2017.1.29 Ginza 銀座

1839年、ウィーン大学の若き数学教授ヨーゼフ・マックス・ペッツバールはダゲレオタイプ用の明るい人物用レンズの設計を行った。 まだ電子計算機はない。オーストリア陸軍砲兵隊総司令官ルートビッヒ大公から弾道計算のできる砲手八名を 借り受け手計算。(レンズ設計は初期のノイマン型電子計算機の主要なアプリケーションだった) ペッツバール博士にレンズ設計に関する予備知識は全くなかった。しかし、わずか六か月という驚くべき速さで二本のレンズを設計した。 このレンズはペッツバール型と呼ばれ長期間大量に生産され、ペッツバールは歴史にその名をの残した。しかし、製造を依頼した 友人フォクトレンダーと報酬のことで関係悪化。結局フォクトレンダーにブラウンシュワイグに逃げられ、 十分な報酬をえることはできなかった。(オーストリア帝国はすでに存在したが、ドイツ帝国はまだ存在しない)

白黒画像 Monochrome images
レンズ: Voigtlander & Sohn in Wien No 3178 (1850年 嘉永三年)約160mm F4
カメラ: 明治30年代にパリのE. MAZO社で製造された木製カメラ
フィルム: モノクロネガフィルム FOMAPAN 100 4x5
(E.MAZO Paris + Voigtlander & Sohn in Wien No 3178 (1850) + FOMAPAN 100 4x5, F=16, 1/2 second by cap)

Monochrome images
Lens: カラー画像 Color images
レンズ: 1863年にパリのVallantinによって製造されたレンズ。約70mm F4.5
カメラ: Canon EOS 5D Mark II
(Vallantin Lerebours 70mm F4.5 (1863) + Canon EOS 5D Mark II)








F16-32, 1/2 - 1.0 second by cap