2013.5.1 Kashihara 橿原

飛鳥を自転車で回ろうと思い近鉄橿原神宮前駅へ。まず奈良県立橿原考古学研究所付属博物館の「5世紀のヤマト〜まほろばの世界〜」を見学。5世紀の遺跡から出た資料が展示されており興味深いのですが、最も興味を引いたのが5世紀の地図。古奈良湖は既になく、奈良盆地全体が陸地をして描かれています。

その後、藤原宮跡へ。藤原京はわずか16年で終わり、平城京に遷都します。風水的には宮殿の北に山が必要です。一応、耳成山がこれに相当するようですが、139.2mは少し低すぎたのかもしれません。あるいは、土地そのものが低すぎて、水害でやられたのかもしれません。

次に、天香久山の麓にある奈良文化財研究所を訪問。こらにも藤原京に関する資料の展示があります。受付の方に奈良盆地の水田開発の歴史について相談したところ、やはり橿原考古学研究所に問い合わせるべきだということになりました。天香久山に登った後で、橿原考古学研究所を訪れることにしました。

橿原考古学研究所の受付の方にお願いすると、水田の発掘担当者の方に直接話を聞けることになりました。運が良かったようです。担当者の方の話によると、

1. 縄文後期の遺跡が奈良盆地の一番低いところにも存在するので、縄文後期には既に古奈良湖は消滅していたと考えられる。法隆寺付近に古奈良湖が7世紀頃まであったという説は、どうやら間違いのようです。

2. 大和川は人工的に掘削しなくても奈良盆地の水を排水可能。古墳時代には船が航行出来たようである。私は大和川を人工的に掘削して奈良盆地から排水したと思っていたのですが、そうでなないようです。大和川を船が航行できないので、木津川か吉野川を使うしかないと思っていたのですが、大和川も物資の輸送に使えたのだそうです。

3. 水田の後の発掘は難しい。良い場所は、弥生時代から現在までずっと水田として使われているので、昔の水田跡は存在しない。弥生時代に水田が洪水で砂に埋まり、その後水田として使われなくなった所しか発掘できない。したがって、弥生時代に存在した水田の全体的な分布を知ることはできない。

忙しいところ、丁寧に発掘結果に基づく説明をして頂き、ありがとうございました。


Camera: Canon EOS 5D
Alexis Gaudin N P Lere Paris 1816


後ろ(北)に見えるのが耳成山。手前が藤原宮跡。


天香久山から畝傍山方面を望む。
100mm F= 3.5, Right: Pixel crop
1842年(天保13年)頃パリで製造されたレンズで撮影。