EOS10D日記その47 ---ksmt.com---10D日誌---ご意見、ご感想などこちらまで---掲示板---email: ---


2013.7.29 Maison Dubroni of Jules Bourdin 3

Jules Bourdin氏は自分の会社の名前をBourdin社にしたかったようですが許されなかったようです。http://camera-wiki.org/wiki/Dubroniから引用します。

Maison Dubroniは19世紀にパリに存在したカメラメーカー。オーナーはJules Bourdin氏。DubroniはBourdinつづり換え。Westlichtのオークションには、彼の父親がBourdin姓を会社名あるいはカメラ名として使うことを嫌ったため、と書かれている。

Dubroni は湿板写真のために感光材の塗布、現像、定着をカメラ内部で行うことのできるカメラを製造販売したことで有名である。 Appareils Dubroni というのがカメラのシリーズ名。No. 1 - No. 6まであり、それぞれに名前が付いていた。Westlichtに出ていたNo.1 は Photographie de Pocheという名前である。


2013.7.28 Maison Dubroni of Jules Bourdin 2

WestLichtのオークションに下のセットが出ています。http://www.auction2000.se/auk/w.Object?inC=WLPA&inA=4&inO=708 から引用。ドイツ語なので読めませんが、湿板の撮影と現像を行うキットのようです。暗室がなくても湿板の撮影・現像できるというのは画期的ですね。立派なレンズキャップが付いているのは、カメラの内部を暗くするためですね。シャッターの代わりであり、かつカメラを暗室にするためでもあります。

これなら、アフリカやアジアに出かけて撮影できそうです。湿板は、撮影直前にガラス板を濡らし、乾く前に現像する必要があるため、暗室の近くでした撮影できないのですが、このキットはその欠点をカバーしているように見えます。1878年に写真乾板の工業生産が始まると、このようなキットは不要になり、使命を終えたのだと思います。


2013.7.27 Maison Dubroni of Jules Bourdin

Maison Dubroniというのが会社名で、Jules Bourdinが経営者の名前です。1860年代から1870年代に湿板現像機能付きのカメラを製造。ダルロー製のレンズが付いていた。(Photographic Lenses of the 1800's in France, Corrado D'Agostiniから引用) レンズにメーカー名が書かれていませんが、1865年にダルローが製造したと考えて良いと思います。


2013.7.26 Dubroni's

中将姫光学さんからDubroniのレンズをお借りしました。Gaudinの100mmとほぼ同じ大きさですので、スペックも同じ100mm F3.5くらいだと思います。


Dubroniのカメラには薬品を注入するするためのスポイドのようなものが付いており、湿板写真の撮影と現像が両方できるカメラだったようです。
http://freepages.genealogy.rootsweb.ancestry.com/~genealogyplanet/galleries_history_of_photography2.html
この資料から1865年(慶応元年)頃のレンズだと思います。

http://dingler.culture.hu-berlin.de/article/pj185/ar185106

現像はこのように行ったようです。

http://www.mhs.ox.ac.uk/cameras/item59.htm
http://www.christies.com/lotfinder/LotDetailsPrintable.aspx?intObjectID=4378430

このレンズにはふたつの大きな特徴があります。

ひとつめは、ピント合わせ機能が単純なネジ止めだということです。ピントが合う位置までレンズを手で引っ張り出して、または押しこんで、ネジで止めます。


もうひとつの特徴は、フードが二個付属していることです。


左側の長いフードは風景用で、直径7mmくらいの小さな穴が開いています。これは絞りの役目をし、F15-F20くらいになると思います。右側は人物用のフードで絞りは開放です。



風景用のフードにはPaysageと刻印されています。Paysageは単に風景といういみだと思います。


M42の中間リングを張り付けて改造完了。短いフードを取り付けたところ。


長いフードを取り付けたところ。


M42-M42のヘリコイドに取り付けて撮影します。無限遠はビスで調整できるので便利です。


2013.7.8 Thambarの名前の由来

photo.netを見るとギリシャ人のTri ElmarさんがJan 13, 2006; 12:51 a.m.に次のように書いています。

Origin of the name "Thambar"

Since I am Greek I can help you with this: "Thambo" means blurred, not sharp, not clearly visible and the exact meening that a Greek understands as "thambo" is how a short- sighted person sees without his/her eyeglasses.
Secondary meaning: The verb "thambono" means "making something look blurred". "Thambothika" means my eyes can not see clearly. Now, note this one: after a flash of light right in your eyes you can't see very well for some seconds, can you? So, an object or a person of "flashing" beauty can make your eyes "thamba" for a while. This is the secondary (metaphorical) use of the word "thambo" and the reason why you read the explanation "something that amazes", but we only use it to express physical beauty.
Most often used expression: "Me thambose me teen omorfia tis" that means "she made my eyes see blurred with her beauty"
Thambar got the name from "thambos" because it produces "thambes" images. (Don't get confused from "-bo, -bos, -bes, -ba" etc, they are just for male/female/neutral and singular/plural use :O)

ギリシャ語の"Thambo"は、ぼんやりとした、シャープではない、はっきりと見えない、という意味があります。ギリシャ人は、近眼の人が眼鏡をかけないで遠くを見た、という情景が浮かびます。
フラッシュが直接目に入った後は、目がくらんでしばらく見られない、という意味もあります。ここから転じて、大変美しいものを見た後、しばらく目が見えなくなる、という意味があります。よく使われるのは美人をほめる時で、あまりに美しくて目がくらむ、目がくらむほど美しい、と言う時です。

これは信憑性のある説ですね。Thambarは、「ぼんやりとしているが、目がくらむほど美しい」


2013.6.29 Annie Ross

Twisted作曲者はAnnie Rossです。1959年にAnnieの歌うTwistedのビデオが公開されています。チャーリーパーカーの影響を強く受けているようで、面白いです。Annie RossはLambert, Hendricks & Rossとしての活動が有名です。早速Annie RossのTwistedというCDを取り寄せました。輸入版ですが、一週間ほどで到着。


2013.6.13 SHANTIJazz en Rose

SHANTIJazz en Roseを聞いているのですが、素晴らしいです。特に、Dat DereとTwisted は秀逸。


2013.5.29 家常菜

中国語のレッスン用に「家常菜」という作文を作りました。家常菜は普段食べる家庭料理のことです。できるだけ手間を省いて手早く作れる料理です。、また、できるだけ調味料を減らして失敗を防いでいます。調味料を入れすぎが失敗の大きな原因ですので、調味料不要のレシピにすれば失敗はかなり防げます。ピンインのルビを振りたかったので、PDF形式にしました。家常菜をクリックすれば、ピンイン付き中国語、ピンインなし中国語、日本語で書いたレシピが見えます。


2013.5.26 松崎ナオ

SHANTIのJazz en RoseというCDを聞いていたら、「木綿のハンカチーフ」をカバーしていました。私は椎名林檎が歌う「木綿のハンカチーフ」が好きなのですが、他にも大勢の歌手が「木綿のハンカチーフ」をカバーしているようです。「木綿のハンカチーフ」を調べたら、
 椎名林檎(2002年) - カバーアルバム『唄ひ手冥利?其ノ壱?』に収録(松崎ナオとのデュエット)。
と書いてあります。椎名林檎がひとりで歌っているとばかり思っていました。うまいこと声を使い分けるなぁと感心していたのです。よく聞くと確かに二人で歌っています。松崎ナオは初めて聞く名前ですが、なかなか歌が上手いようです。ちょっとCDを聞いてみたいと思います。


2013.5.7 橿原考古学研究所

5月1日に近鉄畝傍御陵前にある奈良県立橿原考古学研究所を訪問。運よく水田の発掘を担当されたの方に直接話を聞くことができました。担当者の方の話によると、

1. 縄文後期の遺跡が奈良盆地の一番低いところにも存在するので、縄文後期には既に古奈良湖は消滅していたと考えられる。法隆寺付近に古奈良湖が7世紀頃まであったという説は、どうやら間違いのようです。(ただし、洪水による一時的な冠水はあったかもしれません)

2. 大和川は人工的に掘削しなくても奈良盆地の水を排水可能。古墳時代には船が航行出来たようである。私は大和川を人工的に掘削して奈良盆地から排水し たと思っていたのですが、そうでなないようです。大和川を船が航行できないので、木津川か吉野川を使うしかないと思っていたのですが、大和川も物資の輸送 に使えたのだそうです。(ただ、がけ崩れなどにより、一時的に大和川の水運が停止することはあったかもしれません)

3. 水田の後の発掘は難しい。良い場所は、弥生時代から現在までずっと水田として使われているので、昔の水田跡は存在しない。弥生時代に水田が洪水で砂 に埋まり、その後水田として使われなくなった所しか発掘できない。したがって、弥生時代に存在した水田の全体的な分布を知ることはできない。

忙しいところ、丁寧に発掘結果に基づく説明をして頂き、ありがとうございました。

古事記以前のほとんど書物は存在しないので、考古学的研究、すなわち発掘調査に頼るしかありません。奈良盆地の発掘調査を数多く行っている奈良県立橿原考古学研究所の専門家の話を聞いて、だいぶ現状が把握できました。


2013.5.6 ぷう吉

京都の円山公園でアコースティックギターの路上ライブを行っていたのは「ぷう吉」氏。小沼ようすけの曲を演奏していたので、何気なくプロフィールを見ると、大学の後輩でした。大学のサークルの話題でしばし歓談。「ギターガールの冒険」というCDを本人から購入。転校初日Summer Time がなかなか良いです。ソロギターコンテスト”フィンガースタイル・アレンジ・コンペティション(FAC)”のプロフェッショナル部門の初代優勝者だそうでして、なかなかの腕前。応援したいと思います。


まじめに演奏しているところも撮影したのですが、この写真の方がよさそうです。1842年(天保13年)頃パリで製造されたAlexis Gaudin N P Lere Paris 1816というレンズで撮影。


2013.4.27 蒸気船の歴史

草津宿場祭りの予習をしていたら、気になるのは黒船、すなわち蒸気船の歴史です。Wikipediaの蒸気船の項目を見ても、1953年の黒船来航で人々が驚いたのは、単に大きな船を見たことがなかったからだと思われます。徳川幕府は大型船舶の建造を禁止していましたから、東京湾に大型船舶が入ることはなかったのだと思います。江戸時代以前には、瀬戸内海沿岸の大名は大型の軍船を建造していました。これは徳川幕府にとっては脅威ですので、大船建造の禁を出す必要があったようです。

鉄砲が伝来するとすぐに鉄砲の国産化が進んだように、蒸気船もすぐに建造がはじまります。黒船を見た刀鍛冶や鉄砲鍛冶の職人は、即座にその製造方法を理解したはずです。必要なのは、ただ規制緩和だけ。そういう意味では人々が驚いたのは徳川幕府の規制が時代遅れであるjことが明るみに出たことかもしれません。

1635年 慶長14年9月の大船没収令
1635年 寛永12年の大船建造禁止令
1648年 寛永15年の大船建造禁止令
1663年(寛文2年)、「五百石以上之船停止之、但荷船者制外事」
1783年(天和3年)、「荷船之外、大船は如先規停止之事」
1710年(宝永7年)、「荷船之外、五百斛以上の大船を造るへかさる事」
1783年 世界最初の実用的な蒸気船。仏のクロード・フランソワ・ドロテ・ジュフロワ・ダバン
1788年 アイザック・ブリッグスとウィリアム・ロングストリートが蒸気船の特許取得
1807年、仏のニエプス兄弟がピレオロフォールという内燃機関を発明。船に搭載しセーヌ河で航行に成功
1809年 ロバート・フルトンが改良設計した特許を取得し、商業的に成功
1829年 仏のエリアン・ガロウェーは、パドルが常に垂直になるように改良した外輪を考案
1836年 英のフランシス・ペティ・スミスがスクリュープロペラの特許を取得
1837年 スウェーデン人ジョン・エリクソンが「フランシス・B・オグデン」号fで100トンの石炭はしけ4隻を5ノットで曳く
1839年 ジョン・エリクソンのストックトン号はプロペラを2つから1つに改造を受けた後、デラウェア川の曳き船となった。
1845年 イギリス海軍はスクリュープロペラと外輪の性能比較。スクリューの勝利
1850年 船舶総トン数では帆船9に対して蒸気船1の比率
1850年 初の汽走90門戦列艦であるフランス海軍のナポレオン号完成
1851年 薩摩藩が蒸気機関の製造を試みる
1852年 イギリス海軍でも1852年には最初から汽走91門戦列艦として建造されたアガメムノン号が就役
1853年 シノープ海戦で蒸気船を中心とするロシアの黒海艦隊がオスマン軍の帆船を撃破
1853年 ペリーの黒船来航
1854年 嘉永7年1月にペリーが再来航し、日米和親条約を締結。諸藩に対して大船建造を解禁
1855年 薩摩藩江戸藩邸において蒸気機関の陸上での試運転に成功。「雲行丸」へ搭載。
1855年 オランダから「観光丸」を寄贈。外輪式
1856年 アロー戦争では機動力に富んだ喫水の浅い汽走砲艦が有利と判明
1857年 宇和島藩、実験的な蒸気船を建造
1857年 オランダから「咸臨丸」寄贈。スクリュー式
1865年 佐賀藩が「凌風丸」を竣工。外輪式
1866年 幕府の軍艦「千代田形」竣工、スクリュー式

やはり日本はそんなに遅れていなかったようです。1853年にシノープ海戦でロシアの海軍がオスマンの帆船を撃破したことにより、蒸気船の軍船の優位性が証明されました。オスマンの帆船は多分風がなくて動けなかったようで、風がなくても動ける蒸気船にやられたようです。また1856年のアロー戦争では浅い河川動ける蒸気船が有効だったようです。喫水の深い大型帆船は浅いところには入れません。

日本人もこのことは良く知っていたはずです。薩摩藩ではペリーの黒船の前から蒸気船の研究を始め、二度目に黒船が来た翌年には「雲行丸」が竣工しています。軍船として蒸気船が優位であることが実証されたというニュースとほぼ同時にペリーの黒船がやってきたので、皆恐れたのだと思います。もしペリーが十年ほど早く1843年に来航していたとしても、まだ蒸気船が軍船として認められておらず、不細工な船としてバカにされたかもしれません。

写真を発明したニエプス兄弟が1807年にフルトンより前に開発したピエオロフォールは蒸気機関ではなく内燃機関でした。その上、推進力には外輪でもスクリューでもなくパルスジェットを使っており画期的でした。しかし、それでもニエプス兄弟は有名にはなりませんでした。当時は商業的に成功した人の方が有名になったようです。


2013.4.25 草津宿場祭り予習

4月28日(日)にに草津で行われる宿場祭りの準備。宿場祭りのメインイベントは『天璋院篤姫大奥輿入れ道中』と、和宮の『皇女和宮徳川家茂公御降嫁行粧列』。この時代の歴史と、写真レンズの歴史をひとつの年表にまとめてみました。要するに、宿場祭りでレンズの自慢をするための準備です。遠山左衛門少尉影元は宿場祭りともレンズの歴史とも関係ありませんが、遠山の金さんが奉行をしていた時代のレンズと説明すると、結構受けるので強引に入れました。

1833 癸巳 天保 4 ニセフォール・ニエプス死去
1834 甲午 天保 5
1835 乙未 天保 6 篤姫誕生
遠山影元、小普請奉行就任
1836 丙申 天保 7 遠山影元、左衛門少尉就任
1837 丁酉 天保 8 英ビクトリア女王即位
1838 戊戌 天保 9 遠山影元、勘定奉行就任
1839 己亥 天保10 ダゲレオタイプ発表
ペッツバールがF3.6のレンズを設計
1840 庚子 天保11 ペッツバール・レンズ試作品完成
中国でアヘン戦争勃発
遠山影元、北町奉行就任
1841 辛丑 天保12 Gaudin/Lerebours 140mm
1842 壬寅 天保13 Gaudin/Lerebours 100mm
ペッツバール・レンズ銀賞受賞
1843 癸卯 天保14 遠山影元、大目付就任
1844 甲辰 天保15
弘化 1
(こうか)
1845 乙巳 弘化 2 遠山影元、南町奉行就任
1846 丙午 弘化 3 和宮内親王誕生
1847 丁未 弘化 4
1848 戊申 弘化 5
嘉永 1
(かえい)
フランス、ナポレオン三世大統領
1849 己酉 嘉永 2 Voigtlander Wirn 3626
1850 庚戌 嘉永 3 中国で太平天国の乱
1851 辛亥 嘉永 4 和宮、有栖川宮熾仁親王と婚約
ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール死去
Archerが湿板写真を発明
1852 壬子 嘉永 5 遠山影元、南町奉行辞職
1853 癸丑 嘉永 6 篤姫、薩摩から陸路江戸城へ輿入れ
ペリー浦賀入港
1854 甲寅 嘉永 7 ペリー日米和親条約締結
安政 1
(あんせい)
安政の大地震
1855 乙卯 安政 2 安政江戸地震
遠山影元死去
1856 丙辰 安政 3 篤姫、徳川家定の正室になる
1857 丁巳 安政 4 中国でアロー戦争
1858 戊午 安政 5 徳川家定死去、島津斉彬死去
ペリー死去
John Waterhouseが絞りを発明
1859 己未 安政 6 安政の大獄
1860 庚申 安政 7
万延 1
ダルマイヤー、ロスから独立
1861 辛酉 万延 2 和宮親子内親王降嫁
アメリカ南北戦争勃発

2013.4.21 Alexis Gaudin 1816刻印

中将姫光学さんからAGという刻印があると聞いていたのを思い出しました。良く見ると、確かにあります。

右方に何か書いてあります。


拡大すると、A G 8667と読めます。A Gはガラスの鉛筆書きと同じAlexis Gaudinだと思います。8667はカメラの製造番号かもしれません。ガラスに鉛筆書きしてあった番号は1816または1316ですがら、かなり違います。Gaudinが作った8,667台目のカメラに取り付けれら他レンズかもしれません。Voigtlanderの10,000本目のレンズが1862年だと本に書いてあります。Gaudinのカメラの製造台数はVoigtlanderのレンズの数よりは格段に少ないと思います。また、このレンズは1840年代に製造されたと思われますので、さらに少ないはずです。なのでこれは製造番号ではないと思います。では何の番号かというと、それは謎です。


2013.4.20 Olasonic TW-S5購入理由

日経エレクトロニクスという雑誌のドキュメンタリーにOlesonicを開発した東和電子の話が出ていました。2008年、ソニーを退職した山本氏は東和電子の社長に就任します。それまでは大手メーカーからの請負仕事で業績がよかったのですが、社長就任直後のリーマンショックで仕事が減り、いきなり倒産の危機を迎えます。

そこで山本氏は自社ブランドのスピーカーの製造販売を行うことを決断します。それまでは下請け仕事とは違い、自社ブランドには大きなリスクがあります。元請けと競合関係になり、下請け仕事をさらに減らす危険もあります。USB2.0バスパワー(5V, 500mA)で10W+10Wの出力を出せるアンプの基板を作ってメーカーに持ち込みますが、評価すらしてもらえません。

それから数々の苦難を乗り越えて自社ブランドのスピーカーの立ち上げに成功する、というストーリーです。この手の話はいつも大変興味をそそられます。近所の量販店で聞いてみると、OlasonicのスピーカーはUSBバスパワーなのに出力が大きいので人気があるとのこと。入荷数は少ないそうですが、幸いTW-S5は全色揃っていたので白いのを購入。8,580円也。

USBバスパワーにしては良い音がします。会社でその話をしたら、東和電子の人を知っているとのこと、私も以前業界のゴルフコンペでご一緒しているはず。Olasonicはどんどん新製品を出しているようですので、今後も注目していきたいと思います。


2013.4.19 Olasonic TW-S5購入

パソコンのUSB 2.0のバスパワーで動く10Wx10Wのスピーカーです。USB 2.0は5V 500mAなので一般には2.5Wしか電力を得られません。これでは十分大きな音を出すことはできません。良い音で鳴らすには10W+10W=20Wほしいところです。一方、音声信号は振幅が変動し、10W必要となるのはほんの一瞬です.。このスピーカーには大きなコンデンサが入っており、内蔵された10W+10Wのアンプをうまく駆動することができます。

スピーカーの撮影にはAlexis Gaudin N P Lere Paris 1816を使用。


このレンズは1840年代に製造されたものですが、とてもよく写ります。


2013.4.18 Alexis Gaudin 1816測定

EF 70-200 F4Lとの比較によるAlexis Gaudin 1816の明るさと焦点距離の測定


Alexis Gaudin 1816 1/30s


EF 70-200mm F4L 97mm 1/25s F4.0

キヤノンより1/3絞りほど明るく、少し狭角であることから、F3.5 100mmと判定します。


2013.4.17 Alexis Gaudin 1816改造

Alexis Gaudin N P Lere Paris 1816 のEOSマウントアダプタを製作。

ガラクタ箱を探すと、ぴったりはまる座金が見つかったので、これと52mmフィルター枠を接着してアダプタの製作完了。


これをくるくるとレンズの装着。


M52-M42ヘリコイドに取り付け。


M42-EOSアダプタを介してEOSに取り付け。


最後に革でキャップを製作して改造完了。1840年代のレンズがデジカメで使えるようになりました。


2013.4.16 Alexis Gaudin 1816解読


フランス語の大文字の筆記体が、最初か最後にくるりと輪を描くようです。なので、これは N と書いてあるようです。


これはどうやら P Lereと書いてありようです。Pは細くなっていますが大文字のようです。Pと少し重なってLereと書いてあるようです。レンズを回しながら鉛筆で小さな文字を書くのは難しく、重なってしまったようです。

これはどうやら N P Lereと読むのが正しいようです。Lereは多分Lereboursの省略。つまりレンズの製造者であるNoel Paymal Lereboursのサインということです。GaudinとLereboursが一緒に写った写真があります。GaudinのカメラにはLereboursのレンズを使っていたという記録があり、予想通りの結果ではありますが、なかなか楽しい謎解きでした。

Alexis Gaudin N P Lere Paris 1816


2013.4.15 Alexis Gaudin 1816

Alexis Gaudin er Mere Paris 1816

A. Gaudinと刻印されたレンズのことを書いたら、中将姫光学からAlexis Gaudinと書かれたレンズを持っているとの連絡。レンズのコバに鉛筆で直に書いたてあるとのこと。鎌倉祭りでそのレンズをお借りして調査しました。


焦点距離は100mm前後のようで、ペッツバールにしては大変小さいレンズです。


ラックアンドピニオンギヤはスムーズです。


絞り機構はまったくありません。絞りができる前の大変古いレンズです。


スムーズに分解できます。真鍮の旋盤加工の技術は高いです。右下の貼りあわせレンズの側面に鉛筆で文字が書いてあります。


Alexis


Gaudin


er 意味不明


Mere? Here? 意味不明


Paris


1816? 意味不明?

Alexis Gaudinとはっきり読めます。1816年ということはあり得ないので、製造番号かもしれませんし、住所かもしれません。


2013.4.8 通話用マイク

audio-technica AT338iS (1280円也)を購入。スマホの4端子ミニプラグ用のマイクロホン付き延長コードです。これでヘッドホンをした状態で電話の通話ができます。


賢明な読者は既にお気づきと思いますが、ヘッドホンのコードを短くしたので、マイクロホンがちょうど口元に来るようになりました。

電話の着信があるとヘッドホンの音楽がミュートされ、着信音が鳴ります。マイクのボタンを押すと電話を取ることができます。スマホをホケットや鞄に入れてiPodで音楽を聴いていると、着信に気付きにくいのですが、これだと絶対に気付きます。スマホをポケットやカバンから取り出す必要もありません。スマホの付属のイヤホンで実現されていることが、ヘッドホンでも実現できただけなのですが、ヘッドホンを自由に選べるという利点があります。


BOSEなんかはヘッドホンにマイク付きのコードが付属しているようです。今後はこのような形式のヘッドホンが増えるのではないかと思います。


2013.4.7 SHURE SRH440改造

改造というほど大げさなものではありません。SHURE SRH440はコードが分離できるので、ただコードを短くしただけです。

短縮後の全長は約12cm。


コネクタのカバーをずらしてはんだ付けしなければならないので、これ以上短くするのは難しいです。


SRH440に取り付けたところ。iPod Shuffleは軽いので、ぶらぶらしていても抜けることはありません。


切断したカールコードはもったいないので、メスのステレオジャックを取り付けました。これでオリジナルと同じ長さになります。もちろん他のヘッドホンの延長コードとしても使えます。


2013.4.6 SONY MDR-CD900ST改造

SONY MDR-CD900STは音質が良くて長時間聞いていても疲れないので気に行っています。ただし、スタジオ用なのでコードが長くて大きな標準ステレオプラグが付いています。これを3.5mmのミニプラグに変換して使うので、コードとプラグが結構かさばります。冬はコートのポケットに入れておけばよいのですが、暖かくなると困ります。そこで、思い切って改造することにしました。

まず、コードを短く切ります。


三芯のコードでアースを共有しています。白が左、赤が右、黒がアースです。


ステレオミニジャックをはんだ付けします。右側は今回取り除いた部分。かなり大きいです。


配線を金具の穴に通してはんだ付けします。(ちょっと盛りすぎ)


最後に余分な配線を切り取って完成。


コードが短くなってすっきりしました。


iPod Shuffleを取り付けたところ。音源付きヘッドホンですので、コードが邪魔になることはなくなりました。iPod Shuffleはアルバム名、曲名、電池残量などを音声で読み上げてくれるので、手探りで操作できます。なので頭の横にあっても何ら問題ありません。コードが短くなって、音質も若干改善された気がします。


2013.4.5 モダンガール復興計画

モダンガール復興計画が4月5日から24日まで西荻窪のニヒル牛2で開催されます。お近くの方はのぞいてみてください。私も写真撮影でちょっとだけ協力しています。

http://nihirugyubook.but.jp/ ニヒル牛マガジン
http://projectmoga.jugem.jp/ モダンガール復興計画についてのブログ


2013.4.4 iPhoneで中国語入力

遅ればせながらガラケーからスマホに買い換えました。iPhone 5です。中国語の手書き入力の認識率が高く、便利です。
三本指ダブルタップを習得したので、画面表示を任意の倍率に拡大できます。老眼でも特に問題ないようです。


2013.4.3 Gaudinのカメラ

CHRISTIE'sでA. Gaudinのカメラを見ることができます。
Nouvel Appareil Gaudin daguerreotype camera


2013.4.2 Alexis Pierre Ignace Gaudin

Alexis Pierre Ignace GaudinはMarc Antoine Gaudinの兄弟で、有名な写真家。1850年代から1860年代にかけて写した室内装飾用のステレオ写真で成功した。しかしこの写真はMarc Antoine Gaudin名義になっています。兄弟でステレオ写真を撮っていたようです。

Gaudin兄弟に関する記載を見ると、写真の名義はやはりMarc Antoine Gaudinです。このサイトで多くのステレオ写真を見ることができます。多分、兄と弟の仕事を分けて考える必要はなく、Gaudin兄弟がカメラの設計、感光材の開発、写真の撮影を行ったと考えても良いと思います。


2013.4.1 江利チエミ ジャズを歌う

椎名林檎と笠置シズ子以外にも優れたジャズ歌手がいるのではないかと思い、アマゾンで少しCDを買ってみました。廃盤になっていても中古が買えるので助かります。まずは」江利チエミ ジャズを歌う」です。

歌がうまいので驚きました。天才歌手と言って差し支えないと思います。歌声は話し声と全く同じで、話すように歌っています。迷ったようなところは全くありません。実写版のサザエさん役の印象が強いのですが、サザエさんが豪快にジャズを歌っているような感じです。

カウント・ベイシー・オーケストラを従えたライブ録音の「キャリオカ」の出来が良いと思います。


2013.3.31 Marc Antoine Gaudin

Gaudinがゴードンと読むのだと勝手に思っていたのですが、どうやらゴーダンと読むのが普通のようです。Marc Antoine GaudinについてCorrado D'Agostini氏のPhotographic Lens of the 1800's in Franceから抜粋して翻訳します。

「Marc Antoine Gaudin(1801-1880b)は光学と写真術に数十年にわたり貢献した化学者だった。GaudinはLerebourと協力してカメラを開発し、写真スタジオを開いた。Gaudinは'liqueur Gaudin"(ゴーダンのリキュール)と呼ばれるものを開発した。これは高感度の感光材で、ルルブールの高速レンズとともに使用することにより、当時としては短時間の露光で撮影することができた。この液体は毒性が強かったらしくGaudinはこの薬品の中毒で死んだようだ。」

ゴーダンとルルブールが一緒に写った写真と、ゴーダンのリキュールで撮影した風景写真(遠くの移動中の馬車が止まって見える)が掲載されています。1840年代のパリは、ダゲレオタイプの話題で大いに盛り上がっていたようです。


2013.3.30 Thambar EOS 改造

Thambarはレンズヘッドとヘリコイドがスクリューでつながっているだけなので、手でくるくると回すだけで分解できます。そのレンズヘッドを52mmスクリューのヘリコイドに装着すれば、すぐに一眼レフで使用することができます。ヘリコイドはeBayなどで買うことができます。

ThambarのレンズヘッドのスクリューはM42よりは少し太く、ミランダの44mm中間リングよりは少し細いです。今回はニコンの52mm中間リングの内側に4mm程度の硬い牛革を貼り、そこにねじ込む方法を採用しました。スクリューがぎりぎり入る太さに調整し、平行にねじ込んでいきます。皮の表面にねじが切られ、ちょっとやそっとでは抜けません。振動でゆるむこともありません。思い切りねじれば取り外して元のライカスクリューマウントに戻すことができます。


ねじ込むとこんな感じになります。革ネジの良いところは、
1. ほぼタダ。(革と接着剤が家にあるので)
2. 外形と内径の差が0.5-8mmくらいの広い範囲で対応可能
3. きつく作れば抜け落ちることはない。

欠点は、
1. カビる可能性がある
2. 数年なら大丈夫だが、数十年の長期使用には向かない
3. 重いレンズには向かない(1.5Kgくらいまでなら実績あります)


ヘリコイドに取り付けたところ。


カメラに取り付けたところ。90mmですが、レンズが太いのでヘリコイドの中に押し込むことはできす、かなり薄い金具でヘリコイドと接続しています。


2013.3.29 Gaudinの刻印

Gaudinの刻印の写真が不鮮明でしたので撮り直しました。A. Gaudin Montmartre 76 Paris

一体型のフードの端に刻印されています。なぜこんなぎりぎりのところに刻印されたのかは不明です。普通のLereboursのレンズは鏡胴の真ん中に大きな字で刻印されています。昔はレンズが手作りでしたので、レンズメーカーの名前ではなく、お客さんの名前を刻印することがよく行われていました。レンズ本体ではなく、フードに刻印するのは合理的だったのだと思います。


2013.3.28 Thambar

Ernst Leitz Wetzlar Thambar f=9cm 1:2,2 No 472401

以前借用して非常に気に行ったThambarを入手しました。1938年(昭和13年)製造。ライツのレンズではSummarex 1.5/85, Hektor 1.9/73, そしてこのThambar 2.2/90が好きです。

斜めの面に刻印してあるので、文字を撮影しにくいです。


オリジナルのセンターフィルター付き。フィルターは新品同様で、使われていなかったようです。


ライカのレンズに詳しい友人が良いものを見つけてくれたので助かりました。


2013.3.27 Gaudin Montmartre 76 Paris

1842年(天保13年)頃製造フランスのパリで製造されたレンズ。焦点距離約140mm F3.5くらい。19世紀のフランス・レンズの研究者に問い合わせたところ、Gaudinはレンズは製造していないはずなので、多分Lereboursが製造したと思われるとのこと。Gaudinは独自の高感度感光材と専用のカメラを製造しています。このレンズはGaudinのカメラに取り付けられたレンズだと考えられます。

ダゲールが最初の写真術であるダゲレオタイプを発表したのが1939年ですから、その3年後ということになります。


このレンズはパッツバール型です。絞りは付いていません。まだ感光材の感度が低く、絞る必要はありませんでした。


このレンズのラックアンドピニオンギヤとノブは後年レストアされたものです。なので、年代が古いわりには骨董品的な価値は低いようです。


分解すると、典型的なペッツバールレンズでした。ウィーン大学のペッツバール博士がこのレンズを設計したのが1839年(ダゲレオタイプ発表と同年)。1840年5月に試作品完成。フランス国民産業振興委員会で審査され、1842年3月に銀メダルが贈られています。審査ではフランス人であるシュバリエのレンズに負けてしまったのですが、なにしろフランス国民産業振興委員会が選定する賞ですから、当然だと言えます。そんなこととは無関係に、ペッツバール型はフランスでも早々と生産されたようです。Guadinは独自の高感度感光材と、この明るいレンズを使ってダゲレオタイプに比べて格段に短い露出時間を実現したようです。


割と焦点距離が短く小型なので、M42のヘリコイド用に改造。背面に貼ったセロテープで、ノブの角度を調整しています。ノブが下に来ると、カメラを置いたときに曲がる危険性があります。


このヘリコイドはトラベルが長いので、大幅にオーバーインフでも何ら問題ありません。


EOS 5Dに取り付けたところ。


2013.3.14 椎名純平 with 篠原涼子

Time of GOLD (作詞:おちまさと 作曲:椎名純平・秋田慎治、歌:椎名純平 with 篠原涼子)は2003年頃カナダドライ ジンジャエールのテレビCMに使われた曲。椎名純平は椎名林檎の実兄。ジャズアレンジで大人の雰囲気。


2013.3.13 笠置シズ子

日本で作詞作曲された4ビート名曲を探したら二曲だけ見つかりました。どちらも名曲です。
東京ブギウギ 昭和22年 歌:笠置シヅ子 作詞:鈴木勝作詞、作曲:服部良一
買いものブギ 昭和25年 歌:笠置シヅ子、作詞・作曲は服部良一(作詞は村雨まさを名義)


2013.3.12 椎名林檎ちょっとだけ4ビート

8ビートやラテンのリズムで曲を初めて、途中でアクセントとして4ビートに変える、ということを椎名林檎(または東京事変)は時々やります。単調な曲に変化を与えることができ、なかなか効果的なアレンジだと思います。2013.3.14追加。

アルバム 曲名 作詞 作曲
教育 御祭騒ぎ 椎名林檎 椎名林檎
教育 すべりたい 椎名林檎 椎名林檎
教育 サービス 椎名林檎 H是都M
大人 秘密 椎名林檎 椎名林檎

2013.3.11 椎名林檎が歌うジャズ

椎名林檎のジャズアレンジの優れた歌をたくさん発表しています。スタンダード・ジャズは古いポップスや映画音楽のメロディーとコードを借りてきてアレンジしなおしたものですし、ジャズミュージシャンの新曲は歌詞がないものが多いです。ですので、日本で作詞作曲されたジャズアレンジの優れた歌曲は非常に少ないです。私が思い出せるのはわずかに美空ひばりの「お祭りマンボ」と「日和下駄」だけ。(「日和下駄」は面白いので是非聞いてみてください。美空ひばりが若いころはジャズと日本の伝統音楽(小唄や民謡の類)しかなかったので不思議ではないのですが)。

椎名林檎がジャズアレンジで歌う曲には次のようなものがあります。どれも大変魅力的です。(他にもあると思いますが、とりあえず思いついたものだけ) 2013.3.12修正。

アルバム 曲名 作詞 作曲
三文ゴシップ カリソメ乙女 椎名林檎 椎名林檎
三文ゴシップ 色恋沙汰 椎名林檎 椎名林檎
私と放電 輪廻ハイライト 椎名林檎 椎名林檎
私と放電 シドと白昼夢 椎名林檎 椎名林檎
平成風俗 椎名林檎 椎名林檎
平成風俗 錯乱 椎名林檎 椎名林檎
平成風俗 パパイヤマンゴー SID WAYNE DEE LIBBEY
深夜枠 その女ふしだらにつき ローレンツ・ハート リチャード・ロジャース
大発見 ドーパミン 椎名林檎 伊澤一葉
大発見 女の子は誰でも 椎名林檎 椎名林檎
唄ひ手冥利 Jazz A Go Go ロベール・ギャル アラン・コラゲール
唄ひ手冥利 枯葉 ジャック・プレヴェール ジョゼフ・コズマ
大人 喧嘩上等 椎名林檎 椎名林檎

2013.3.10 しろねこ食堂

JR長岡京駅から徒歩約13分のところにしろねこ食堂があります。京都駅に着いたら雨と強風で荒れ模様の天気だったので、撮影はあきらめ、久しぶりにしろねこ食堂にお邪魔しました。自然食品を使ったおいしいランチを頂きながら、楽しい雑談。


2013.3.1 SONY MDR-CD900ST

友人からSONY MDR-CD900STを進められ、量販店で聞いてみたところ非常によかったので購入。CBSソニー信濃町スタジオ(現:ソニー・ミュージックスタジオ)で使用することを目的として開発された業務用のヘッドホンだそうです。軽くて耳にぴったりとフィットします。

評判通り、優秀なヘッドホンのようです。しばらく使ってみたいと思います。


2013.2.28 ヘッドホンアンプ Fiio E3

iPod Shuffleはヘッドホンに比べてあまりに小さいのでアンプが非力かもしれないと思いヘッドホンアンプFIIO E3を試してみました。FIIO E3は単4電池一本で動き、大きさは単4電池の二倍程度です。iPod Shuffleにはデジタル出力がないので、アナログ入力だけのFIIO E3で十分ではないかと思い購入。980円也。


ヘッドホンアンプFIIO E3の仕様。
■ポータブルヘッドホンアンプ
■出力:70mW(32Ω)/12mW(300Ω)
■SN比:≧90dB
■歪み率:<0.05% (10mW)
■周波数特性:10Hz〜40KHz
■適応インピーダンス:16Ω〜300Ω
■重量:11g (乾電池含まず)
■電池:単4乾電池×1本
■外寸:55mm×23mm×14.5mm
■付属品:3.5mmミニステレオ型オーディオケーブル(長さ0.4mm)

これを使うと、ヘッドホンの音量が相当上がります。音のバランスはあまり変わりません。iPod Shuffleより多少低音が出ているような気もしますが、良く分かりません。コストパフォーマンスが非常に高いことは間違いありません。

しばらく使ってみたのですが、適当な音量にするにはiPod側の音量をかなり絞ることになります。iPod Shuffleの電池寿命を少し伸ばす効果はあると思います。音質はやはり若干悪くなるようです。結局iPod Shuffleのアンプは案外良くて、ヘッドホンアンプは特に不要というのが今のところの感想です。非常にインピーダンスの高いヘッドホンを使う場合や、非力なプレイヤーを使う場合などは有効だと思います。


2013.2.26 LYNKEIOSCOP 105mm F16

C.P. GOERZ BERLIN WEITWINKEL-LYNKEIOSCOP Serie F. Mo.0 No.345794 (105mm F16)

1918年(大正7年)頃ベルリンで製造された広角リンカイオスコープです。カール・モーザーが1890年に設計。モーザーはわずか34歳で1892年に死去。ちょうどこの頃、27歳の数学者エミール・フォン・フーフがのちにダゴールと呼ばれるレンズを設計し、ゲルツに持ち込む。ゲルツはフォン・フーフをモーザーの後任に採用。しばらくはリンカイオスコープとダゴールの併売を続けたようです。


GOERZの年表は良いものがなく、このレンズの製造年は推測です。


2軍4枚。


絞りは24から769まで。これはF値ではありません。下の表から換算するとF16 - F100になります。

i以前も掲載した表ですが、再掲します。


鏡胴と後玉にもシリアルナンバーが刻印されています。


座金が付いているので、52mmスクリューに改造。52mmフィルター枠に皮を巻いて扱いやすくしただけです。


52mmのヘリコイドを介してカメラに装着したところ。


2013.2.22 椎名林檎 労働者

遅ればせながら椎名林檎を聞き出して、最初に惹かれた曲は「労働者」。その中で最も印象的なのは次の歌詞です。

『一体いくらかかるの
気持ちよい生活まで
とても間に合わない』

それともう一か所。

『嫌いな相手にも好かれたい』

やっぱり天才ですね。


2013.2.21 Steinheil Gruppen Aplanatの焦点距離

Steinheil Gruppen Aplanat 27mmは有効口径21mm, F6.2, 焦点距離131mmと判定。


Steinheil Gruppen Aplanat ISO=800, 1/20s


Canon FE 70-200 F4L ISO=800, 1/20s, F6.3, focal length=131mm
同じ場所から撮影した二枚の画像がほぼ同じであることから、Steinheil Gruppen Aplanatは131mm F6.3と判定しました。しかし、キングズレークがF6.2と書いているので、これを尊重してF6.2と呼びたいと思います。これがどの程度一般的な測定かは分かりませんが、少なくともキヤノンのズームレンズの中に入っているエンコーダの基準と合っていることだけは確かです。ニコンやソニーの基準がどれほど違うのか興味があります。今度NEXで試してみたいと思います。

口径は27mmと押刻印されており、実際にも前玉の直径は27mmです。キングズレークはF6.2だと書いていますので、27x6.2=167.4mmかと思って買いました。しかし、実際は131mm F6.2でしたので、有効口径は約21mmtということになります。前玉、後玉とも非常に厚いので、これが有効口径を小さくしているのだと思います。


2013.2.20 ギブス

ギブス」は、2000年1月26日にリリースされた、日本音楽家椎名林檎の5枚目のシングル。最近ではJUJUがカバーしており、名曲だと思います。特に歌詞が面白いです。一番の歌詞を引用します。

あなたはすぐに写真を撮りたがる
あたしは何時も其れを厭がるの
だって写真になっちゃえば
あたしが古くなるじゃない

明日のことは判らない
だからぎゅっとしていてね


彼氏がカメラ好きで「写真を撮りたがる」のかと思っていたのですが、曲の題名である「ギブス」と全く関係がない点が気になります。それに、「写真になっちゃえば」というのも怪しい。

Wikipediaには、「表題曲「ギブス」は椎名がデビュー前に製作された曲で、当時交際していた男性への思いを綴った歌である。」 と書かれていますが、なぜ「ギブス」という題名なのかは不明。そこで、当時の状況を考えて、次のような意味だと解釈します。

1999年1月、アルバム先行シングル「ここでキスして。」がヒット。同年4月より、初のライブツアー「先攻エクスタシー」が福岡公演を皮切りに全国6都市で行われた。また、仙台公演は体調不良のために順延となった。1999年10月、四枚目のシングル「本能」を発売。プロモーション活動を、ナースコスプレで行う。このシングルがミリオンセラーになり、幅広く認知された。2000年1月、二作目のアルバムからの先行シングルとして「ギブス」と「罪と罰」を2枚同時発売。

急に仕事が忙しくなった椎名林檎は体調を崩し入院。入院中も新しい曲の歌詞を考えなければならない。医者がすぐに高額のCTやMRIを使って写真を撮りたがる、と愚痴をこぼすギブスの患者からヒントを得て「ギブス」を作詞。「私」は擬人化されたギブス。あなたは外科医。「写真になる」は、「入院になる」や「手術になる」と同じ用法で、CTやMRMを使った高額な検査になる、という意味。この設定で歌詞を翻訳すると、

外科医はすぐに写真を撮りたがる。(CTやMRIなどの画像診断は治療費がかさんで困る。日本の健康保険制度が崩壊するかもしれないじゃないか。)
ギブスはそれをいやがる。(もし写真で骨折が治っていることが分かったらギブスはゴミ箱行きなので)
だって写真になっちゃえば、(画像診断をすることになれば)
ギブスが古くなるじゃない。(骨折治療でお世話になったにの、治ったとたんに捨てるつもり。この恩知らず)

明日のことは判らない (今日は治っているように見えても、明日また悪化するかもしれない)
だからぎゅっとしていてね (もうしばらくギブスをぎゅっとしておいた方が無難である)

ということで、恋愛の歌ではなく、病院の歌だと思うのですが、いかがでしょうか? 「都合のいい身体」という曲の詩もこの時の話ではないかと思います。


2013.2.19 Steinheil Gruppen Aplanatに関する記載

キングスレークは「写真レンズの歴史」の中でGruppen Aplanatについて次のように書いています。

"1866年に出たアプラナットやラピッド・レクチリニアは対称型で前半分も後ろ半分もその焦点距離は全体のほぼ倍である。既に述べたとおり、対称型にはコマ、歪曲、倍率の色収差を自動的に補正する長所があるが、それ以外の利点はない。
さらに対称型の場合,共役点間の距離が同じであるから、遠距離被写体を撮影するとこの3収差の完璧な補正は崩れても不思議ではない。そこでシュタインハイルは、残っている縦収差の補正と無限遠被写体の撮影が普通であることを考えれば、対称型の配置よりも少し対称性を変えた配置の方が実際には良いのではないかと思いついた。
彼が最初に行った実験は図4.18にある1879年のグループ・アプラナットである。明るさはF6.2で、前群は後群よりやや屈折率が弱く、両方とも肉が厚いため画角は±28度で、 口径食が大きくならないように円錐形にせざるを得なかった。フォン・ローアが発表したデータによれば、 遠距離被写体のメリディオナル面の像は後ろに曲がり球面収差は僅か補正不足、コマは対称型アプラナットより少ないとのことである。ガラスの種類は前と同じであった。
しかしシュタインハイルはそれに満足しなかった。さらに非対称型の研究を進め前群のフリントとクラウンの役割を逆転させてみた。屈折率の高いフリントの凸と屈折率の低いクラウンの凹を組み合わせて前群を作ったのである。結果は球面収差の物凄い補正不足と像面の内側への曲がりであった。これらの欠点を屈折率の弱い後群の強力な補正過剰で補った。後群は単に収差補正用であった。こうして1881年、シュタインハイルはグループ・アンチ・プラネット(Group Antiplanet)を開発した。(図4.19) このレンズの非点収差は前の設計に比べて大差はなかったが、コマは悪くなっていた。すなわちレンズ中心部の光では負のコマ、周辺部の光では正のコマが表れた。”

Vade Mecumには次のように書かれています。
Group Aplanat --- This was a late design in 1879 as Steinheil was becoming interested in the value of thick component in lens design. It may stand as an entry to the next group of designs.
Group Aplanat Seties 1 (1879) f6.2 --- This is a bulky lens with a big rear component. (Ste007) There were rated to cover 70 degree. The example seen was No31,43x and seems to be actually about f7.0 7.0in and best for 1/4 or parhaps 5x4in plate. Another at No13,30x seems to be about f6/20in with a 78mm front glass (Gruppen Antiplanet 78mm is engraved on the flinge). It is big but not impossibly so and a very impressive item. There are not too common in UK. (One another seems to record these as Group Aplanats)

どちらの記載もいまいち釈然としません。推測ですが、簡単に言うと次のようになると思います。
シュタインハイルは1866年に前後対称のアプラナットを開発し成功する。1879年にこれを少し非対称に改良しグループ・アプラナットを開発した。少し性能は良くなったが、ガラスが厚くて重いし、コストが高くて儲からないのが欠点だった。そこで、1881年に前群を薄くしてコスト削減に成功。ただし、性能は悪くなった。


2013.2.18 御隠居

御隠居のブログには素敵な写真が掲載されています。私もまねしてみました。多分こんな感じではないかと。。。 パクりではありますが、少し美しくなったような気もします。


2013.2.17 Steinheil Gruppen Aplanat構成図

Vade mecumには次のように記載されています。
Group Aplanat Seties 1 (1879) f6.2 --- This is a bulky lens with a big rear component. (Ste007)


これがGruppen Aplanatの構成図だと思って掲載しました。しかし、キングズレークの「写真レンズの歴史」にはGruppen Aplanatは以下の構成になっています。今回私が入手したレンズは前玉も厚く、明らかにこの構成です。


そして,Vade mecumがグループ・アプラナットだとしている構成は、アンチプラネットだとして掲載されています。

キングズレーク説を採用したいと思います。後でアンチプラネットを入手して調査したいと思います。


2013.2.16 ISOSTIGMAR 7.2IN F5.8 二本目

R&J BECK Ltd PATENT 7.2IN ISOSTIGMAR F5.8 No 19493

さらにボロボロのISOSTIGMARです。このレンズは全く人気がないのですが、金属が腐食しやすいのも人気がない理由のひとつだと思います。



前後の金属が欠けています。


絞り羽根が壊れていたので撤去。普通のISOSTIGMARのレンズ構成です。ガラスはわりときれいです。


M42のスクリューなので、適当にM52に変換して改造終了。


このヘリコイドはトラベルが長いので、相当オーバーインフでも問題ありません。オーバーインフの方が持ち運び時の全長が短くなるので助かります。


2013.2.15 Steinheil Gruppen Aplanat 27mm Stereo Set

Steinheil in Munchen No 9500 Gruppen Aplanat 27mm
Steinheil in Munchen No 9502 Gruppen Aplanat 27mm

ドイツのシュタインハイル博士は、「ザイデルの五収差」で有名なフォン・ザイデル博士の友人でした。1866年、イギリスのダルマイヤーを同じ時期にシュタインハイル博士がアプラナットと呼ばれんるレンズを開発します。このレンズは小型で広角であったため、その後世界中で長く使われます。シュタインハイル博士はされにこれを改良し、1879年(明治12年)にグループ・アプラナットを開発します。
(Vade Mecumから引用) 多分これは間違いで
が正しいと思います。
(2013.2.17訂正)

このレンズは後玉が異様に厚く、興味を惹かれます。しかし、焦点距離400mmくらいの大きなレンズしか見つからず、今まで入手できませんでした。Gruppen Aplanatは焦点距離ではなく口径が刻印されています。口径64mm(F6.2の場合、焦点距離は約400mm。

今回中将姫光学さんに口径27mm(F6.2だとすると焦点距離167mmくらい)のレンズを見つけてもらいました。

ステレオ・セットでとても美しいものです。昔からステレオ写真はあったようです。


蓋も2個セットで連結されています。ウォーターハウス絞りの板も全部揃っています。


ちょっと使うのがもったいない感じです。


座金にレンズ名が刻印されています。





レンズには会社名とシリアルナンバーが刻印されています。


後玉を取り出すことはできませんが、構成ず通りのとても厚いものです。


コニカの通関リングにぴったりと入るので改造は簡単です。これで無限遠ですから、焦点距離は結構短いです。後で焦点距離の計測を行います。


2013.2.14 ISOSTIGMAR 7.2IN F5.8

R&J BECK Ltd PATENT 7.2IN ISOSTIGMAR F5.8 No 110944

F5.8のISOSTIGMARです。Series IIだと思います。7.2インチは割とよく売りに出ます。値段は非常に安いです。製造年は不明。

金属部分があまり良くないので、錆びやすいです。


貼り合わせ面がないので、清掃すればガラスはきれいになります。


普通のISOSTIGMARの構成です。


ミノルタの中間リングにぴったり入るので、ミノルタマウントをM52に変換してすれば改造完了。


ヘリコイドに取り付けたところ。


2013.1.28 ISOSTIGMAR 9.5IN f5.6

R&J BECK Ltd Patent 871559 9.5 IN ISOSTIGMAR f5.6 No 113839

1906年にロンドンのべック社で開発されたISOSTIGMAR アイソスチグマーは、貼り合わせのないダブルガウス型レンズの中央に薄い凹エレメントを入れたユニークな設計です。以下のシリーズが製造されたようです。

Series 0 F3.5
Series 1 F4.5
Series 1a F6.4, F6.5
Series 11 F5.8, F6.3
Series 111 F7.7
Series 1V F6.5, F6.3
Series V F11
Series V1 F5.6


真鍮が美しいですが、焦点距離が長いし、あまり知られていないレンズなので安いです。




レンズを入手後知ったのですが、このレンズは前玉が移動できて、ソフト加減を調節できます。Vade mecumには次のように記載されています。
Series V1 f5.6 9.5-17in. は 9.5in for 8.5x6.5in, 12in for 10x8in, 17in for 12x10inがある. 60度の画角をカバーし、ソフトネス可変である。宣伝では「完璧なシャープネスから完璧なソフトまで」と書いてある。Series VIはソフトネス可変のポートレートレンズであり、前玉を回すことにより前玉が前後し、ソフトネスをコントロールできる。前玉の移動距離は約6mm。この機構は時間がたつと壊れるかもしれないので、買うときは注意すること。このレンズは1908年から少なくとも1922年まで製造された。


分解したところ。幸いこのレンズのソフトネス調節機構は至ってスムーズです。


2013.1.27 ヘッドホン 4種

5年ぐらい前にソニーのMDR-NC6という安い(確か五千円くらい)ノイズキャンセリング・ヘッドホンを買ったのであすが、 これは失敗。最初は電車や飛行機のノイズをうまく消してくれるので満足していました。特に携帯電話で使うと騒がしい 電車内でも相手の声が聞き取りやすいので重宝していました。しかし、一カ月ぐらいすると、耳が拒否反応を起こしたのか、 それともノイズキャンセラーの調子が悪いのか、ノイズキャンセルをかけると気持ち悪くなりました。そこで、 ノイズキャンセルをオフにして普通のヘッドホンとして使っていたのですが、数年で音が出なくなり廃棄。

Skype用のヘッドセットが必要になったので、980円の安いのを買ってきました。音質がよくありませんが、 実用的にはこれで十分で、 故障することもなく普通に使えます。マイクも問題なし。しかし、最近よく音楽を聴くようになったのでもう少し音質の良いものを探しました。

大手カメラ店でたくさん試聴しましたが、ちょっと聞いたくらいでは、全く違いが分かりません。 とりあえず2980円のaudio-technica ATH-TAD300を買ってみました。耳に当たる感触がよかったからです。使ってみるとなかなか優秀で、 長時間聞いていても疲れません。低音のレベルがかなり高いようで、電車の中でも低音が聞こえます。 開放式なので耳に音圧がかからず、軽やかな感じです。一か月ほど使っていますが、大いに気に入りました。 マイナーな問題点としては、音量を上げると音漏れすること。それとふわふわの布製の耳あてが鞄の中の マジックテープとくっついて取れなくなることです。

これらの反省点をふまえて、いよいよ本格的なヘッドホンを購入。結構迷ったのですが、結局SHUREのSRH440にしました。 値段が8000円ほどで手ごろなのと、昔のSHUREブランドに印象が良いことと、密閉型でプロフェッショナル・ スタジオモニター・ヘッドホンみたいなことが書いてあって、他のaudio-technica ATH-TAD300とは性格が違うこと、耳あてが合成皮革でマジックテープとくっつかないこと、などが理由です。試聴の結果も良好。ところが、家に帰って聴いてびっくり。音がカチコチに固くて響きが悪いのです。低音はかなり控えめです。それと密閉式に耳が慣れないせいか、鼓膜をぐいぐい押されるようで気持ち悪い。一旦失敗かと思ったのですが、WEBでは良い評判のようですので、我慢して数日聴いていると、耳が慣れたのか、それともエージングができたのか、良く鳴るようになりました。エージングが必要とは聞いていたのですが、まさかこれほどとは思いませんでした。まだ少し音が固めですがジャズだとちょうど良い感じです。電車の中で音が漏れないので気兼ねなく大音量で聞けます。

ただし、密閉型には大きな欠点があることが分かりました。音楽に合わせて鼻歌を歌うと、かなり響くのです。耳が密閉されているので当然なのですが、音痴には全く向きません。さらに食事中に聞くと、物を噛む音が大きく響きますので、食いしん坊にも向きません。走った時にもガタガタと音が響くので、マラソンランナーにも向きません。

ヘッドホンは、人によって好みが違うようですので、Webの口コミもあてにできませんし、私のこの記事も信用できません。自分で何個か買って試してみるより他に良い方法はないようです。(ヘッドホンをたくさん持っている人をおだてて借りまくるというのもあります)


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