2010.8.9 Yamato 大和三山

Camers: EOS 5D
COOKE SPEED PANCHRO LENS No282574 75MM f/2
法隆寺は大和平野の各地から見えるのではないか? という仮定の下、大和三山へ登ってみました。橿原神宮前駅で自転車を借りてスタート。

COOKE SPEED PANCHRO LENS No282574 75MM f/2
F=2.0-4.0, Right: Pixel crop




まずはすぐ近くの橿原神宮に参拝。





東大谷日女命j神社の前の登山道を登り、30分ほどで山頂に着きます。山頂からは葛城山方面と耳成山方面には眺望が開けています。しかし、法隆寺方面は立木に遮られており、確認できませんでした。頂上には畝火山口神社の跡があります。畝傍と畝火は同じ意味のようです。この山の頂上からは、奈良盆地南部一帯が良く見えます。真下には藤原京がありました。ここは藤原京の天守閣だったのだと思われます。大和盆地の湿地の開墾状況の監視、敵の侵入の監視、のろしを上げて、大和平野全域への指示、などには最適の場所です。沼地に畝を作って排水をし、水田の開拓を行います。収穫の済んだ水田の畝では稲藁を燃やして、畝傍山に駐在する農地開発責任者に報告したのかもしれません。




古い街並みを残す今井町。古い土壁の建築が良く保存されて います。猛暑の月曜日で、さらに夕立の直後で、今井町に人影はほとんど見られませんでした。




耳成山。山頂は樹木に覆われており、景色は全く見えません 。耳成山口神社の猫も暑そうでした。



藤原京跡。現在は空き地になっており、順次藤原京の発掘が進められているようです。一部は草野球のグランドや観光用の蓮田になっています。蓮の花の向こうに見えるのは畝傍山。発掘現場を見ると、わずか1mほど表土を掘ったところに藤原京の遺跡があるようです。山からの土砂の流出は大したことはなく、1300年前の地形が良く保存されているようです。





最後に天香久山。この山の南側は飛鳥です。天香久山の山頂からは畝傍山方面のみ眺望がありますが、他は木に覆われており見えません。登山口に次のような歌碑がありました。

(立て看板)
大和には群山あれどとりよろふ
天の香具山登り立ち国見をすれば
国原は煙立ち立つ海原は鴎立ち立つ
うまし国そ蜻蛉島大和の国は
欽明天皇(509-571)

(石碑)
天皇登天香具山臨國之時御製歌
山常庭村山有等取興呂布
天乃香具山謄立國見乎為者
國原波煙立龍海原波加萬目立多都
怜[小可]國曽蜻嶋八間跡能國者

この歌の解釈ななかなか難しいようですが、私は素直に解釈したいと思います。欽明天皇の和風諡号天国排開広庭天皇(あめくにおしはらきひろにわのすめらみこと「日本書紀」)。どうやら欽明天皇は沼地の排水をして開拓をし庭を広げた人のようです。父である継体天皇は傍系の出で、若狭から大和に乗り込み、仁賢天皇の皇女手白香皇女(たしらかのひめみこ)との間に嫡子欽明天皇をもうけます。欽明天皇が即位することには大和政権もある程度安定し、奈良の沼地の水田開発が進んだのだと思われます。その指導者であった欽明天皇は三輪山の麓から天香具山に視察に来て、開発済みの國原には煙が立ち、見開発の沼地や古奈良湖の水面には鴎が舞っている。飛鳥や三輪山の麓の山暮らしより、その後の藤原京のあたりに都を造る時期も近いと思ったのではないでしょうか。

古代の謎を解くカギは語呂合わせにあるのではないかと思います。「庭」を最初に持ってきているのも語呂合わせの一種かもしれません。そんなことを考えながら山を歩いていると、大国主命の意味が分かってきました。大国主命にはたくさんの別名がありますが、語呂合わせで、複数の人物をまとめて名指ししているような気がします。

大物主神(おおものぬし) -- 大伴氏と物部氏? 天皇家の奈良盆地開拓への貢献は認めつつ、頭に乗ると出雲へ飛ばすぞという天武天皇の脅しか? 蘇我氏は既に滅ぼしたので含まれず。

大穴牟遅神・大穴持命(おおあなもち) -- 兄であり最大の政敵だった天智天皇を支援した大津の穴太の製鉄氏族のことか? 製鉄技術で大和朝廷を支えたことを認めつつ、天武天皇に逆らうことは許さんという意味か?

葦原醜男・葦原色許男神(あしはらしこを) -- まさに奈良の葦原を開拓した氏族達。後は天孫である朝廷が管理するので、おとなしくしておいてね。ご苦労様でした、という意味か?