EOS10D日記その41 ---ksmt.com---10D日誌---ご意見、ご感想などこちらまで---掲示板---email: ---


2011.1.30 BSアンテナ設置

ケーブルテレビ会社itsconのセットトップボックスから出るBSデジタル放送の番組は画質が悪く、テレビ(Sharp Aquos)内臓されたブルーレイディスクに録画できないため、BSアンテナ(東芝BCA-453)を通販で購入。Copy onceのかかった放送がアンテナ以外から入った場合、Aquos内臓のBru-layには録画できないというのがシャープのサポートの見解。先週の土曜日にBSアンテナが届いたのですが、うまく設置できず。東芝のサポート窓口に聞いたところ、東芝ではサポートしておらず、平日の9時から5時の間に製造元の東芝テクノネットワーク(株)に直接聞いてくれとのこと。平日に東芝テクノネットワーク(株)の代表番号に電話すると、どうやら設置できない人が多いらしく、「あのー」と言った時点で全てを察知。FAXで設置方法を送るので、それに従って設置して下さい、とのこと。

設置方法の要点は次の通り。

1. 仰角(東京の場合38.1度)を正確に合わせる。アンテナポールが垂直であることを確認する。
2. テレビからBSアンテナの電源供給をONにすること。電源を供給できない分配機などを通してはいけない。
3. 方位角を正確に合わせる。アンテナを思い切って西に向ける。1cmずつ南に振り5秒以上静止する。

要するにBSデジタル信号は微弱なので、パラボラが正確に衛星に向いて静止しないかぎり出力はゼロである、ということのようです。昔のVHFやラジオのアンテナでは適当に設置してもそれなりの出力があったので、そのような感覚だったのですが、これは大きな間違いであることにやっと気付きました。人工衛星とデジタル通信するためにパラボラアンテナを設置しているわけですから、電源が必要なのも、正確に角度を合わせるのも、5秒間静止するのも、設置が正しくないと出力がゼロなのも当然ですね。気付くのが遅すぎです。

これさえ分かれば後は簡単です。送られた来たFAXの通りにやれば、簡単に設置できました。アンテナの箱に入っていた設置説明書は素人向きではなく、電気工事店向けのものだったようです。

最初4Cケーブルが悪いのかと思い5Cケーブルを買ったのですが、アンテナが正しく設置されていれば4Cケーブルでも問題ありませんでした。

ということfで、今週はゴルフとアンテナ設置で終わってしまい、レンズテストも撮影はなし。来週には梅が咲きだすようなので、撮影に行きたいと思います。


2011.1.18 Chevalier Photographe改造

このレンズはペンタ67の中間リングより太いし、非常に重いので、そのへんの部品で間に合わせるわけにはいきません。部品から手作りです。

1.厚めの板に大きな穴をあけます。

アクリル板にペンタ67の中部の内径と同じ穴をあけて、ペンタ67の中間リングをネジ止めします。アルミ板でも良いのですが、たまたまその辺にあった5mm厚のアクリルにしました。加工が容易で平面性を保てます。


フランジ金具の穴に合わせて、板とアクリルを貫通する穴をあけ、ボルトで固定します。


レンズを中間リングを取り付け完成です。


手持ち撮影も不可能ではありません。木材部分にに三脚穴を取り付けることもできます。


試写するとこんな感じで写りました。これなら何とかポートレートの撮影ができそうです。


2011.1.16 Chevalier Photographe a Verres Combines

Photographe a Verres Combines Invente par CHARLES CHEVALIER Ingenieur
(チャールス シュバリエ技師が発明した組み合わせレンズ)

「写真レンズの歴史」(ルドルフ。キングズレーク著、雄倉保行著 朝日ソノラマ)から引用します。

彼はそれをフォトグラフ・ア・ヴェール・コンビネ・ヴァリアーブル(Photographe a Verres Combines a Foyer Variable 訳注・可変焦点距離の組み合わせレンズによる写真術の意)と呼んでいた。彼によればフォトグラフをはレンズのことで、それにより写した写真ではなかった。しかし、シュバリエの新しいレンズの性能はそれ程よいものではなく、シュバリエとその息子により約20年間作られたが、ペッツバールの人物用レンズとの競争に勝てなかった。今ではほとんど残っていない。」

まったく良い時代になったもので、マウスをクリックすれば、わずか5日で到着しました。さて、いったいどの程度の性能だったのでしょうか?


フランス語なので読めず、ひょっとしてキングズレークの本に出ていたあれか、と思ったら、あれでした。後で塗り足した醜い金ニスの下にも何か書かれているようですが、判読できません。


1840年(天保11年)から1950年(寛永3年)頃のレンズだと思われます。葛飾北斎は1849年まで生きていたそうですので、同じ時代です。ペリーが浦賀に来たのが1853年。


なかなか保存状態は良いようです。


ラックアンドピニオンギヤは擦り減ってしまっていて、スムーズには動きません。


組み合わせレンズですので、全て同じスクリューで、前後のレンズは入替えたり裏返したりできます。


レンズの直径は80mmほどあります。焦点距離は350mmほどですので、F4.5弱となります。実際には絞りの所が少し細く、キングズレークがF6と書いているのは、ほぼ妥当だと思います。


長さは16cmほど。大きさの比較のため、左にキヤノンのF1.8/50mmレンズを置きました。あまに太くて、改造の方針が定まりません。ポートレートレンズですので、本来は5x7インチあたりの白黒フィルムで人物を撮らねばなりません。


2011.1.15 ALDIS 150mm F2.8

ALDIS 150MM F2.8 6463

H.L. ALDISはDallmeyerの秘書としてStigmaticを設計したことで有名です。ALDIS社は1901年に設立され、Aldis Unoというレンズが主力商品でした。その後Pullin Opticalに売却され、戦後はRANK組織の一部として、主に35mmスライドプロジェクタを製造していたそうです。Vade MecumにこのALDIS社とこのレンズの記載がありましたので引用します。

Projection (triplets) f2.8, f3.5,f4.5 These were made in 4-18in, with f3.0 and f3.5 at 2in for movie projection. A f2.8/4in Projection lens (with 2in and 6in) is mentioned in B.J.A. 1948, p178;1954, p198, 190.

なので、多分1950年頃のプロジェクタに取り付けられていたトリプレット型のレンズだと思います。


あっさりとした刻印です。


トリプレットです。簡単に分解できます。


簡単なヘリコイドがついています。


オスのネジは切ってありますが、メスネジはなく、内面はただの円筒です。


円筒に一個だけビスが打ってあり、これをオスネジに引っ掛けているだけですが、案外スムーズに動きます。


ほぼPENTAX 67の中間リングを同じ太さですので、簡単に改造でしました。

このレンズの特徴はなんといっても安いことです。プロジェクタレンズは全般に安いので集めやすいです。


2011.1.14 BERTHIOT SUPER CINESTAR 1.8/80

BENOIST BERTHIOT SUPER CINESTAR 35 2 F=80 F/1.8 No 80745

ベルチオのレンズは一本も持っていなかったので、明るくて安いのを探したところ、映写機用のCINESTAR F1.8/80mmが見つかりました。このレンズはコーティングがされており、後群分離型のダブルガウス構成(5群6枚)であることから、多分戦後の35mm映写機用だと思います。Vade mecamのシリアルナンバー表を見ると1915年に相当しますが、まさかそんなに古いわけはないと思います。BENOIST BERTHIOTとは、ベルチオ社の創業者の名前だそうでして、SOM BERTHIOTと同じ意味のようですが、詳しくは分かりません。


奇妙な外観なので、安くても誰も買わなかったようです。



何度も分解されたのでしょう。刻印部分が傷だらけです。35というのは35mm映画用と言う意味だと思いますが、その後の2の意味は分かりません。


黒い部分はフードの用で、ネジを緩めれば動かせます。


フードを取り外すと、普通の映写機用レンズです。


そうと分かれば改造は簡単です。以前改造した映写機用のSUPER-SIXと同じ方法が通用します。


ブロニカのヘリコイドに取り付けて完成。フードは少し長すぎるので、取り外した方が良いようです。


2011.1.12 Zeiss Anastigmat Series I 革張

あまり出番のないCarl Zeiss, Jena No 4475 Anastigmat 1:4,5 F-183mmですが、明治26年製造のめずらしいレンズなので、今年はもっと活躍させようと思い、革張りにしてみました。少しは見栄えが良くなったと思います。

こういう厚くて柔らかい革はきれいに切るのが難しいです。ウォーターハウス絞りの穴をガムテープで塞いでいたのですが、革を詰める方法に変更。


ヘリコイドとEOSアダプタをつないだ図。


2011.1.8 Heliar 18cm 再改造

明治38年製造のヘリヤーを再改造してみました。

どういうわけか、うまく改造できず、お蔵入りになっていました。


今回はペンタ67のチューブに入れてみました。


ペンタ67のヘリコイドは高いので、他のレンズと共用します。EOSアダプタは、無限が出しやすいよう、かなり短く作ってあります。


チューブが太すぎて、うまくビスが打てず、少し工夫が必要です。太いチューブを使うと、内面反射が防止できます。


適当な金具に穴をあけて裏に入れ、ビスが受けられるようにしました。


2011.01.01 謹賀新年

本年も、なにとぞよろしくお願いいたします。


(クリックで拡大)

Planar 1:3,6 F=110mm D.R.P. 92313 Serie Ia No 36606 Carl Zeiss Jena (明治32年製造)
法真寺のハナミズキと八重桜。このレンズは製造から既に111年たちますが、性能が落ちることもなく、見事な写りです。写真が乾板からフィルムそしてデジタルに変わっても、余裕満々です。

昔は紙の写真や書籍を見てレンズの性能を推測するよりありませんでした。このレンズが現役のころは写真館で毎日使われたのかもしれませんが、写真館のお客さんがレンズの名前を知ることはなかったと思います。多分わずか数人のカメラマンだけが、このレンズ個体の性能を知っていたのではないかと思います。それに、乾板の品質、現像の方法、プリントの方法、印画紙の質、印刷の方法など、レンズ以外の要素が多くて、レンズによる差が分かりにくかったと思います。

一方、現在のデジタル・カメラではレンズの性能をダイレクトに見ることができます。また、大勢の人がWebを通してオリジナルの写真をいつでも見ることができます。そういう意味では、古典レンズの全盛期はまさに今なのかもしれません。


2010.12.29 Ernostar 外形比較

Ernostar F2.7/150mmはF1.8/105mmの兄弟レンズではないかと書いたのですが、少し自信がないので、外形を詳細に調べてみました。

3本とも良く似ています。左からF2.7/150mm, F1.8/105mm, F2/100mm。


ヘリコイドを抜いてみるとこんな感じです。


前玉の直径はF1.8/105mmに近いです。


後玉の直径はF2.7/150mmが圧倒的に大きいです。これはやはりイメージサークルを大きくとるためだと思います。


ヘリコイドの太さはF2.7/150mmとF2/100mmが同じ。短期間で製造が終了したF2/100mmのヘリコイドが余ったので、F2.7/150mmに流用したのかもしれません。青で示したのは前玉の先から後玉の最後尾までの長さ、こちらはF2/100mmが長い。F1.8/105mmは、もっと明るく、そしてコンパクトなレンズが欲しいという理由で作られたものと思われます。


Ernostar F2/100mmを分解清掃してみて、フレアの原因が分かりました。第一群のバルサム剥離です。ニュートンリングが見えます。


白濁しないで剥離しているようで、分解してはじめてわかりました。このレンズは最初はどうしても分解できなかたったのですが、作図のため木槌で叩いて分解したので、その時に剥離したものと思われます。他にもWatson 2/75やOrthometar 4.5/210などバルサムが剥離したレンズがありますので、そのうちバルサムを貼り直したいと思います。


2010.12.19 Ernostar 2.7/15cm改造

Ernemann Anastigmat "ERNOSTAR" 1:2,7 F=15cm 169675 D.R.P

キングズレークの本には三種のERNOSTARが記載されています。F2(1923), F1.8(1924), F2.7(1924)。本日F2.7を入手しましたので、全部揃いました。レンズの大きさは1,8/105mmとほぼ同じで、焦点距離が伸びた分だけ暗くなったということのようです。


ヘリコイドも1.8/105mmと同じようです。


レンズの先端が真鍮であることがデザイン上の特徴です。


その辺にあった長めのフードにビス止めして改造終了。元々ヘリコイドがついているので簡単です。


バックフォーカスが結構長いので、内面反射防止のフェルトを貼りつけてあります。レンズにガムテープを巻いて筒との隙間を埋め、その上からビスを打っています。ビスがガムテープに食い込み確実に止めることができ、なおかつレンズが傷つくのを防ぐことができます。


2010.12.04 ELCAN F2.8/6in 改造

ELCAN 1/2.8 6 INCH 138-1333


このレンズはバックフォーカスが短く、残念ねがらEOSでヘリコイドをつけて無限遠の出る改造はできませんでした。後玉が大きく、EOSのマウント金具の中に入らないので、改造が困難です。やむをえず、近接専用の改造にしました。約3mから1mの間でのみピントが合います。


元はこんな形。何用か分かりません。


レンズ後部にはこのようなマウント金具が付いています。


レンズ後部の金具は取り外すことができます。


後玉より後ろに筒がでていますので、これを思い切ってカットしました。


筒をカットした後。


スクリューは切り落としたので、ビスでレンズを止めました。


PENTAX 6x7のヘリコイドにEOSマウントを取り付け、アダプタを製作します。


PENTAX 6x7ヘリコイドの後部に適当に切断して作った金具を取り付け、ネジ止めします。


PENTAX 6x7のヘリコイドの内側をヤスリで削って、内径を拡大します。これでぴったりELCANの後玉が入ります。


ELCANのレンズヘッドに、適当に切断したPENTAX 6x7のマウント金具(オス)をビス止めします。レンズが最も後ろに下げられるよう、金具の位置を調整します。これを先ほど製作したPENTAX 6x7 - EOS アダプタに取り付けます。


完成したEOSマウントのELCAN 2.8/6in。


このアダプタは他のレンズでも使えます。後玉が太いレンズの場合、このヘリコイドが一番良いようです。


2010.12.03 Ektar F2.8/4 In 改造

Kodak Ektar Lens 4 In (102mm) f/2.8 RM705


多分Combat Graphic 用のEktar 2.8/4in です。製造番号がRMですから、1963年製造です。CAMEROCITYが1234567890に対応するのだそうです。


レンズは小さいのですが、ヘリコイドが巨大です。このヘリコイドを何とか生かそうとしたのですが、うまく行きませんでした。


ヘリコイドの切断に失敗し、ヘリコイドが回らなくなってしまいました。さらに絞り羽根を破損。絶望的です。


もはや普通の改造は不可能なので、全く別のレンズの絞りを使うことにしました。手持ちのレンズを探したところ、G. Leitmeyr Munchen Doppel Anastigmat Sytar 1:6.3 f-24cmがよさそうなので、これに決定。




この筒に適当に入れて、M42ヘリコイドに取り付けて改造完了。本当は前玉と後玉の間隔を正確に調整するべきですが、まあ適当でもそれほど性能を損ねることはないようです。


大変コンパクトに改造できました。後ほど試写します。


2010.11.28 Hektor 2.5/20cm改造

Ernst Leitz CmbH Wetzlar Hektor f=20cm 1:2.5


プロジェクタ用のHektor 2.,5/.20cmです。シリアルナンバーはありません。FON SCOFIELDは意味は分かりません。


アルミの肉厚の筒を切断し、EOSマウントを貼りつけました。ビスは打てないので、ボンドで接着し、フェルトの内貼りで補強。この筒は太すぎて、万力で挟めません。そこで万力の上で切ったら、塗装がだいぶ剥げてしまいました。


筒の肉厚にひどい偏りがあります。右上が厚く、左下が薄い。


元々開いている穴にネジを打つと、ひどいオーバーニンフになるので、少し穴を移動。この穴の位置で無限遠調整するのが最も簡単です。


EOSマウントを合成ゴム系の接着剤で接着。頼りなさそうに見えますが、フェルトで丁寧に内貼りすれば、十分な強度が得られます。もちろん内面反射防止にもなります。

このレンズの分解には特殊な工具が必要ですので、分解していません。レンズ構成は不明


2010.11.17 Hektor 2.5/150mm改造

LEITZ WETZLAR GERMANY HEKTOR 1:2.5/150mm


プロジェクタ用のヘクトール 150mmです。シリアルナンバーはありません。絞りもありません。改造は至って簡単です。


このような外観。レンズ構成不明。特殊な工具が必要なので、分解は断念。


三つの部品に分かれます。一番右がレンズヘッド。


マウント部にはネジが切ってあります。


このネジを切り落としてEOSマウント金具を接着すれば改造終了。内面反射防止にフェルトを貼ります。この内張りが絶大な強度を持ちますので、ビスはなくても大丈夫です。


ヘリコイドはそのまま使えます。無限遠を調整して、ビスで止めました。


ヘリコイドを繰り出したところ。このまま抜けてしまいますが、その分マクロが効きます。


2010.11.15 Biotar 1.5/75mm改造

Carl Zeiss Jena Biotar 1,5/75 T 3776044

EXAKTAマウントのBiotar 1.5/75mmも、やはりEOS 5Dのミラーと衝突するため、アダプタでは使いにくいです。EXAKTAマウントをハサミでチョキチョキと切って、EOSマウントを貼りつければ改造完了。シグマのマウント金具は内側にビスが打てるので、改造は簡単です。




ビスを打つ時に安定しないので、革の切れ端で高さを調整してボンドで仮止めし、穴あけ、ビス打ちを行っています。これなら簡単です。


2010.11.12 Topcor 1.4/5.8cm 改造

Tokyo Kogaku Japan 11214790 RE. Auto-Topcor 1:1,4 f=5,8cm


ExaktaマウントのTopcor 1.4/58mmは、薄型のマウントアダプタを使ってEOSで使うことができるのですが、5Dの場合レンズの後端がミラーに衝突します。そこで、レンズの後端の金属部分を削りました。これで無事ミラーとの衝突の問題は解決。しかし、削りくずがヘリコイドに挟まってしまったようで、ヘリコイドの回転が悪くなってしまいました。ヘリコイドが回すと、ヘリコイドではなくマウントアダプタが回ってしまい、実用になりません。やむをいえず、レンズを分解してヘリコイドを清掃するはめに。このレンズには複雑な自動絞り機構が組み込まれており、クリックストップを取り外すと、絞りが開放になりません。そこで、二本の微細なバネを取り外したわけですが、取った拍子にどこかに飛んで行ってしまいました。ヘリコイドはかなりスムーズになったのですが。結局絞りはあきらめて、開放絞り専用としました。マウントアダプタでの使用もあきらめて、マウント金具を貼りつけることにしました。


ただし、EOSのマウント金具は厚過ぎて、そのまま貼りつけたのでは、無限が出ません。


そこでマウント金具を半分くらに薄く削って接着。これでやっと無限が出るようになりました。

この改造は失敗で、依頼主には申し訳ないことをしました。EXAKTAの自動絞りレンズの改造には手を出さない方が無難かと思います。


2010.11.11 Angenieux P1 新型 EOS改造

P. ANGENIEUX PARIS F.90 1:1.8 TYPE P1 No421874

以前お借りした新型(ローレットの刻みが荒い方)のEOSマウント改造依頼があり、簡単な改造を行いました。EXAKTAマウントが後ろにでっぱっているため、 焦点距離にかかわらずEOS 5Dのミラーと衝突してしまうためです。APS-C機なら問題なさそうですが、フルサイズ機では問題になります。


EXAKTAマウントを少しハサミで切って、EOSマウント金具を取り付ければ終了。普通にやると無限遠が出ないため、マウント金具を奥まで押し込む工夫が必要になります。


ローレットに接する形で取り付けると、少しオーパーインフになります。しかし、このヘリコイドは力いっぱい無限遠にまわすと、固く締まってしまい再度伸ばすのに苦労しますので、オーバーインフの方が使いやすいです。


こちらは旧型(ローレットが細かい方)の改造例。EOSマウント金具とローレットの間に1.5mmほどの厚さのスペーサーを入れてちょうどいいくらいです。EOSマウントに改造するなら、旧型の方が少しやりやすいです。


2010.11.9 Hektor 7,3cm改造(2本目)

Ernst Leits Wetzlar Hektor f=7,3cm 1:1,9 No 235618

私のHektor 1.9/73mmと14番違いのレンズの改造を頼まれました。ガラスの状態はそっくりです。ヘリコイドはAgfa Color System用とは違い、ヘッドが簡単にはずれます。しかし、ダブルヘリコイドである点は同じで、オリジナルの筒を切って、15mm縮めることは難しく、別のヘリコイドを使うことにしました。


このようなダブルヘリコイドです。レンズの根元の方までヘリコイドがあり、切断は難しいです。


そこで、ヘッドとヘリコイドの前側だけを使い、適当な金具を挟み込みました。


これをオアシスのヘリコイドに接着します。


これにEOSマウントを貼りつけて改造終了。


2010.11.7 Angenieux S21 F1.5/50mm改造

Angenieux Type S21 F1.5/50mmは異常とも言える人気で価格が高騰し、今では入手困難になっています。2年ほど前に借用して試写したところ、確かにすばらしい写りでした。開放では絶妙の滲み具合で、古典レンズの華やかさを存分に楽しめます。安いのが見つかれば買おうと思っているのですが、いまどき安いのが見つかるわけもありません。このレンズはEXAKTAマウントなので、EXAKTA-EOSマウントアダプタでEOSに取り付けることができます。EXAKTA-EOSマウントアダプタには二種類あります。

厚型: 無限遠は出ないが、EOS 5Dのようなフルサイズ機でもミラーと衝突しないもの
薄型: 無限遠が出るが、EOS 5Dのようなフルサイズ機ではミラーと衝突するもの。APS-C機なら多分大丈夫。

このレンズのオーナーも、EOS 5Dをメインで使うので、どちらのアダプタでも使いにくいのです。それで、私が改造に乗り出すことになりました。まあ、改造といっても、レンズの最後部のEXAKTAマウントの最後部を少し削るだけです。


薄型のマウントアダプタと取り付けたところ。EOSマウントの後ろにEXAKTAマウントが飛び出しているのが分かります。


拡大するとこんな感じ。この出っ張りを0.5mmほどヤスリで削ろうという作戦。


改造前にEOS 5Dと薄型アダプタせ撮影した写真。画面の下部=レンズの上部にミラーが接触し、ケラれています。


ヤスリで削った後の様子。少し削ってはミラー当たりをチェックします。ミラーは少しずつ損傷を受けるので、私のEOS 5Dのミラーは既にだいぶ欠けています。EXAKTAマウントの爪はペラペラに薄くなりました。


これでは強度的に問題があります。薄く削ったEXAKTAマウントの詰めが折れた時点でレンズが落下します。レンズ交換を行うと金属疲労で折れそうですので、ボンドで接着することにしました。このアダプタは他のレンズでは使えなくなりますが、このレンズの価値を考えると適切な対策だと思います。


2010.11.6 Ernostar F1.8/8.5cm

Ernostar F1.8/8.5cmのEOSマウントへの改造依頼があり、無限遠が出ないとの噂なので断ろうかと思ったのですが、結局引き受けることになりました。結果的には、無限遠OKで、改造は簡単でした。


Ermanoxカメラ。残念ながらフォーカルプレーンシャッターが故障しており、レンズだけ生かすことに。


シリアルナンバーがずいぶん大きいです。私のErnostar F2/10cmやF1.8/10.5cmの10倍ほどの大きなシリアルナンバーです。


レンズがすぐそばにあるので、一眼レフへの改造は一見難しそうです。


シャッタースピード換算表が付いています。


テンションとスリット幅を個別にセットしたようです。直接シャッター速度をセットするわけではありません。


ボディーからヘリコイドとレンズヘッドだけ取り出します。


レンズの後部の筒をレンズぎりぎりで切り落とします。ヘリコイドのオスとメスを組み立てた状態で切断します。抜いた状態で切ると、入らなくなります。切らないと無限遠は出ないので、その噂が広まったのだと思います。


ジャンクのシグマのズームレンズの筒を切断して入れます。太さは偶然ぴったり合います。筒の上から革を貼り、完成。


レンズがErmanoxからEOSへ引越し。


結構伸びますので、寄れます。直進ヘリコイドを捨てて、回転ヘリコイドになったため、絞りを変えるのはちょっと面倒です。ヘリコイドを掴んで、先端の絞り輪を回す必要があります。まあ、開放からシャープなレンズなので、開放でも十分な解像度が得られると思います。


2010.10.30 欲しいレンズ50 Orthoskop

「ペッツバールは2本の設計図をウィーンにいる友人の光学技術者、P.W.F. フォクトレンダー(P.W.F Voigtländer,1812-78)に送った。フォクトレンダーは直ちに人物用レンズのほうを製造したが、もう1本のほうはそのままにしておいた。」

「その後、写真が普及してくると、歪みのない風景用レンズの要求が強くなり、1854年に、ペッツバールはフォクトレンダーと仲違いになっていたので、ウィーンの光学機器商のディーツラー(Dietzler)に風景用レンズの製作を依頼した。製作は直ちに開始され、1856年、写真用ダイアーリト(Dialyte)の名で発表された。この新レンズは当時としては歪みのない風景用レンズの最高傑作として写真家の評判を呼んだ。」

「この新レンズが発表されるとすぐに、フォクトレンダーはこのレンズが1840年にペッツバールから受け取った二つの設計のうちの一つであって、全く忘れていたことに気がついた。そこで当時の図面を出して製作に入り、歪みの少ないことを意識して、オルソスコープ(Orthoskop)の名で市販した。この新レンズもまた良く売れて、ニューヨークのハリスンが似たものを作った。あまりに有名になったので、ディーツラーはダイアーリトの名をオルソスコープに変えて、フォクトレンダーに対抗しようとした! ペッツバールとフォクトレンダーの仲違いは再び始まったが、法的契約がなかったので何の処置も取れなかった。」

「最初は写真家も喜んだが、間もなく不満が出てきた。詳しくテストすると歪曲が完全にないわけではなく、画面もかなり後ろに曲がっていることが分かり、出現する時と同じくらいの速さで消滅した。」 (写真レンズの歴史、ルドルフキングズレーク著 雄倉保行訳、朝日ソノラマより引用)

ペッツバールの人物用レンズが後世まで広く使われたのに比べ、同時に設計されたもう一本の方は数奇な運命をたどります。この文章を読むと、ペッツバールのDietzler Dialyteに肩入れしたくなりますね。オーストリア製のレンズが少ないせいもありますし、ウイーンの町のきれいなイメージのせいもあります。機会があればDietzler DialyteとVoigtlander Orthoscopを比較してみたいと思います。高級レンズだったようで、今でもきれいな個体が残っているようです。安くはありませんが。


2010.10.24 Ross Symmetrical 7"

Ross LONDON No.5 Symmetrical (7.In,) No. 44919 (F16)


F16くらい。1881年(明治14年)頃製造。Dallmeyerのラピッドレクチリニアの特許が1880年に切れたので、ロスでもラピッドレクチリニア型のレンズの製造ができるようになったそうです。それにしては製造番号が4万4千番代で大きいのですが、ロスの製造番号4万番以下はほとんど市場に出なかったとの説もあり、はっきりしません。





シンメトリカルというのは単に前後対称だと言っているだけでして、いろいろな会社からシンメトリカルという名前(あるいは特徴)のレンズが出ています。ロスのシンメトリカルは外観が美しいで、以前から欲しかったのです。F16と暗いので、大判でないと実力が発揮できないと思います。


前玉も後玉もほとんど同じ。


ペンタックス67のヘリコイドにくっつけて準備完了。せっかくの外観がだいなしですが、まあ、将来木製の大判カメラを使う時のために、テストしておきましょう。


2010.10.23 Dallmeyer TRIPLE ACHROMATIC

TRIPLE ACHROMARIC LENS J.H. Dallmeyer LONDON No 5112

(a lens cillector's vade mecumより引用)

「ダルメヤーの三枚玉色消しレンズ」
「この面白いレンズは1861年、J.H.ダルメヤーの設計によるものである。図4.16に見られるように、いくらか弱い色消し部品3個を凸凹凸の順に並べてある。明るさはF10、解像度も良く歪曲もなかった。各種の焦点距離のものが作られ、1866年にラピッド・レクチリニアが出現するまで非常に人気があった。同じようなレンズをT.ロスも作り、アクチニック・トリプレット(Achtinic Triplet)と名付けていた。」 (写真レンズの歴史、ルドルフ・キングズレーク著、雄倉保行訳、朝日ソノラマより引用)


Vade mecumによりますと、5−50インチまであったそうです。これは焦点距離8インチのもの。1863年(文久2年)製造。Dallmeyer社の操業が1860年だそうですので、創業から3年後の製品です。当時は非常に人気があったようですが、今では人気がなく、安く買えます。ただ、焦点距離が短いものを見つけるのは難しいかもしれません。


上の一行だけ刻印で、後は手彫りのようです。


前玉が小さく、中玉はさらに小さく、後玉が大きいです。イメージサークル重視の設計のような感じです。多分そこが非ペッツバール型レンズを作る目的だったと思われます。


ペンタックス67のヘリコイドを使ってEOSアダプタを作成。後でもうちょっときれいにします。このレンズの作例はWebには出ていないようで、撮影が楽しみです。


2010.10.2 Hektor 2.5/12.5cm

Ernst Leitz Canada Ltd Midland Ont. Canada Hektor f=12.5cm 1:2.5 Nr. 1214305


なかなか出物がなくて買えなかったHektor 2.5/125ですが、ついに出物が見つかりました。後玉キズとレンズ曇りのため激安だったのです。見たところ、後玉のキズは軽微で、曇りのせいで目立っていますが、曇りが取れればほとんど分からなくなるはずです。分解清掃に出すと高くつくので、現状で安く売りに出ていたのだと思います。


このHektorはペンタックスK マウントアダプタおよびヘリコイド付きです。ヘリコイドはレンズ本体にもついているので、ペンタックスのヘリコイドはバックフォーカス調整用だと思われます。


最上段の右側3個がレンズ。下段は改造に使われた部品。前玉+中玉は手でひねれば取れます。前玉をはずすにはコンパスが必要です。貼り合わせの中玉が非常に厚いのが特徴です。クリーニングペーパーにクリーニング液をたっぷりつけて軽く拭く、と曇りはきれいに取れて新品同様。


最後にペンタックスKマウントの後ろにEOSマウント金具を貼りつけて修理・改造完了。もちろんこのアダプタは他のViso用のレンズにも使えるはずです。


2010.9.24 Kipronar 1:1,9 f=12cm

Kipronar 1:1,9 f=12cm Carl Zeiss Jena Nr. 3187086

1949年(昭和24年)2月4日、Carl Zeiss Jena工場からR62,5向けにKipronar f1.9 が3,000本出荷されました。9cmが500本、 10.5cmが500本、 12cm が1,000本、 14cmが1,000本。R62,5が何かは分かりませんが、Kipronarに絞りが付いていないことから映写機だと思われます。

1949年(昭和24年)のできごと、
中国共産党北京奪回
ソ連ベルリン封鎖解除
後の西ドイツに相当する3つの占領地域が統合
湯川秀樹ノーベル物理学賞を受賞
ソ連占領地区にドイツ民主共和国(東ドイツ)成立
蒋介石率いる中華民国政府の台湾への移転が完了

日本でも映画がブームを迎え各地の映画館は大入り満員となりました、と書こうと思ったのですが、歴代映画興行成績を見ると、昭和20年代の映画で観客動員数がランキング86位までに入っているのは、ゴジラ(昭和29年)961万人、七人の侍(昭和29年)700万人くらいで、昭和24年の映画産業はまだまだ限定されたものだったようです。それに引き換え、2001年公開の「千と千尋の神隠し」は2,350万人を動員しています。観客動員数トップ10のうち8作品が平成になってからのものですから、映画の全盛期は実は平成と言えるかもしれません。

ということで、KipronarをEOSマウントに改造してみました。2群4枚の古典望遠型のレンズで、バックフォーカス短く、筒が太いため、結構大がかりな改造になります。


絞りもヘリコイドもありません。レンズの最後部をEOSマウント面から数ミリ前に出したところが無限遠です。




Zeissの台帳に出荷記録が出ています。


コンパスがあれば、簡単に分解できます。


2群4枚。簡単な構造です。


筒の最後尾がマウント金具とぶつかるので切断。


レンズにちょんちょんとボンドを付けて止めただけですが、まあ取れることはないでしょう。


PENTAX 6x7のヘリコイド・チューブにぎりぎり入る太さです。ごく薄いPENTAX 6X7ヘリコイド<-> EOSマウントアダプタを製作。ビスが効かないので接着剤で固定。内側にフェルトを貼って補強と反射防止。一度失敗して剥がそうと思ったのですが、ドライバーで思い切りこじ開けないと取れませんでした。内貼りの強度は抜群です。


完成図。


2010.9.11 Carl Zeiss 1926/27

635,459番から710,181番までの74,723本。前年の1.5倍。内訳は次の通り。

Triotar F6.3 596 本
Triotar F2.9-3.5 744本

Tessar F2.7 2,866本
Tessar F3.5 1,420本
Tessar F4.5 55,714本
Tessar F6.3 9,919本
Tele-Tessar F6.3 481本

Protar F18 462 本
Protarlinse F12.5 925 本

Apo-Planar 16 本
Apo-Tessar 363 本

Sucher-Triplet (Heidoskop) F3.2 5.5cm 210 本
Sucher-Triplet (Heidoskop) F4.5 6.5cm 71 本
Sucher-Triplet (Rolleiflex) F4.2 7.5cm 871 本

Sucher-TripletはRollei社のステレオカメラHeidoskopと、二眼レフRolleiflexのビューレンズのことのようです。良く分からなかったので無視していたのですが、1925年に382本、1926年に811本出荷されていました。1927年は1152本ですから、Rolleiflexの量産が始まったようです。

1926年12月 大正天皇崩御
1927年4月 全国で銀行取付け激化 金銭債務支払延期緊急勅令により3週間のモラトリアム実施・銀行は一斉休業


2010.9.3 RITTRON 2/80mm

RITTRON 1:2 f=80mm No.680624 Lens made in Japan

「ズノーカメラ誕生」(萩谷剛著、朝日ソノラマ)から引用します。
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さて、ノリタ66は、初めからノリタ66であったのではない。最初は武蔵野光機のリトレック6X6として1968(昭和43)年に発売されたのである。(中略)試作モデルが発売された1967(昭和42)年は、ペンタックス6X7(開発時はペンタックス220と呼ばれていた)やコーワシックスも試作機が発表されるというタイミングであった。全く新しいカメラを作りだすには、それ相応の資金が必要になる。そのため、武蔵野光機がつかんだスポンサーは光学機器の輸出入商社のウェスターン・トレーディング社だった。ウェスターン・トレーディング社はかなり精力的に動き、対米輸出を想定して、映画会社のWB(ワーナー・ブラザース)の関係者から資金の調達に成功した。このために、リトレック6X6は、ワーナー66と銘板を付けることとなった。ところが、このカメラの生産は遅々として進まない。ウェスターン・トレーディング社も武蔵野光機に資金を提供し続けるが、製品はなかなか思うように出来てこない。ワーナー66の輸出は100台ずつ、約5〜8回の出荷が行われたが、1969(昭和44)年には武蔵野光機自体が倒産してしまうのである。
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「ズノーカメラ誕生」の写真を見ると、最初に公開されたリトレック66には、MUSASHINO-TOMINON 2.8/80mmレンズが付いていました。生産型のリトレック6x6ではRITTRON 2/80mmが付いています。シリアルナンバーは680237ですので、68は製造年を表すようです。RITTRON 2/80mmは富岡製ではなく、ノリタ光学製だそうです。その関係で、1971(昭和46)年にリトレック66はノリタ66として復活をとげます。レンズの名前はNORITAR 2/80mmとなりますが、中身は同じもののようです。


ほとんど使用された形跡はなく、全く傷もありませんが、安く売られていました。取り付けるボディーがないので、しかたないですね。


シルバーの塗装も傷んでいません。


スピゴット式のマウントです。プリセット絞りで、連動ピンがついています。


ヘリコイドが付いているので、EOSマウントへの改造は至って簡単で、その辺にある筒に入れてビスで止めれば終了です。


約30分で改造終了。試写したところ、まさに昔の大口径中判レンズという感じで、なかなか良さそうです。


2010.8.30 古事記(2) 神の誕生

所以に、幽顕に出入して、日月目を洗ふに彰(アラハ)れ、海水に浮沈して、神祇身をススグに呈(アラハ)れき。

幽顕とは黄泉の国と葦原中国らしいですが、ちょっと先走り過ぎなので、ここでは幽霊が顕れる所、すなわち地獄としておきます。ちなみに、黄泉の国はヨモノクニすなわち四つの国という解釈もあるようですので、四国のことじゃないかと思っています。 葦原中国は素直に中国地方のことだと思います。

日は天照大神で、月は月読命のことだそうですが、これも先走り過ぎですので、単に太陽と月と理解しておきましょう。 神祇は多分スサノオのことだと思いますが、ここでは単に神様としておきましょう。

海水に浮沈し、というのは嵐にあって船が沈没したのかもしれません。まさか海女さんだったというわけでもないでしょうから、船の沈没以外に思いつきません。

顕も彰も呈もアラハレルと読むようですが、違いは分かりません。3つの漢字の意味の違いを問う試験問題のような気がします。

以上を総合すると、私の現代語訳は次の通りとなります。

イザナギ命が地獄に出入りして苦労をした末に、目を洗うと太陽と月が現われた。イザナギ命の乗った船が沈没して海に投げ出され、やっとのことで岸に上がって体を洗うと、神様が現われた。問1: 顕も彰も呈もアラハレルと読むが、その意味の違いを述べよ。

つまり、ビッグバンの後しばらくすると、地獄ができ、太陽が生まれ、地球が生まれ、月が生まれ、海ができ、その後神様が生まれた。イザナギは地獄に行ったり、船が沈没したり、ひどく長い間苦労をして、やっと神様を産めるまでに成長したのだよ、というようなことだと思います。


2010.8.29 古事記(1)

日本の神話や古代史に興味を持って、その関係の本を読んで見たのですが、どうもはっきりしません。しかたないので、古事記の原文を読んでみることにしました。古事記を読む前に日本書紀を読むよう勧めた本が多いのですが、日本書紀は分量が多くて(岩波文庫で5冊)、とても読み切れると思いません。その点古事記は岩波文庫で一冊ですので、一生かかれば読み切れるかもしれません。

普通に読んでも続きそうにないので、日誌で読んだことを発表するという形で進めたいと思います。読んでいる購入した本は、「古事記」(倉野憲司校注、岩波文庫)です。この本は原文、読み下し文、脚注という構成です。今後引用はすべてこの本からになります。今では使われない漢字が多いので、その部分は当て字かカタカナ表記とさせて頂きます。現代語訳はありませんので、私が勝手に解釈したものを書くことになります。

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古事記 上つ巻 序をアワせたり

序第一段 稽古照今

臣安萬呂言(マヲ)す。それ、混元既に凝りて、気象未だアラハれず。名も無く為(ワザ)も無し。誰れかその形を知らむ。然れども、乾坤初めて分れて、参神造化の首(ハジメ)となり、陰陽ここに開けて、二霊群品の祖(オヤ)となりき。
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安萬呂さんが暗唱した歴史を書きとめたものが古事記だと冒頭に述べています。後の部分は、中国の易経そのものの要約でありますから、ビッグバンあたりの宇宙観は中国と同じです。つまり、日本の知識レベルは既に高く、中国の古典なんかは当然読んで理解してますよ、と言いたいのだと思います。易経では、混元、陰陽、乾坤、八卦、五行(順番は忘れました)などに分かれる過程で世界が造られるのですが、その陰陽が分かれるという非常に早い段階で、二霊(イザナギの命とイザナミの命)が生まれたと言っています。現代の科学で言うと、ビッグバンの直後ですがら、130億年くらい前のことです。たった二行読んだだけでも、現代の科学が易経などの古典の影響を強く受けていることが分かります。

日本は誰が造ったの?、いつごろ造ったの?、水は?、土は?、山は?、海は?、川は? と子供に聞かれたときの統一見解を示しています。日本は天皇家の祖先が造ったのであるから日本は天皇家の物である、というと生臭いので、イザナギ・イザナミの命という神さまが造ったのだよ、と少し遠まわしに言っているように思われます。

ところで、序第一段のテーマは、稽古照今です。「稽古」とは「古(いにしへ)を稽(かむがへ)る」いう意味で、「照今」が「今に照らす」ですから、すなわち、今(712年)の判断基準を、それ以前の歴史によって与えると言っているわけです。ですから、これは歴史書というよりは、712年の天皇家からの通達集であるという私の仮説は、あながち間違ってはいなかったようです。


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