-Optik Gorlitz 1560765 Primoplan 1:1.9/58

M42のプリモプランです。中判のプリモプランは高いですが、M42はまだ安いです。多分1950年代と思われ、コーティングがかかっています。


後ろ側はこんな感じです。M42-EOSアダプターを介して5Dに取り付けると、無限遠ではミラーと接触するので、右の写真のようにミラー切れします。ミラーはレンズに当たっても何とか上昇しますが、降りてきません。改造が必要です。


レンズの裏をサンドペーパーでごしごし削ります。ビオター58mmF2も同じような改造しましたが、レンズ自体は結構奥にあったので、レンズを削る心配はなく、安心して作業できました。しかし、プリモプランはレンズがすぐそこにあり、削りすぎるとまずいことになります。最初、左のように少しだけ削ってみましたが、これではまだミラーに当たります。右のように5個の輪を全部削る必要があります。目安としては、一番外の輪の地肌が出ればOKです。レンズを削らないよう慎重に作業をしましたが、スリル満点でした。


最後にマジックで黒く塗って、5D対応M42プリモプランの完成。


M42-EOSマウントアダプタを取り付けた時、無限遠でレンズの出っぱりがこれくらいなら5Dのミラーとは干渉しません。これ以上だと干渉します。お店でM42のレンズを買うときには注意が必要です。レンズ自体がこれより出っぱっていると改造できません。お店の中で試写すると、近くのものに焦点を合わせてしまいます。これだとレンズが前に繰り出されているので、ミラーとは干渉しません。必ず無限遠で写すことを忘れないようにしないといけないのですが、私はいつも忘れます。


2006.9.5 Opicのマウント再改造

Opic 5.5 inchは業者がニコンFマウントに改造済みのものを買いました。それしか売っていなかったのと、業者の改造を見て見たかったこともあります。使っているうちに、いくつか問題点が出てきました。
・重い。金属製のヘリコイドなので見た目はいいのですが、いかんせん重い。
・ヘリコイドを回すのが面倒くさい。最短距離から無限遠まで、ほぼ一周まわさなければならないので大変です。
・最短距離が1.5mくらいで遠く、マクロがきかない。
・少しマウントでケられているよう。周辺のボケが円形ではない。
・少し内面反射があり、コントラストが低下しているよう。
もちろん、買ってすぐ使え、見た目がいいという大きな利点があります。

まずは、業者の作ったマウントを分解してみましょう。

ネジを3個はずすだけで、簡単にマウントを取り外すことができます。フランジのネジは全く使っていません。ただ筒の太さを合わせて、スポッと入れているだけです。


レンズを3本にネジで押しているだけです。


このレンズはフランジの上にカバーがかかっている特殊な構造なので、この方法しかなかったのでしょう。


ニコンFマウントもネジ3本だけで止まっています。結構ネジが緩んでいたので、買った直後に締めなおしたほうがいいようです。


分解するとこうなります。


ニコンFマウントの穴はわずか29mmしかありません。ピントが合っているところは問題ありませんが、ボケを丸くするのは厳しいかもしれません。ヤスリで削って広げようと思っていたのですが、ものすごく金属が厚いのでやめました。直接EOSマウントを取り付けようかとも思ったのですが、そもそもヘリコイドの穴が32mmしかないので、これもやめました。


後玉の直径は60mm以上あります。これを29mmしか使わないのは、いくら何でももったいない。


内面反射ですが、多分この部分が銀色のせいだと思います。平面ではないので、そんなに悪影響はないかもしれませんが、あまり気持ちの良いものではありません。鏡胴内部は黒く塗ってあるので、それほど問題ないと思います。手前の銀色の部分は後玉より前になるので関係ありません。


前玉と後玉をとりはずしたところ。後玉を受けるメスのネジが欠けています。実用上は問題ありませんが、ヘリコイドでうまく隠してあります。欠けているのが分かると、売りにくそうです。これがマウント改造の最大の理由かもしれません。


これだけ欠けて、よくレンズが無事だったものです。レンズは比較的きれいです。これ以上の分解は難しいです。


岸本式に改造するとこうなります。後玉にフードをガムテープで貼り付けて、その後ろに39mmのオスネジを接着しただけです。これで岸本式袋蛇腹に取り付けられます。この図で無限遠くらいです。39mmオスの内径は35mmくらいしかないのですが、それでも元のマウントの29mmよりはだいぶましです。最短は1mくらいです。最短から無限遠の先まで、一瞬で焦点合わせができます。どのようなアオリも可能です。試写したところ、やはり少しコントラストが改善され、ボケ具合もよくなりました。ただ、常に何らかのアオリが入ってしまい、レンズをスクエアに使えないのが難点。もちろんガムテープ止めですので、いつでもニコンFマウントに復帰できます。
サンプル画像: http://www.ksmt.com/panorama/060902ofuna/060902ofuna.htm#opic


本当は44mm径の2段蛇腹に取り付けたかったのですが、残念ながらバックフォーカスが足りず断念。これはそのために作ったアダプタですが、お蔵入り。ミランダの44mmチューブを接着してあります。これで行ければ、一気に30cmくらいまで寄れるようになるのですが。残念。


2006.9.4 もう一本のWray F1.0 CRT レンズ

WRAY LONDON No 288436 2in f1.0 C.R.T LENS COPYING m:0.25

9月1日い書いたWRAY 2in f1.0が安かったので買ったら、おまけでもう一本くれるとのこと。バックフォーカスが短すぎてライカのレンジファインダーにすら改造できないので、カメラ屋がもてあましていたようです。もらってもしょうがないなと思ったのですが、歴史的レンズがただというので、一応もらってみました。

2本のWray 2in F1.0 CRT LENS。一本はウォーレンサックのシャッターに入っています。F1.0-5.6の絞り指標が刻印されていますので、オリジナルだと思います。もう一本は以前紹介したバレルのものです。


シリアルナンバーが2倍以上大きいので、こちらが新しいものだと思います。シャッターは壊れています。バルブにはなります。


レンズセルは2本とも全く同じです。

2個のレンズをばらばらにして、組み合わせを変えたり、逆向きにとりつけたり、はたまたまったく別の凹レンズを加えてみたりしたのですが、どうやってもバックフォーカスを伸ばすことができません。たとえば強力な凹レンズを後ろに追加しても合焦位置が5cmから7cmに延びるという程度で失敗。唯一可能性があるのが、前群を単独でリバースして使う方法でした。


これだとバックフォーカス約10cmになり、無限遠が出せます。画角は50mm相当、明るさF2.8程度のソフトレンズになります。


全く収差が補正されていないので、ものすごくソフトです。


2006.9.3 LeeのSpeedic Lens (商品名Taylor-Hobson Seriex X)

TAYLOR-HOBSON COOKE ANASTIGMAT No 157821 6 1/2 INCH f/2.5

またまたまた”写真レンズの歴史”(ルドルフ・キングズレーク著、雄倉保行訳、朝日ソノラマ)から引用させて頂きます。なにぶんにもSpeedicに関する記述はこの本と、Seth氏のホームページにあるテイラーホブソンの1930年代のカタログ以外に全く情報を知らないので御容赦下さい。

”トリプレット・レンズをより明るくする一つの方法は、後ろの強いと凸エレメントを二つに割ることである。この案は1900年にエドワード・ボシュが試み、後にH.W.リー(H.W. Lee)が1924年、彼のスピーディック・レンズ(Speedic lens)で一般化した。設計の手順は、リー自身が発表している。F2.5の明るさで、球面収差はよく補正されているが、中間の画角の非点収差は前より悪くなっている”

リーがオピックを設計したのが1920年頃ですので、その4年ほど後のことです。トリプレットを明るくするもうひとつの方法は前の凸レンズと真ん中の凹レンズの間に凸のメニスカスレンズを一枚入れることですが、こちらの代表はエルネマンのベルテレが1923年に特許を取ったエルノスターです。この頃、ドイツとイギリスで数多くの銘玉が生まれています。


スピーディックを探す上で大きな障害となったのが、その刻印です。カタログにはSeries X f:2.5 Speedicと書いてあるのですが、レンズ自体にはCOOKE ANASTIGMAT f/2.5としか書いてありません。従って、中古カメラ屋にSeries Xはないかとか、Speedicを探しているとか言ってもほとんど通じません。Taylo- HobsonのF2.5のレンズをくれというのがいいでしょう。このレンズはグラフレックスについていたようですので、アメリカにはたくさんあるはずです。

約165mm F2.5ですのでかなり大口径ですが、トリプレットの厚い後玉を2枚の薄いレンズに変えただけですので、トリプレットと同じくらいの軽さです。OpicやOrthometarと比べるとあまりの軽さに驚きます。


前玉の口径は60mmちょっと。

中玉はとりはずしにくい構造。きれいなレンズですので、特に清掃の必要なし。


2006.9.1 Wray F1.0 CRT レンズ

WRAY LONDON No 111225 2in f 1.0 C.R.T LENS COPYING 4:1
またまた”写真レンズの歴史”(ルドルフ・キングズレーク著、雄倉保行訳、朝日ソノラマ)からの引用です。朝日ソノラマ様、同じ本からの引用ばかりですみません。この本を元にレンズを集めていることに免じてお許し下さい。

”IV. 5枚エレメントのガウス型レンズ
レイ(Wray)に入社間もない1944年にC.G.ワイン(C.G. Wynne)は、ダブルガウスの後群の凹のダブレットを分割し、その凹エレメントにベンディングを加え、絞りに向かって凹の深いメニスカスにすることにより、分割した凸エレメントが不要になると考えた。(中略)倍率4:1のF1 CRTレンズがそれである。(中略)第二次世界大戦後に別のメーカーがこの案を用いて明るさF2.8のレンズを製作した。その代表例がシュナイダーのクセノター(Xenotar)と、ツァイスのプラナーに属するレンズである。”

クセノタールもプラナーも持っていませんが、その先祖のレンズということで購入。
 
この型のレンズは、4群5枚が普通なのですが、このレンズは前群の貼りあわせダブレットが2個入っていて、5群7枚になっています。前群は同じWrayのWynneが1950年に設計したF0.71のレントゲンカメラ用のレンズとほとんど同じです。後群はF1.0がクセノタール型、F0.71がゾナーF2型です。


これは第3群のダブレットです。ものすごい曲率ですね。


このレンズはその名の通り、小さなCRTの画像を多分映画用の35mmフィルムに複写するために使われたようです。多分CRTが暗くて、フィルムの感度が低かったのでF1.0まで明るくする必要があったのでしょう。さて、CRTとは何のCRTだったのでしょう。コンピュータではなさそうです。ENIACがこれより後の1946年。テレビでもなさそうです。1944ですと、レーダーかオシロスコープだと思われます。

実はこのレンズは4:1複写専用でして、バックフォーカスが異常に短いため、中古カメラ屋が一眼レフへのマウント改造をあきらめたものです。それならということで、私が挑戦してみました。

完成図。ペンキで絞り値が手書きしてありましたので、こちらを上にしてみました。


正面から見たところ。


たまたまEOSのマウントの内径と後玉の直径がほとんど同じ。マウントの内側をやすりで僅か0.1mm削って、金槌で打ち込むと、見事にEOSマウントの完成。とにかくミラーと干渉しないぎりぎりまで打ち込みます。


EOS 5Dによる画像。35mmフルサイズだと蹴られます。ハーフサイズ、つまり映画用だと思われます。ピントはレンズの先端から50mmのところに固定されています。ヘリコイドや蛇腹を入れる余裕は全くありません。EOSだと1:1マクロ専用という感じですね。そもそも一眼レフで使えるレンズではなにのですが、F1.0マクロレンズというのも面白いかと。


APS-CのEOS10Dだと、蹴られません。

それでは、F1.0からF4.0までの絞りによる画像の変化をご覧頂きましょう。因みに最小絞りはF4です。F4までしか絞れないのは不思議ですが、F1-4はF4-16と同じことですので、そんなものかなとも思います。
F1.0
F1.4
F2.0
F2.8
F4.0 ストロボを使っていないのでぶれています。
予想通りの結果です。マクロレンズをF1.0にすると大変面白い描写になりますが、一般的に使えるものではありません。実用上はF2.8かF4.0で十分ですね。私は普段レンズの撮影にオリンパスの50mm F3.5マクロを使っていますが、これでちょうど良い明るさだと思っていました。反面、何で明るいマクロがないんだろうと思いましたが、これで納得できました。

なにしろレンズの先端から5cm専用レンズですし、F4までしか絞れないので、ストロボをどうするか考えないといけませんね。F1.0ならストロボいらないか。


2006.8.30 オルソメターの周辺

ツァイスのメルテがオルソメターを設計する前に、似たようなレンズがいくつか作られています。大元となったのはフーフが設計したダゴールだそうです。プロターに薄い空気間隔を入れてアルディスがスチグマチックを作ったり、ルドルフがウナーやテッサーを作ったのと同じ理屈で、ダゴールに空気間隔を導入することで、輪帯球面収差を改善しました。

最初にシュルツ・アンド・ビラーベック社のアーバイトがオイリプラン(Euryplan)で特許を取り、フーゴ・メイヤー社も同じようなレンズを同じオイリプランという名前で製造していました。これを組み合わせレンズとしたザッツ・オイリプランというのもあります。メイヤーに移ったルドルフがこれを改良して(ほとんど同じように見えますが)ザッツ・プラズマットという名前にしました。1920年ごろのことです。

メイヤーでルドルフが設計したレンズは一般的にプラズマットと呼ばれるようですが、ザッツとキノとミニアチュアとマクロではかなりレンズ構成が違います。ザッツとキノは空気間隔入りダゴールに分類されますが、ミニアチュアとマクロ・プラズマットは前群がガウス型ですので、ガウス系の複合型に分類されるようです。

ツァイスのメルテが1926年に似たような構成のオルソメターを設計しています。非対称であることが他のレンズを違うらしいのですが、ザッツ・オイリプランも、ザッツ・プラズマットも前後で焦点距離が違うので完全に対称ではありません。断面は似ていても、きっとどこかが改善されているものと思います。イメージサークルが大きいという理由から、後年似たようなレンズが大判用に大量に作られていますが、一般的にオルソメター型と呼ばれています。何でオイリプラン型とかザッツ・プラズマット型と呼ばないのか不思議です。ツァイスのブランド力かもしれませんね。それと、ツァイスが特許侵害に厳しかったのに対して、シュルツ・アンド・ビラーベックなどのメーカーは鷹揚だったのかもしれません。

多くのメーカーがオルソメター型のレンズを大判用に作っていますが、大判用のオルソメター自体を目にすることはめったにありません。クックのトリプレット、ツァイスのテッサー、プラナー、ゾナーなどは大量に流通しているので、レンズの型名になっているのは分かるのですが、オルソメターがあまり流通していないのが不思議です。

いつものように、”写真レンズの歴史”(ルドルフ・キングズレーク著、雄倉保行訳、朝日ソノラマ)を参考にさせて頂きました。


2006.8.29 Orthometar 1:4,5 f=21cm

Orthometar 1:4,5 f=21cm Carl Zeiss Jena No 2073312. 1937年(昭和12年)のオルソメターです。オルソメター型は大判レンズでは一般的ですが、大判用のオルソメターそのものは、はじめて見ました。鼓のような外観も斬新で、割ときれいなレンズなのですが、あまり人気はないようです。ノンコーティングなので敬遠されるのかもしれません。似たような型のダゴール(オルソメターを分離型ダゴールとも言う)やプラズマット・ザッツと比べてみたかったという理由もあります。


正面からみるとあっさりとした近代的な外観。


210mmでF4.5ですので、口径はきっちり46mmほどです。単純ですね。


フランジが付属しています。結構大きい。


全長は7cmほど。中央のくびれたところに金色の絞り輪がある斬新なデザインです。金色の製造番号は2073312ですが、後玉には先頭の2を省略して073312と刻印されています。


このレンズの隠れた特徴は、後玉の中央に直径3mmほどの円が見えることです。カメラ屋さんのホームページに写真付で掲載されていました。そのカメラ屋さんによると、理由は分からないが最初からこういう設計なのだそうです。こんな傷がつくはずはないし、誰かが故意につけたとも思えないので、私もそうではないかと思います。実は、このレンズを買った最大の理由は、ここにあります。なぜこのオルソメターにはこんな円があるのでしょうか? ミステリーか、はたまたレンズ業界の常識か? どなたかご存知の方がおられたら教えて下さい。


2006.8.27 カール・モーザーのLynkeioskop

カール・モーザーが設計したゲルツのリンカイオスコープはラピッド・レクチリニアなのに、設計が1890年とずいぶん新しいので、おかしいと思っていたのですが、イエナの新ガラスを使っているようです。ラピッド・レクチリニアはすべて旧ガラスで作られていると思っていたのですが、そうじゃないんですね。同じ1990年に開発されたツアイスのアナスチグマット(プロター)とリンカイオスコープはそんなに変わらないのかもしれません。

またまた”写真レンズの歴史”からの引用。
”(カール・モーザーは)1885年の27歳の時、ゲルツに入社して風景用単レンズやイエナの新ガラスを用いたラピッド・レクチリニア・レンズを設計した。また、この新ガラスを使って1888年には、ゲルツ・パラプラナット(Goerz Paraplanat)、1890年にはリンカイオスコープ(Lynkeioskop)を完成した。僅か34歳の若さで1892年に亡くなり、跡をエミール・フォン・フーフが継いでいる。”

モーザーが死んだ直後に、27歳のフーフがゲルツにダブルアナスチグマット(後のダゴール)を持ち込みます。もしこの時代のレンズの歴史小説を書くとしたら、主人公はフーフがいいかもしれませんね。脇役はモーザー、ツアイスのアッベ、ショット、ルドルフ、ダルメヤーのアルディス、クックのテーラー。子役は幼少期のベルテレでしょうか。


2006.8.26 ちょっとした勘違い:H.W. Lee

イギリスのテーラー・テーラー・ホブスン(テイラー・ホブソン)社の歴史的に有名なレンズ設計者といえば、Horace William Lee (H.W. Lee, ホレース・ウィリアム・リー)です。 クックのトリプレットを設計したHarold Dennis Taylor(ハロルド・デニス・テーラー)はクック社に勤務しており、苗字は同じでも、ただテーラーホブソン社に設計図を渡して製造してもらっただけのようです。

で、何が勘違いかというと、リーさんはてっきり中国系イギリス人だと思い込んでいたわけです。さっき”写真レンズの歴史”(ルドルフ・キングズレーク著、雄倉保行訳、朝日ソノラマ)に載っているリーさんの写真を見たら、典型的なゲルマン系イギリス人だったので、勘違いに気づきました。痩せていて、髪の毛がもじゃもじゃのいかにもレンズ設計者という風貌でした。

いつものことで恐縮ですが、”写真レンズの歴史”からちょっとだけ抜粋させて頂きます。
”1913-36年まで、レスター州のテーラー・テーラー・ホブスンで光学設計者として働き、著名な写真レンズを何種類も設計した。特に優秀なものは1920年のオーピック(Opic)、1920年代後半のハリウッドのカメラレンズとして広く用いられたF2 スピード・パンクロ(Speed Panchro), 3色分解テクニカラーカメラ用の逆望遠レンズである”

”3色分解テクニカラー”というのはもうひとつ良く分かりません。テクニカラーの説明を読むと、プリズムとカラーフィルターを使って、1本または2本の白黒フィルムに撮影するようです。システム1の場合には、赤フィルターと青緑フィルターをかけた画像を1本のフィルムに連続して(1コマあたり2枚)います。システム2の場合には、シアンのネガとマゼンタのネガを作成し、貼り合わせてカラーとしているようです。システム3は何だかよく分かりません。いずれにしても、プリズムでの分光は2色としか思えず、3色分解と呼ぶのは営業戦略的なもののような気がします。

ちなみに、1942年に開発されたコニカカラーは完全な3色分解をするため、テクニカラーよりも鮮明だったそうです。


2006.8.25 とんでもない勘違い:ローデンストック

とんでもない勘違いをしていました。ローデンストックはスウェーデンの会社だとばかり思っていました。実はドイツの会社だったんですね。その名前の響きから勝手にスウェーデンかどこかの北欧の会社だと思い込んでいました。ローデンストックのレンズは中途半端に古いシロナーを一本持っているのですが、なぜか最初撮影したときの印象が悪かったのが勘違いの原因かもしれません。”写真レンズのメーカー別シリアルナンバー”で、”第二次世界大戦のせいで、ドイツのメーカーはほとんど生産が止まっています。その代わり、ローデンストックが急伸しています。”と書いたのは明らかに間違いです。ローデンストックもやはり第二次世界大戦の影響で生産が止まっていたようです。シリアルナンバーが増えているのは、何らかの別の理由ですね。ローデンストック社のホームページhttp://www.rodenstock.com/rod_web/com/en/content.jsp?id=documents/0000/00/00/40/16531.xml を見ると、1942年から終戦まで軍の支配下で戦車の照準などの軍需物資を生産し、戦争でミュンヘンの工場の40%が破壊されたと書いてあります。

従業員の努力によって戦後わずか4週間で生産を再開したと書いてあります。これは工場のあるミュンヘンがアメリカの占領下(U.S. ZONE GERMANY) であったことが幸いしたものと思われます。実際に本格的な会社の発展が始まるのは、1948年6月、西側三カ国が通貨改革を決定して「西ドイツ・マルク」 を創設した時点からのようです。

1940年の製造番号が950,000で、1945年が2,000,000です。実際にはこの期間は少ししか生産していないと思われますので、戦後の再スタートに際して、大きな製造番号からはじめたと考えるのが自然でしょう。あるいは戦車の照準などに大量の製造番号を割り振ったのかもしれないですね。シリアルナンバーが刻印されたかはともかく、軍事用の照準、望遠鏡、双眼鏡の類に大量のレンズが使われたのは間違いないですね。これらは写真用と違い、消耗が激しかったことと思います。


2006.8.24 ゴルフボールのディンプル

テイラーホブソン社の歴史 http://www.taylor-hobson.com/thethstorygolf.htm を読んでいたら、ゴルフボールのディンプルの開発の経過が出ていました。テイラーホブソン社の創始者のウイリアム・テイラーさんがゴルフボールのディンプルを開発したそうです。

1930年代、既にレンズと計測器のビジネスで成功を収めていたウイリアム・テイラーさんは医者のすすめもあり、趣味としてゴルフを始めました。当時のゴルフボールは表面がつるつるでした。表面が痛んだボールの方が良く飛ぶことから、でたらめなパターンを表面に刻んだボールが使われだしました。ウイリアムは科学的に最も良く飛ぶボールを作ろうと、ガラスの箱に煙を流した風洞を作って実験を始めました。その結果、ボールの表面の規則的なパターンを刻むと良く飛ぶことを発見し、奥さんのアイデアでディンプルボールと名付けました。

次にウイリアムはディンプル加工を行う機械を開発し、この新しいボールが量産できるようにしました。

さらにウイリアムはドライビングマシンを製作し、実際にボールを打たせてみました。マシンだと厳密にスイングのコントロールができるので、正確に飛距離の測定ができます。ディンプルのパターンを色々変えて、マシンで打ってみて、飛距離を測定し、ディンプルボールの改良を続けました。

今度ゴルフに行かれたときの薀蓄にいかがでしょうか? テイラーホブソン社を知っている人と同じ組で回られる幸運を祈ります。


2006.8.23 Opic情報不足

OpicについてWebで検索しても、ほとんど情報は見つかりません。歴史的には有名なレンズなのですが、元々あまり売れていないようです。オピックとエルノスターはどちらも1920年代に開発されたF2.0の明るいレンズです。エルノスターはエルマノックスというカメラとセットで販売され、暗いところでもフラッシュなしで撮影できるのと、その魅力的な外観から大人気となったそうです。それに対しOpicは単なる交換レンズだったため、あまり売れなかったようです。交換レンズと言っても、今のカメラのように簡単に交換できるわけではないのが痛かったのでしょう。明るいレンズを生かすには、手持ちで速写でき、なおかつオピックのような奥行きのあるレンズが取り付けられるカメラが必要ですが、当時そんな都合のいいものはなかったと思います。

それと有名な話ですが、ザロモン氏がエルノスターで撮った写真 http://fototapeta.art.pl/fti-salomon.html (れんずまにあさんに教えてもらいました) が紙メディアでもてはやされたのが大きいですね。フライデーの先祖です。エルノスターはエルネマン社がツァイスと合併された後も改良され続け、ゾナーとして今日まで作られています。一方オピックの製造元であるテーラーホブソン社は、クックのトリプレットというレンズの歴史の中で最も重要な製品を最初に作ったにもかかわらず、世間一般にはあまり知られていません。しかし、今でも工業用の測定器メーカーとして活躍しておられるようです。テーラーホブソン社の概略の歴史がhttp://www.taylor-hobson.com/thethstorymod.htmに書かれています。戦前ハリウッドで使われた映画用レンズではものすごいシェアを持っていたようです。もうちょっと詳しい歴史と、できれば昔のレンズの製造年表を掲載してくれるとうれしいのですが。


2006.8.21 Opic 5 1/2 INCH (写真用レンズ)

TAYLOR-HOBSON COOKE ANASTIGMAT No 125326 5 1/2 INCH SERIES O f/2
Made in England Patent No 157040

”写真レンズの歴史”(ルドルフ・キングズレーク著、雄倉保行訳、朝日ソノラマ)によると、(プラナーの)”第1期の流行が終わると、ダブル・ガウス型はしばらく設計者から忘れられていたが、1920年に再び現れ、テーラー・ホブソン社のH.W.リーが一般カメラ用に画角±23度で、F2まで明るくすることに成功した。(中略)このレンズはオピック(Opic)あるいはシリーズOと呼ばれ(略)” とあります。以前工業用の4 inchを買ったところ、大変面白いレンズだったため、写真用の5.5インチを購入しました。中古市場に出ている個数が少なく入手困難かと思いましたが、この前エルノスターを買ったアメリカの通販業者のところに在庫がありました。

刻印の拡大。SERIES O と書いてあるので、間違いなくオピックです。当時のカタログを見ると$281.5だったようです。


レンズを正面から見たところ。斜めの面の刻印してあるので、正面からは撮影しにくいです。


焦点距離約140mmでF2.0ですから、口径はきっちり70mmあります。単純ですね。結構大きいです。


このレンズはニコンFマウントに改造されています。ヘリコイドがついていて、2mくらいから無限遠までピントが合います。改造済みなので手軽に使えます。しかし元のレンズが大きくて重いので、140mmの割には持ち運びが結構大変。


マウントアダプタを介してキヤノンに取り付けたところ。レンズ全体を回すとヘリコイドが伸縮してピント合わせができます。根元のギザギザを回してもいいのですが、レンズの先の方を回した方が簡単そうです。レンズの中央の段差には特に意味はありません。ヘリコイドを口径をあわせるためだけだと思われます。


なかなかの迫力です。ヘリコイドだとAEが多分使えるので、撮影は至って簡単だと思います。一度バラバラに分解してみたいところですが、組み立てられなくなると困るので自粛。撮影が楽しみです。


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