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ksmt.com管理者 写真レンズの歴史の研究

beck Isostigmar Series VI 6″ board

R&J BECK Ltd Patent 871559 9.5 IN ISOSTIGMAR f5.6 No 113839 (Series VI)をDeardorff 6″ボードに取り付け

1906年にロンドンのべック社で開発されたISOSTIGMAR アイソスチグマーは、貼り合わせのないダブルガウス型レンズの中央に薄い凹エレメントを入れたユニークな設計です。以下のシリーズが製造されたようです。

Series 0 F3.5
Series 1 F4.5
Series 1a F6.4, F6.5
Series 11 F5.8, F6.3
Series 111 F7.7
Series 1V F6.5, F6.3
Series V F11
Series V1 F5.6

isostigmar

レンズを入手後知ったのですが、このレンズは前玉が移動できて、ソフト加減を調節できます。Vade mecumには次のように記載されています。
Series V1 f5.6 9.5-17in. は 9.5in for 8.5×6.5in, 12in for 10x8in, 17in for 12x10inがある. 60度の画角をカバーし、ソフトネス可変である。宣伝では「完璧なシャープネスから完璧なソフトまで」と書いてある。Series VIはソフトネス可変のポートレートレンズであり、前玉を回すことにより前玉が前後し、ソフトネスをコントロールできる。前玉の移動距離は約6mm。この機構は時間がたつと壊れるかもしれないので、買うときは注意すること。このレンズは1908年から少なくとも1922年まで製造された。

Ross ACTINIC DOUBLET 6″ board

Ross LONDON 13384 ACTINIC DOUBLET

「写真レンズの歴史」 (ルドルフ・キングスレーク著、雄倉保行訳、朝日ソノラマから引用。
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ロスのダブレット
1841年という早い時期、アンドルー・ロス(Andrew Ross, 1798-1859)が、ロンドン在住の画家でカロタイピストのヘンリー・コレン(Henry Collen)のためにF4の人物用レンズを作った。これは全く形の違う2個の張り合わせダブレットを離して並べたものである。前群は普通の望遠鏡の対物レンズ、後群はクラウンの平凸を前にしたちょっと変わった張り合わせダブレットであった。
このレンズは人物用としては成功しなかったが、1864年、アンドルーの息子トマス(Thomas, 1818-70)がjこの構成を復活させて、暗いが歪曲のないレンズを作った。ロスのダブレットには次の三種類がある。
ラピッド、アクチニック、またはインスタント・ダブレット、F9で画角は±28度
中画角ダブレット、F15で画角は±35度
広画角ダブレット、F18で画角は±40度
これら三種類の構成は同じだが、画角が小さくなるとレンズが長くなり、メニスカスの形が弱くなっている。評判は良かったが、2~3年後に表れたラピッド・レクチリニアに置き替った。
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製造番号から推測すると、このレンズは1871年(明治4年)頃の製造だと思います。ross_actinic

F15で画角は±35度、210mmですから、計算上は8×10を余裕でカバーするはずです。

ちなみに、Dallmeyer Tripole Achromaticに似た構成のRoss Actinic Tripletというのもあるようです。

Busch Stigmat Deardorff 6″ board

Busch Anastigmat-Satz STIGMAR F6.3

Busch Stigmarlinse No5 F=350m/m
Busch Stigmarlinse No4 F=280m/m
Busch Stigmarlinse No2 F=185m/m
Busch Stigmarlinse No1 F=155m/m

Busch Stigmarを以前見た時にはZeiss Anastigmat Series VII型ではないかと書いたのですが、見直してみるとVade mecumに記載された通りSatz Plasmat型だと思います。

stigmar

13x18cmと書いてあるので5×7用のレンズです。大変よく写ります。

Rodenstock Portrait Objectiv Serie I No 4 into 6″ board

ローデンストックのペッツバール型のポートレートレンズ(1911年ごろ製造)をディアドルフ8×10用のボードに取り付け。

rodenstock

かなり大きなレンズですが8×10はカバーせず、5×7用です。ローデンストックは1878年創業ですから、そんなに古いメーカーではありません。ローデンストックのペッツバールレンズは初めてですので楽しみです。

A. Ross 3487 6″ board

1851年頃の製造のA. Ross LONDON 3487をDeardorffの6″ボードにねじ込み。フランジ金具はないので、ベニヤ板にぎりぎりの穴をあけて直接ねじ込みます。ベニヤ板に穴をあけたときのササクレがスクリューに入り込んでレンズを支えてくれます。

rofs

後年ウォーターハウス絞り用のスリットが開けられたようですが、絞り板と筒の隙間を埋めるワッシャーが入っていません。これでは隙間から光が漏れるので、うまく写りません。ウォーターハウス絞り改造を途中で中止したとしか考えられません。プラスティックで簡単なワッシャーを作って、ウォーターハウス絞りが使えるよう改造しました。焦点距離は200mmくらいで、5×7をカバーします。

Home made Waterhouse stop

ウォーターハウス絞りを自作。黒いプラスティック(ビニール?)の板を使用。

stoppantoと書いてあるのはレンズに付いてきたもので、自作ではありません。穴の大きさはおおよそです。柔らかくて粘る素材ですので、きれいに穴をあけるのが結構難しい。

cutter 20mm以上の穴は円切りカッターできれいに切れます。円切りカッターで上手に切れるようになるには少し時間がかかります。20mm以下の穴はリーマーでやるのが一番簡単。ビニールのような柔らかい素材はドリルではうまく穴が開きません。革に穴を空けるポンチがあれば よさそうですが、残念ながらありません。ということは、直径5mmの穴なら書類をファイルする時に使うパンチでいいわけですね。小口径のレンズになら使えそうです。

Dallmeyer TRIPLE ACHROMARIC Deardorff board

TRIPLE ACHROMARIC LENS J.H. Dallmeyer LONDON No 5112 (1863年製造)をDiadorff 6inchボードに取り付け

t5

(断面図はa lens cillector’s vade mecumより引用)
「ダルメヤーの三枚玉色消しレンズ」
「この面白いレンズは1861年、J.H.ダルメヤーの設計によるものである。図4.16に見られるように、いくらか弱い色消し部品3個を凸凹凸の順に並べてある。明るさはF10、解像度も良く歪曲もなかった。各種の焦点距離のものが作られ、1866年にラピッド・レクチリニアが出現するまで非常に人気があった。同じようなレンズをT.ロスも作り、アクチニック・トリプレット(Achtinic Triplet)と名付けていた。」 (写真レンズの歴史、ルドルフ・キングズレーク著、雄倉保行訳、朝日ソノラマより引用)

tripleacro

江戸時代のレンズで、8×10をカバーして、軽くて、小さくいレンズ。デジカメでは良さが発揮できないが、大判だと魅力的です。

 

簡単なカットフィルム装填

カットフィルムをホルダーに入れるにはダークバッグを使うか、押し入れに入るか、と思っていたのですが、夜に部屋の電気を消せば普通に作業できることが分かりました。窓を遮光しなくても、入ってくる光はありませんんので。誰かが急に電燈を点けることには注意が必要。

VERITO 8 3/4inch Deardorff board

WOLLENSAK VERITO f-4 DIFFUSED FOCUS 8 3/4 in No 12312は5×7のレンズだそうですが、実際のイメージサークルは結構大きく、8×10でも使えそうです。

verito

ディアドルフの6インチボードに入れました。3mmのべニア板にぎりぎりの大きさの穴を円切りカッター空けて、ねじ込み。フランジ金具はなくても、簡単に加工できます。穴の大きさが微妙ですが、ちょっと練習すればできるようになります。

ディアドルフ用のゲタ改良

ディアドルフ8×10に重いレンズを取り付けたときにレンズボードが下向くのを防止するためのゲタを改良

問題点1: ゲタが低すぎて、レンズがフォールしすぎて、フィルムの上部がケられる。==>ゲタを3cmから5cmに変更

問題点2: 安定不足。ネジを締め方が甘いと倒れる。==>ゲタを端に寄せて、縦の支柱を挟んで安定化

問題点3: 3cmのゲタと1cmのゲタを二個持たなければならない。==>一個の長方形のゲタで3cmと5cm(スクエア)を兼用

g15cm(レンズがセンターに来る)で使用。縦の支柱を抱えて安定させた。

g23cm(2cmフォール)使用時。こちらも縦の支柱を抱え込んで安定。

g3 g4上側は蛇腹と干渉するので、浅目。左側と下側は安定させるため深め。

これで問題はすべて解決したはずです。

フィルム乾燥用洗濯ばさみ

百均で買った洗濯物干しだとフィルムに跡が残るので、写真用のピンチの方が良さそうです。ビックカメラで見た写真用のピンチはそれなりの値段ですが、12個で118円のもありました。

h1

これは水洗いにも使えそうです。フィルムを6枚流水で洗う時、放っておくと全部沈んでしまい、フィルムの間に水が通っていません。これはまずい。このピンチで端を挟んだフィルムを水洗い桶に入れれば、隙間を水が流れるのではないかと思います。そのまま干せますし。今度試してみます。

8×10 cut film holder repair

eBayで安い8×10 cut film holderを探すと、フラップの布の張り替えが必要なものが出てきます。とれも簡単な作業にようですので、自分でやってみました。

t2 t3

こんな感じです。製本用の布のようなものが糊で貼ってあったのが年月を経てはがれています。

t4Leakって書いてあるので、光線漏れだと思います。右側は読みませんが、光線漏れを発見した人の名前かもしれません。

t5ちょうどよい布が無かったので、大量にある薄い革を貼ってみました。柄がありますので、他人の取り枠と間違える心配がない。(複数の人が8×10で撮影するシチュエーションは少ないと思いますが)

t6

よく見ると、木枠の組み方がちょっと違います。上はフラップが左端まで開きませんが、下のは端まで開きます。使用上はどちらでも同じですが、上のケースで布を端まで貼ると、フラップが開かなくなります。

Deardorff 8×10(1925) + Jamin no. 1147(1857)

ついに8×10の撮影準備ができたので試写。人生初のフィルムの自家現像も特に問題なく終わりました。j5大磯の宿場祭りで知り合いになったご夫婦(とっても写真に詳しい)にお招きにあずかり、とてもおいしいカレーとお酒を頂いた上に、モデルまで引き受けて頂きました。ありがとうございました。

j3奥様は華奢に見えて力持ち。8×10のカメラ、巨大なペッツバールレンズ、カットホルダー3個、デジタル一眼レフ、頂いたお土産などが入った私の巨大なリュックサックを軽々と持ち上げて、25Kgくらいね、とおっしゃる。

j1奥様の畑。結構広いです。作物がたくさん穫れるそうです。光軸を顔に合わせるため、レンズをフォールしたのですが、やりすぎでした。画面下部がケラレているのは、そのせいです。ポートレート以外を撮る時には、もう少しレンズボードを上げなければいけません。

上海フィルムはなかなか良いようです。最初フィルム一枚ずつ丁寧に現像したいたのですが、3枚目からは二枚ずつ上下を入れ替えながら現像。フィルムの角でちょっと傷つきますが、仕上がりは特に問題なし。

現像液: フジフィルム ミクロファイン(1:1希釈現像)10分。(水温は測っていませんが、多分20度くらい)

定着液: スーパーフジフィックス-L (指示通り希釈)第一定着5分+第二定着5分。(現像時間が10分だったので、それに合わせただけです)

水洗い:10分(時間が無くて短縮)

水切り剤:ドライウエル(10秒)撹拌したら泡立ってしまいました。濃すぎたかも。

乾燥:スポンジで拭いたりせず、濡れたまま吊るして乾燥。普通の洗濯ばさみで干したので、端がちょっと傷つきました。写真用のクリップを買ってきます。

d2使用したカメラとレンズ。

Deardorff 8×10 reduced back 5×7

5×7のレンズをdeardorff 8×10で使用するための縮小バックが販売されていますが、結構高いです。うちに使っていないCAMBO 5×7のスプリングバックがあったので、ベニヤ板で縮小バックを製作。

d1デザイン的にはいまいちですが、ほぼタダなので。

dbカンボのバックにドリルで穴を空けてビスで固定。

da 3mmの薄いベニヤ板2枚を木工ボンドで貼りあわせて、中央に穴を空けます。ここの5×7バックをビス止めして完成。

dc本物のボードはマホガニーに板に釘を打ってありますが、3mmに薄いベニヤ板に釘は打てないので、薄い真鍮の金具で代用。横位置用の金具はないので、縦位置専用です。

Deardorff 8×10 ゲタ

木製のカメラで重いレンズを使うと、どうしても頭が下がってしまいます。それを防止するゲタを製作。

d7レンズボードに下のゲタをかませることにより、頭が下がるのを防ぎます。これだとネジを無理に強く締める必要はありません。

d6ゲタの高さは4cmと1cm。これによりレンズボードのフォール量を固定できます。ペッツバールレンズでポートレートを撮影する場合、光軸を顔に合わせる必要があります。このゲタがあれば、フォール量を常に一定に保つことができますので、急いでポートレートを撮影する時にも迅速にセットアップできることを期待。

d84cmのゲタをはかせたところ。フォール量小。

d91cmのゲタ。フォール量大。

Deardorff 6inch board x 4

Deardorff 6inch lens boardを4枚製作。3mmの合板を使用。薄いので彫刻刀(子供が木版画を作る時に使うもの)で簡単に穴が開きます。

d2Jamin No 1147 – Sinarボードに入っていたので、そのままディアドルフボードにビス4本で固定。大きさのバランス的は良いようです。後玉をはずさないと絞りが変えられないので、F4.5かF8かのどしらか。室内専用と考えた方がよさそうです。最大の問題は総重量。体力のあるうちに使えということかもしれません。

d3GUNDLACH ANAST 8X10 F6.3 SER. IV – 8×10をカバーするシャッター付のレンズはこれしか持っていません。シャッター速度の設定を変えても、1/20sしか切れないようですが、ないよりはましです。絞りもF64までありますので、改正の屋外でも使えそうです。4群4枚のダブルガウス型。ピントグラスを覗いてみると、8×10の四隅までシャープに見えます。

d4Dallmeyer 3D No 93524 300mm – 1908年(明治41年)頃にロンドンで作られたレンズ。9年前に買ったのですが、出番がありませんでした。ディアドルフ8×10のピントグラスを見ると、十分8×10で使えそうです。光彩絞りが付いてF45まで絞れるので、日中の屋外でも1秒露出で撮影できそうです。

d5C. Berthior のペッツバールレンズ。慶応元年頃フランスで製造。美しいレンズなのでディアドルフで使いたいのですが、焦点距離が210mmほどしかなく、8×10だと四隅が真っ黒です。5×7がぎりぎり。安全をみるなら4×5。

現像液と定着液

8×10(Shanghai ISO100), 5×7(Shanghai ISO100), 4×5(Fuji ACROS ISO100)の白黒フィルムが揃いましたので、次は現像液と定着液。

g1g3

2リットル溶かしました。1:1希釈現像しようと思います。

g2

規定通りの濃さで2リットル作りました。酢酸の臭いがしますので、停止液を兼ねているようです。皿現像ですので、停止に酢酸は使わず、水洗いだけですまそうと思います。

Ross LONDON 3487

A. Ross LONDON 3487

r1 r2Rossの3487番は1851年頃(嘉永四年頃)の製造ということになります。Voigtlanderの3626番も1851年(嘉永四年)と考えられますので、RossとVoigtlanderはだいたい同じ本数のレンズを生産したいたと考えられます。

Voigtlanderの精密な刻印に比べるとRossの刻印はずいぶん雑です。本当にRossの3487番なのか? という疑問はありますが、ネットで同年代のレンズを調べると似たような刻印ですので、まあ本物と考えることにします。

r3ペッツバール型です。ガラスが金属枠に接着されている点は他のRossレンズと同じです。

r5 r4

1851年にはまだ絞りは使われていませんので、このレンズには絞りはついていない と思っていたのですが、よく見るとwaterhouse絞りのスリットがありました。しかし、この位置ではラックアンドピニオンギヤを絞りを一緒に使うことはできません。後年になって、蛇腹でおピント合わせができるようになったので、ラックアンドピニオンギヤが不要になり、その代りに乾板の普及で必要となった絞りの穴をあけたのかもしれません。

この絞り板を入れるスリットの切り方がずいぶんいい加減です。普通は光線漏れがないようにワッシャーを二枚入れて、その間に絞りを差し込むのですが、ワッシャーが全くありません。これでは絞り板をいつも同じ位置に置くのは難しいと思います。

少し疑問はありますが、まずは使ってみたいと思います。

シートフィルム装填の練習

百円で買った4×5のホルダーに未現像のフィルムが残っていましたので、 これを使って練習。シートフィルムを装填したのはこれが初めて。f1

ノッチを右下にすると乳剤面が上に。

f2

注意点1、下のガイド溝に入れる。上の引き蓋の溝に入れると、蓋が閉まらない。

f3

これは裏です。フィルムの裏表で全然色が違うんですね。

f6

注意点2、フィルムをきっちりと最後まで入れること。ノッチの部分が下の段に落ちていればOK。

f5

この状態だとフィルムが入りきっていないので、蓋が閉まりません。4×5はフイルムに腰があるので、割と簡単ですね。8×10のフィルムはまだ装填したことがありません。

8×10 film holder x 9

8×10のカットフィルムホルダーをeBayで8個調達。合計9個(フィルム18枚)あれば足りると思います。

dd

かなり古いものですし、清掃または修理(開閉部分の布テープの貼り直し)が必要なので、本体価格は割と安いのですが、送料が高い。1個でも8個でも送料はあまり変わりません。なのでまとめて買ったわけです。しかし、9枚の取り枠はカメラ本体よりも大きくて重い。これらとレンズをまとめて持ち運べるバッグを調達しなければなりません。(冷静に考えると、持ち運べる取り枠は4個ぐらいが限界か?)

Deardorff 8×10 V8 Camera 4

レンズは1857年頃製造されたJamin No. 1147 を使おうと思っています。

d56×6インチのレンズボードをまだ作っていないので、Sinarボードを引っ掛けただけです。後でちゃんとしたレンズボードを作ります。大きさ的にはバランスが良さそうなのですが、総重量が半端ないので、ちょっと不安。 大きさ比較のためEOS 5Dを隣に置いてみました。

それに、このレンズにはシャッターがありません。こんな太いレンズで使えるシャッターは市販されていません。帽子かキャップで1秒ほど露光する以外にありません。F32くらいまで絞れば日中屋外でも使えますが、それだとピントグラスが暗すぎて見えない。従って、室内専用ということになりそうです。

キャップをシャッター代わりに使う練習をしてみたのですが、1/4秒くらいのシャッターなら何とか切れそうです。普通の室内でISO100ならだいたいこんなもんだと思います。

Deardorff 8×10 V8 Camera 3

8x10のカットフィルムホルダー(取り枠)に8×10のフィルムを入れて撮影します。大きいです。

d8d9da

日本カメラよりだいぶ大きいです。最近製造されたものはプラスチックですが、古いものは木製です。グラフレックス社がコダック向けに製造したものです。こちらも古さ重視で木製のフィルムホルダーを使いたいと思います。光線漏れがあるかもしれませんが、気にしないことにしましょう。

Deardorff 8×10 V8 Camera 2

初期型のディアドルフのもうひとつの特長として、三脚穴の周りに金具が全くないことがあげられます。

dbdc木の板にいきなり1/4インチの細ネジの穴があります。このカメラには大きな金属金具が付けられていた痕跡があります。オリジナルに戻すために取り外されたのだと思います。そのおけげで軽量です。ただし、木の板に少しヒビの補修跡が見られます。強度と重量は両立しないようです。オリジナル重視で、このまま使いたいと思います。

Deardorff 8×10 V8 Camera

ラバーン・F・ディアドルフは1923年(大正12年)から手作りで8x10インチの大型カメラの製造をはじめました。1925年までに約230台製造されたフロントスイングのない初期型をV8型と呼ぶそうです。

d1たたんだ状態

d2板ばねのフックをはずすだけで簡単に開けることができます。

d3

前の板を倒すと、レンズボードがおじぎをした状態で現れます。

d4

レンズボードを引き起こしてネジをしめると撮影可能になります。d7フロントのフレーム下部が木製で、スイング機能がないため、比較的軽量です。

d6MFD. BY L.F. DEARDORFF & SONS CHICAGO, ILL.

初期のディアドルフにはシリアルナンバーが付いていないようです。多分1924年か1925年の製造だと思います。このころはデトロイトでフォードT型が大量に生産されていた時代です。シカゴも数年後に起こる世界恐慌の前のバブル景気だったのかもしれません。

 

Voigtlander & Sohn in Wien No 3178 sample

Voigtlander & Sohn in Wien No 3178 をEOS 5D MarkIIで試写。

v3va

これくらいの近距離だとシャープです。わずかに残った収差により肌が柔らかく見えます。

v1遠方になるほどシャープさが失われます。

v1s拡大するとこんな感じ。ピントの芯はあるようです。

vbvbs

拡大すると、点光源が滲んでいるのが分かります。遠方になるほど、この滲みの影響が強くなるようです。やはりポートレート用のペッツバールレンズではポートレートを撮影した方が良いようです。

Voigtlander & Sohn in Wien No 3178

Voigtlander & Sohn in Wien No 3178

1848年(嘉永元年)にウイーンのフォクトレンダー社が製造したペッツバール型のレンズです。

v5愛用しているVoigtlander No 3262はフードとラックアンドピニオンギヤが失われていますが、このレンズはほぼ完全な姿で残っています。v2Voigtlander社の古いレンズの刻印はどれも見事です。

v1ガラスもきれいです。

v3ペンタックス67用に改造。ラックアンドピニオンギヤでピント合わせを行います。右側につまみがあるのですが、右手はシャッターを押さなければならないので、左手でピント合わせができるよう回転して取り付けました。

v4このレンズが作られた1848年当時は、まだダゲレオタイプの時代です。湿板コロジオン法が始まる1851年まで、まだ三年あります。このレンズが製造された時にはまだ絞りを使う必要はなく、レンズに絞りは付いていませんでした。ダゲレオタイプの感度が低くて、絞る必要がなかったのです。後に感度が上がると絞りが必要になり、このレンズにも取り付けられました。普通は絞り板は上から入れるのですが、このレンズはその位置に見事な刻印があります。この刻印を避けてレンズの左方に絞りの穴が追加されたようです。

No 60864 Portrait Objectiv Serie I No 4 G. Rodenstock Munchen

No 60864 Portrait Objectiv Serie I No 4 G. Rodenstock Munchen ローデンストックのポートレートレンズ。ローデンストック社の歴史はこちら。 製造番号から1911年(明治44年)ごろの製造だと思われます。   r3明るい色の真鍮です。 r4刻印全体が手彫りかどうかは分かりませんが、少なくとも製造番号は手彫りです。製造番号の数字が他の字より下手糞のような気もします。 r1レンズ構成は普通のペッツバールですが、レンズが結構厚いです。ガラスが少し緑色のようにも見えます。

r2丁寧にコバ塗りがしてあります。いつごろからコバ塗りが一般化したのかは不明です。

5×7 (13x18cm) vs. 4 3/4″ x 6 1/2″(12×16.5cm)

5×7のホルダーとキャビネのホルダーの違い

51上方が5×7で下方がキャビネ

52ホルダー上部には5×7、その下には13x18cmと書いてあります。これが5×7です。

53キャビネ(A5)のホルダーには5×7, 12×16.5cmと書いてあります。

5455

内側の大きさが違います。フィルムサイズと合っていないとまずいですね。日本で売りに出るのは12×16.5cmばかりです。

4×5 spring back with hood + Fuji ACROS 100

5×7のカットフィルムホルダーを探したのですが、安いものが見つかりません。eBayで売られてはいるのですが、送料が高かったり、米国内しか発送しなかったり、今にも分解しそうな木製の枠だったりして、買う気になりません。

そこで4×5のスプリングバックを探したら、安いものが見つかりました。4×5のホルダーは300円でたくさん売っているので、一応4×5の準備もしておこうと思います。

h1TOYOの製品らしいのですが、何も書かれていません。

h4フードを空けると、冠布なしでピント合わせできそうな感じです。

h3ルーペを使う時には、フードを跳ね上げます。

a1ACROS 100をヨドバシカメラで購入。4×5関連の製品はまだまだ豊富にあります。これで皿現像の練習をしようと思います。ただし、フィルム一枚の値段は中国製の5×7フィルムの値段とそんなに変わりません。好きな時に少量変える利点の方が大きいです。

SHANGHAI 5x7inch Film 50 sheets

SHANGHAI 上海 ISO 100 B/W SHEET FILM 5in x 7in x 25sを二箱購入。先月で期限が切れていますが、販売店に聞いたら先月期限が切れたばかりなので、大丈夫とのこと。まあ、安いので、現像の練習用にはこれでいいでしょう。一枚当たりの単価は127ロールフィルムの1.5倍程度。面積は約9倍。

s2

問題は5×7のカットフィルムホルダーが一個しかないこと。二枚しか入らないわけですから、はたして50枚使い切れるのか? 5×7(13x18cm)のカットフィルムホルダーの安いのを探さねばなりません。5×7と書いてあるフィルムホルダーが実はキャビネ(12×16.5cm)だったのは、ちょっと誤算。5×7というのはスプリングバックの規格(つまりホルダーの外形)のことで、必ずしもフィルムのサイズ(つまりホルダーの内側)のことを言っているのではない、ということに今頃気付いたのでした。

フィルム再デジタル化2

35mmネガフィルムを20本ほど複写して、だいぶ慣れてきたのですが、まだまだ良く分からないところがあります。ネガはもっと融通が効くと思っていたのですが、そうでもないようで、難しいです。

IMG_6990mCamera: Leica No 14428 (Barnack Leica, 1929)
Lens: Leitz Elmar 1:3,5 F=50mm
Film: Fuji SUPERIA PREMIUM 400

複写後のRAW現像の時、「リニア」を指定すれば良いのですが、それだと髪の毛の黒いところがつぶれてしまいます。また、着物のハイライトも飛び気味なところも直せない。露出不足および露出過多だけは簡単に調整できます。露出がいい加減でも、一応何が写っているかは分かるように作られているのだと思います。しかし、露出とコントラストを調整してしまうと、結局はポジやデジタルと同じように黒潰れや白飛びは逃れられないようです。当たり前のような気もします。

IMG_6990b

白黒にすると、白飛びの黒潰れもあまり気になりません。それがいったいなぜなのかは不明です。

フィルム再デジタル化

一月にデジタル化した鎌倉の写真はあまりにもひどかったので、再デジタル化しました。ポイントはデジカメで複写したRAW現像時のトーンカーブを対数からリニアに変えたことです。

e4

ネガフィルム上では暗い所(アンバーのところ)に諧調が詰まっています。しかし、以前にデジカメで複写した時には、フィルムの暗い所に十分な諧調が割り当てられなかったため、こんな画像になってしまいました。

e4l

RAW現像時に   「リニア」を選択すると、ネガの暗部に諧調が割り当てられ、反転時に正しい諧調になります。

e4s

以前の拡大図。顔を明るくすることができませんでした。

e4ls

再デジタル化した拡大図。顔が明るく描写されています。二絞りくらい露出アンダーのネガですが、正しくデジタル化すれば救済可能であることが分かりました。

この場合、機材は何も変えていません。ただ複写する人の認識が変わっただけで、こんなに出力が変わるのです。写真に限らず、音楽でも同様のことが起こりそうです。リマスタリングで音が良くなる理由が分かったような気がします。

History of Clement & Gilmer 2

Reference: Corrado D’Agostini’s book

LAVERNE – CLEMENT & GILMER

1860年 Gasc & Charconnetによって創業。当初この名前をレンズに刻印していた(後にこの名前は別の会社のレンズに刻印されるようになった) その後、A. Laverneの名前も一緒に刻印されるようになった。さらにその後、Gasc & CharconnetとClement & Gilmerが両方刻印されるようになった。

実際、旧Gasc & Charconnet(新Gasc & Charconnetと区別するため)は投資家であるLaverne氏によって買収された。Clement & Gilmerが1887年にLaverne氏と共同経営者になり、1890年に買収した。1897年、フランス写真協会会員になる。19世紀末までClement & Gilmerと刻印された。製造番号は100,000番に達したが、そんなに多くのレンズを製造したとは思えない。刻印は次のように変わった。

no. 101,732 “A. Laverne & Co. Clement & Gilmer Suc.rs Paris

no. 102,844 “A.Laverne & Co. Clement & Gilmer Succ.rs Paris

no. 103,038 “Clement & Gilmer Constructeurs B.tes S.G.D.G. paris”

Wilkinson and Glanfieldはこれらのレンズは英国に輸出され、”City Sale and Exchange”と刻印された。

(ということは、私が入手したClement & Gilmerは1890年から1900年の間に作られたものということですね。

内面反射防止

改造後のレンズを電燈に向け、カメラ側から目視すると内面反射する箇所が分かります。カメラを少し振ると、反射の個所が変わりますので、一番光るところを見つけます。 p1 p2 手軽な対策は植毛紙を貼ることです。(縮毛紙を革と一緒に保管していたらゴミが植毛に付いてしまいました。保管場所を変えなければ)

植毛紙がなかったら、百均の手芸コーナーにある黒いフェルトでも代用できます。

Jamin No. 1147 8×10 Funny

Jamin No. 1147 (1857年頃製造, 400mm F5.3)を使って8×10のモノクロ・フィルムでポートレートの撮影をお願いしました。せっかくなので、ふざけた写真と真面目な写真を二枚お願いしたのですが、ふざけた写真がなかなか難しい。レンズがあまりにも太くて使えるシャッターがないので、キャップで約一秒の露出。この間ふざけた状態で静止しなければなりません。

j4

ということで、こんな写真になったのでした。

j3こちらは真面目バージョン。このバージョンは現像テスト用(結果的に露出および現像に問題はなかったがピンボケ。以前に掲載)と、正式版(ここに掲載するピントが合ったもの。今回掲載)の二枚撮影していただきました。

8×10がいいのは分かったのですが、問題はカメラ一式の重量。少し軽いが今後のフィルム供給に心配がある5×7にするか、はたまた手軽な4×5にするか、大判カメラ選びはまだまだ悩んでいる途中です。

Clement & Gilmer刻印

Clement & Gilmerの刻印の一部が真鍮板で隠してありますが、やっぱり気になるので、はがすことにしました。

c7はがす前

caがはした後

半田付けしてあると面倒だなぁ思っていたのですが、実際には両面テープで貼ってあるだけで、簡単にはがせました。その結果、

PROJECTION MULTIFOCAL

という刻印が現れました。多焦点プロジェクション・レンズのようです。ということは、前のフィルター枠はカラーフィルター用ではなく、焦点距離変更用ということになりそうです。ということは、もう少し新しいレンズかもしれません。

History of Clement & Gilmer

Clement & Gilmer社の歴史についての資料は少ないようです。Vade mecumに少し記載がありますので要約します。

Clement & Gilmerは19世紀後半のフランスの会社で、イギリスにも活発に輸出を行った。製造者というよりは輸出業者のようだ。面白いレンズはPanorthostigmatという名前の望遠レンズで倍率が刻印されている。もうひとつはEuryscopeである。

ペッツバール型レンズや、プロジェクションレンズに関する記載はありません。輸出していたレンズのメーカーがどこであったかも不明です。

 

Clement & Gilmer Paris Projection lens

Clement & Gilmer Paris

c5

クレメント・ギルマー(ギルメア?)の前蓋付のプロジェクション・レンズ。レンズの前にフィルターを入れて、白い黒写真を着色して上映していたものと思われます。製造年は不明ですが、多分1860年代だと思います。

c6蓋を閉めたところ。

c4ピント合わせノブも、前蓋の開閉ノブも、左右両方につまみがあります。

c7真鍮版を貼って、何か隠してあります。はがしてみたい気もしますが、せっかくきれいに貼ってあるのではがさないほうがいいような気もします。

c1 c227-98 ht (m?) 24 中玉に何か書いてありますが、判読できません。多分測定結果だと思います。

c3

前玉のスクリューがはずれないのですが、ペッツバール型です。フィルター枠のところに保護用の平面ガラスが入っています。

c8座金が失われているので、革で代用。筒の内側に厚手の革を貼り、そこにスクリューをねじ込みます。うまく内径を調整すれば、自動的に溝が切られ、決して抜け落ちることはありません。

c9プロジェクタで使われていた時には、前の蓋で演出を行っていたと思われます。たとえばオレンジのフィルターを入れてゆっくり蓋を開けると朝焼けのように見える。

Hermagis 31939 (around 1880)

Hermagis(エルマジ)社のペッツバールレンズ。湯島天神で日本在住の若いフランス人の方にペッツバールですね、と声をかけられたので、Hermagisの発音を聞いたのですが、結局発音は良く分からず。エルマジでも問題ないようです。

h6

h7

HERMAGIS Optn Fabt Btes,g,d,g Paris

製造年ははっきりしませんが、多分1880年代の製造だと思います。フードの付け根を黒く塗ったレンズは1876年頃に登場しますので、それよりは新しいと思います。

h1ペッツバールレンズの前群は貼り合わせですが、このレンズは分離しています。元々のバルサムの貼り合わせが痛んだので、バルサムを取り除いただけで、再度貼り合わせを行わなかった状態だと推測します。驚いたのは、バルサムで貼りあわせなくても結構シャープに写ることです。レンズの凹面と凸面は完全に一致しており、吸い付く感じで、ほとんど空気が入っていないせいだと思います。

hb

分離した前群。

h2中玉にはコバ塗りされています。1850年代のレンズにはコバ塗りはありません。1870年代にコバ塗りが始まったと思われますがはっきりしたことは分かりません。

中玉の鉛筆書き

h3(113 161-97) 測定結果だと思います。

h4Hermagis

h5a Paris

h8製作したアダプタ。座金は失われていたのですが、がらくた箱に偶然ぴったりの座金があったので流用。

h9焦点距離が結構長いので、ヘリコイドを二個入れました、一個だとポートレートの時に寄れなくて困ります。

ha

Pentax 6×7に取り付けたところ。これだとちょっと無限が出ていませんが、風景は撮らないので大丈夫です。ラックアンドピニオンギヤのノブは右手用ですので、ひっくり返して左手で操作できるようにしています。ただ、ネジの方向が逆になるので、操作には慣れが必要です。

メジロ

安政四年頃パリで製造されたJamin No. 1147というレンズでメジロを撮ってみました。400mm F5.3くらいのペッツバール型レンズですので、デジカメに取り付けるとちょうどよい望遠レンズになります。せっかく8x10inchをカバーする巨大なレンズなので、大判で使いたいのはやまやまですが、まあこんな使い方もあります。mejiro2m

メジロの場合、比較的長い時間静止してくれますので、ラックアンドピニオンギヤを使ったマニュアルフォーカスでも何とかピント合わせができます。ポイントはやはりメジロの顔に日が当たっていることです。

フィルムの粒状性と中間値フィルタ

ネガフィルムをデジカメで複写した後、IrfanViewで800pixel以下に縮小すると、粒状性が悪くなり、見苦しい絵になる時があります。人物を逆光で撮った時、顔の粒状性が悪くなるので、目立ちます。

IMG_7877b6これはフィルムの粒の荒さが増幅されてしまうためです。これを避けるためには、縮小前に中間値フィルタのようなものをかけておきます。そうすると、スムーズに縮小できます。

IMG_7877b6m

大きな画像を掲載して、ブラウザが縮小表示をするときには、自動的にフィルターがかかってスムーズになるようです。

IMG_7877br

フィルム上の粒状性はこの程度です。

 

JAMIN Cone Centralisateur 8×10 DPP Linear

Canon DPP using “linear” option can produce better negative image from RAW file of the same film.

ネガを複写したRAWファイルをDPPで現像やり直し。”リニア” オプションを使用。RAW現像パラメータの調整だけだと服が暗くなりすぎるので、RGBのトーンカーブで補正。前回の現像よりだいぶきれいになったと思います。

j2m

Jamin No. 1147 big Petzval lens (1857) + Sinar 8×10 camera + 8×10 monochrom film. Digitized the negative film using Canon EOS 5D Mark II.

Petaval no-name 70mm 2

Petzval lens 70mm (no-name)

中将姫光学から改造依頼のあったPetzval lens 70mm (no-name)。以前にも同じようなレンズを改造しています。

p2きれいなレンズで、ギヤの動きも滑らか。

p1ごく普通のペッツバール型レンズです。

p4座金に52mm-58mmのステップアップリングを接着すれば、改造完了。EOSなら余裕で無限遠が出ます。NIKONとかM42でも問題ありません。これ以上焦点距離の短いレンズだとミラーに接触するので一眼レフでは使えませんが、このレンズはぎりぎりOKです。

p5EOSに取り付けたところ。

Fujifilm ACROS != DPP Linear

カラーネガフィルムをキヤノンの一眼レフで複写する場合、RAWを現像する時にリニアを選べば鮮やかな色がせいげんできることが分かったのですが、はたしてこれは白黒ネガフィルムNEOPAN 100 ACROSでも通用するのでしょうか?

efリニアボタンを押さずに現像した後、白黒反転。顔の明るさに割り当てられた諧調が少ないため、顔にコントラストがついています。日陰で撮影したためコントラストの低いネガなので、これでもいいと思います。

IMG_6410pmリニアボタンを押して現像後、白黒反転。顔の明るさにたくさんの諧調が割り当てられているため、顔は滑らかに表現されますが、その代り顔のコントラストを上げることができません。

IMG_6342kpm一方、日向で撮影したためコントラストが高いネガの場合、リニアボタンを押さないと顔のコントラストが上がりすぎて困ります。

IMG_6342lpmそんな時にはリニアボタンを押せば、顔のコントラストが下がって滑らかな顔のなります。

カラーネガと白黒ネガでは、少し諧調の表現が異なるようです。白黒ネガの場合には、DPPでRAW現像する時に、「リニア」ボタンを押したり押さなかったりすることで、顔のコントラストの調整ができることが分かりました。

 

FUJICOLOR CD = DPP リニア 2

FH000017もう一枚画像を使ってDPPリニアボタンの実験。

FH000017nFUJICOLOR CD画像のポジネガ反転

dpp2DPPでリニアボタンを押して現像

IMG_7287aDPP現像結果

IMG_7287mやっぱり色鮮やかに仕上がります。ちょっと黄色っぽいのでフジカラーっぽくないですが、それなりにカラープリントらしくなりました。DPPで現像時には「リニア」ボタンをくれぐれもお忘れなく。

FUJICOLOR CD = DPP リニア

今まで自分でネガフィルムを複写・ネガポジ反転して掲載していたのですが、カラー写真として使えるレベルではありませんでした。そこで、近所の店にFUJICOLOR CD(税込540円)をお願いし、原因を探ってみました。FH000022これがFUJICOLOR CDの画像。シャープで色も鮮やか。

FH000022n試しにポジネガ反転してみるとこうなります。この時点で既に色彩が鮮やかです。これに似た画像をどこかで見た覚えがあります。

dppCanon DPPでRAW現像をするときに、リニアのボタンを押せば良いのです。リニアの意味がやっと分かりました。撮影時には輝度は指数的に扱った方が簡単ですが、複写の場合には比例で扱わなければならないようです。

FH000022nDPPが出力したネガ。FUJICOLOR CDの画像を反転した画像に似ています。

IMG_7292mIrfanViewで白黒反転すると、鮮やかに仕上がりました。FUJICOLOR CDとかちょっと色合いが違いますが、これを合わせるのは至難の業なので、これくらいで妥協します。IMG_7292aちなみに、リニアボタンを押さずに作った画像。顔の表現に必要な明るさの領域に諧調が割り当てておらず、どこか他の明るさに諧調が浪費されている感じです。

 

 

LE REVE EDITION JAMIN page 3

LE REVE EDITION JAMIN の3ページ

janimoJaminは50年代の他の光学機器や写真家と同様に、自分のカメラを製造販売を行った。1859年10月、Jaminoscopeという名前のステレオ暗箱を製作。ふたつの暗箱の間隔が変えられるのが特長。現在ではhyperstereoと呼ばれる。

shutter1862年1月、JaminはSFPに対し、新しいカメラシステムの発表を行った。centralizing cone型のレンズと逆重力型高速シャッターを備えていた。(文章だけでは何のことか分かりませんが、絵を見ると、ペッツバールレンズと機械仕掛けのギロチンシャッターを使ったカメラのように見えます。)

私の新しいシステムでは、用途に応じて最適なレンズの明るさとイメージサークルを得ることができる。ポートレート撮影時には明るいレンズとして使い露光時間を短縮。風景撮影時には暗いレンズとして使い大きなイメージサークルを得ることができる。(直訳は意味不明なので、意訳するとこんな感じだと思います)

 

軽量化のため、前のレンズの直径を小さくする。後ろのレンズを直径を大きくする為円錐形の筒を用いる。

中心に穴をあけた薄い金属を高速に移動する。この穴がシャッターと絞りの役目を果たす。これを下の掛け金Aに引っ掛けておく。金属板はレンズ前群と後群の間を通る。掛け金Aをはずすと、重りFが重力で下に落ち、プーリーDとCが金属板を引き上げる。金属板が下がるのではなく上がることによって振動を抑え、安定した画像を得ることができる。掛け金をはずすだけの簡単な操作なので、暗い所でも使いやすい。(直訳は長いばかりで分かりにくいので、意訳しました。多分こんな意味だと思います。)

 

LE REVE EDITION JAMIN page 2 data

Page 2に次のような記載があります。こちらには、1800年生まれと書いてありますが、これはまだ18世紀ですね。本文と若干ことなりますが、1800年生まれ説が有力であるようです。

JAMIN Jean Theodore 1800-1867

Membre de la SFP d’oct. 1855 a 1864

71 rue St Martin, Paris 1822-1850

127 rue St Martin, Paris 1850-1856

14 rue Chapon, Paris 1855-1860

 

Photographe, Hotel de Mentbrison:

13 rue Chapon, Paris 1855-1860

 

LE REVE EDITION JAMIN page 2

2ページの本文

Jean Jaminは19世紀の到来とともに生まれた。(誕生年不明のため、このような書き方になっているようです。一応1801年生まれとしてもいいと思います。) 1822年に71 rue St Martinに光学機器製造会社を発足。(21歳くらいですから若いですね) 顕微鏡と望遠鏡の製造を行った。写真術の発明にともない、他の光学機器造会社と同様に写真用レンズの製造の比率を上げた。The Light(1951)誌の広告を見ると製造販売した商品が良く分かる。

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JAMIN光学商 光学機器の特許を持つ。次のような製品を製造販売。

ダゲレオタイプ、顕微鏡、望遠鏡

パリ市 St. Martin通り, 127 (71番地から移転)

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1854年9月17日にPaysage-Portrait(風景・ポートレート兼用レンズ)を発売。1855年にCone Centralisateurレンズの特許No. 22670を取得。これはレンズ・ヘッドを改良して可変焦点化したもの。(風景用とポートレート用でレンズを取り付け方を変えて焦点距離を変える二焦点レンズ)

Cone Centralisateurレンズは20年にわたり、いろいろなサイズのレンズが製造された。1855年、スタジオ兼工房を13 rue Chaponに移転(実施にはアパートメント。(ホテルと書いてあるので、ホテルのビルの一室にスタジオがあったようです。今でも大きなホテルの中には結婚写真用のスタジオがあるように)。1856年、工房を向かいの14 rue Chaponに移転。工房でレンズを作って、筋向いのスタジオで撮影。(当時は写真屋とレンズ・カメラ製造業を兼ねる人が多かったようです。)

1856年、レンズの直径が38cmで、イメージサークル1.6mのレンズを製造。(巨大なカメラ用だと思います) 1860年、弟子?のDarlotに工房を譲り、スタジオで写真撮影に専念。(最初はJaminがスタジオで使うレンズを自分で作って、欲しい人には分けてあげたような感じだったようです。初期のJaminのレンズの性能が高いのは、そのせいかもしれません。)

DOSSIER COLLECTOR – LE REVE EDITION

中将姫光学さんから借りたフランス語の本の紹介

1839 1939 UN SIECLE D’OBJECTIFS

(天保十年 昭和14年 レンズの世紀)

PHOTOGRAPHIQUES FRANCAIS

(フランスの写真術)

PATRICE H. PONT & JEAN LOUP PRINCELLE

(著者の名前)

DOSSIER COLLECTOR – LE REVE EDITION

(コレクター本 夢版)

No 14 JAMIN & DARLOT OPTICIENS

(第14巻 ジャマン ダルロー)

LE REVE EDITIONでレンズを扱った本には次のようなものがあると裏表紙に書いてあります。

No. 4 BERTHIOT

No. 5 HERMAGIS

No. 7 BOUTRAIS

No. 8 BOYER

No. 12 CHEVALLIER

No. 14 JAMIN & DARLOT

定価 30~34ユーロ(一冊)たった28ページ(A4)の薄い本なので高いのですが、全巻欲しくなりますね。割と簡単に翻訳できそうですし。。。

フランス語翻訳

中将姫光学さんから、JAMIN&DARLOT OPTICIENSというフランス語の本を借りたので、翻訳してみました。デジカメで撮影した本を、Google Driveに放り込んでGoogle Docsとして開くと、その時点でOCRがかかり、フランス語のテキストになります。これをGoogle Docsの翻訳機能を使って英語にします。これなら全くフランス語が分からない私でも、簡単に読めるようです。

f0

f1デジカメで撮影したjpeg画像をGoogleドライブに放り込みます。

f2Open with -> Google Docsでjpegを開くと、自動的にOCRがかかり、フランス語のテキストが表示されます。(事前に言語をFrancaisに設定しておきました)

f3画像の下にフランス語のテキストが表示されます。

f4これを翻訳します

f5

英語を指定。

f7

そこそこ読みやすい英語が出てきます。ただ肝心のparnenuという単語が翻訳できないようです。

f8日本語にも翻訳できます。が、あまり分かりやすくありません。特殊な分野の本ですので、しかたないですね。英語を読んだ方が分かりやすそうです。

無料のソフトでここまでうまく行くとは驚きました。十分使えると思います。

JAMIN Cone Centralisateur 8×10

Jamin No. 1147 big Petzval lens (1857) + Sinar 8×10 camera + 8×10 monochrom film. Digitized the negative film using Canon EOS 5D Mark II.

安政四年頃パリのジャマン社で製造されたレンズ+ジナー8x10inchカメラ+8×10インチモノクロフィルム。Canon EOS 5D MarkIIでネガフィルムを複写後白黒反転。

j1m

Towa Tei Mars

新幹線でもう一曲再発見した曲はMars (Towa Tei Best, 2001)です。アレンジの切れが抜群でIkuko Harada (Clammbon)の歌も秀逸。YouTubeだとここで見らえます。

Towa Tei(昔はTei Towaだった)でついでにききたくなるのがFreeです。若き日の麻生久美子が出演しています。

ストイシズム

新幹線の中でiPhoneの中に入っている曲を適当に聞いていたら、椎名林檎のストイシズム(勝訴ストリップ 2000年)が気に入りました。以前から何度も聞いた曲ですが、最後の最後に「大丈夫なの?」という声が入っており、この部分は何度聞いても面白い。ノイズキャンセル機能の付いたヘッドホンだと、この部分がよく聞こえるのです。

YouTubeではこの部分を含むストイズムは見つかりません。前半だけなら、ここで聞けます。

突然VMware Playerからubuntuが起動できなくなった

vmware_error1

突然VMware Playerからubuntuが起動できなくなった。調査したところ、「Windows 8.1 for x64-Based Systems 用更新プログラム」 (KB2995388)が原因。コントロールパネル/プログラムのアンインストールで更新/更新されたプログラムを表示し、KB2995388をアンインストールすると回復。他の方法も試しましたが効果なし。VMwareの最新版では解決されているかもしませんが、まだ試していません。

2015.2.12 Windowsを更新したらまたKB2995388がインストールされ、VMware Playerが動かなくなりました。今度はKB2995388を案インストールしても直りません。やむを得ずVMWare Playerを6.0.1から6.0.5にバージョンアップしたところ、正常に起動できました。やはりVMWareのバージョンアップが良いようです。

JAMIN Cone Centralisateur 11

All possible configuration of Jamin lens: (I wrapped the wodden box with black leather ) Jaminレンズの色々な使い方。白木の箱に革を貼って、少し見栄えを良くしました。合成ゴム系のボンドで貼るだけなので、とても簡単です。

b1Normal Petzval. The front side rasial drive moves front lens element. Rear tangental drive mpves entire lens barrel. Both can be used for focusing.  普通のペッツバールレンズ。

b6Reversed Petzval. Close up can be done with shorter bellows because the center of lens is far from camera. Tangental drive doesn’t work for focusing. Radial works for focusing by moving front lens element. 反転ペッツバール。レンズが前に出ているため、短い蛇腹でも近接撮影可能。ラディアルドライブでピント合わせ可能。タンジェンタルドライブは役に立たない。逆向きでもシャープに写るようです。

b2Paysage with washer stop. No hood. 前絞りの風景用レンズ。フードなし。

Pb4Paysage with washer stop and huul using lens barrel. 目絞り風景用レンズ。鏡筒をフードとして使用。フードの長さはラディアルドライブで可変。

b5Paysage with stop (far) and hood using corn. 前絞りが少し遠くにある風景用レンズ。円錐形の部品をフードとして使用。

b7Paysage without washer stop. I don’t know wheth this configuration really works or not. 前絞りにない風景用レンズ。こんな構成でちゃんと写真が撮れるのかは不明です。前玉だけを風景用レンズとして使用すると、恐らく焦点距離は500mmを越えていると思いますので、このカメラでは性能を知ることはできません。

JAMIN Cone Centralisateur 10

Pentax 6×7 mount adapter

Jamin – Pentax 6×7マウント・アダプタを桐の板で製作。以前何度かやりましたが、特に難しいところはありません。

j4make a cubic box using wood board with 14cm hole to accomodate large rear element of Japan Cone lens. Jaminの巨大な後群レンズが入るだけの大きな穴をあけます。直径約14cm。

j6connect Pentax 6×7 tube on camera side. カメラ側にはPentax 6×7の中間リングを取り付けます。

j7Sinarボードが箱の穴より小さくて光線が漏れるので、一枚スペーサーを入れます。このスペーサーはナットがSinarボードに当たることを防止する役目もあります。

j8

スペーサーとSinarボードにドリルで穴をあけてビスを通し、蝶ナットで締めます。

j9Pentax 6×7を取り付けたところ。

jaEOS 5D via Pentax 67-EOS mount adapter. 写真の下に置いてあるのが30cmの定規です。全長約50cm。

JAMIN Cone Centralisateur 9

“Jamin a Paris” by ink on front lens element too. よく見ると前玉にも”Jamin a Paris”とインクで書いてありました。後群の文字と書体です。

j1front cemented element

j6rear meniscus element 以前にも載しました。

A small cut-out on edge of cemented front element. 前玉の縁に、故意にガラスを削り取ったようなところがあります。

j2I guess there was a small chip by some reason. Someone cut te surface flat, not to cause more crack from the chip. 多分ガラスに小さな傷があったので、割れ目が広がらないように削り取られたのだと思います。出荷時の処置または出荷後の修理だと思われますが、他のレンズでこのような処置を見たことはありません。

JAMIN Cone Centralisateur 8

I got a flange parts

je

I only have one Sinar board with a flange parts. By accident, the flange completely fit for Jamin lens.

SINARボードがうちに一枚だけあります。試しにJaminのレンズをねじ込むとスムーズに入っていきます。偶然の一致とは思えないほどスムーズです。

jf

The flange came with a “Photographe a Verres Combines Invente par CHARLES CHEVALIER Ingenieur

この座金は”Photographe a Verres Combines Invente par CHARLES CHEVALIER Ingenieur“に付いてきたものです。シュバリエの店もジャマンの店も同時代にパリにあり、同じ金物屋に真鍮の部品の製作を依頼していたのだと思います。同じ親方が同じ旋盤でネジを切ったので、ぴったりはまるのかもしれませんね。

I’ll make a fake SINAR camera (wodden box) to use this lens with Penta 6×7. So, I can use this lens both in SINAR, Pentax 6×7 and 35mm digital SLRs using adapters.

偽SINARカメラ(ただの木の箱)を作ろうと思います。この箱にPENTAX 6×7マウントを取り付け、SINARボードが着脱できるように加工すれば、SINAR, Pentax 6×7, またはアダプタを介してデジカメでも撮影できるようになります。

JAMIN Cone Centralisateur 7

Kingslake wrote:

A. The Cone Centralisateur Lens

An interesting example of a Petzval-type lens was made by Jamin & Darlot in 1855 called Cone Centralisateur. Jean Theodor Jamin commenced the manufacture of lenses and optical instruments in Paris in 1822. In 1855 he was joined by Alphonse Darlot (1828-1895), who had worked previously with Lerebours and Secretan. In 1860 Jamin retired and handed over the establishment was located at 14 rue Chapon, off the rue St. Martin in paris. Darlot continued very actively making lenses and other optical devices until his death in 1895, when the factory was acquired by L. Turillon.

The Cone centralisateur objective (Fig. 3.4) was a normal Petzval lens in a plain brass mount with a rack-and-pinion focusing mechanism in front, while behind the mounting flange the tube widened out into a black-painted cone supporting the rear component. The purpose of the cone was to prevent internal reflection of sunlight from falling on the sensitized plate. In some models the separation between the lenses could be altered by the user.

後群のレンズは後ろに行くほど太くなる黒塗り部品に入っていた。目的は内面反射を防ぐためである。

いくつかのモデルでは使用者がレンズの間隔を変えることができた。

訳者注1: No 1147ではレンズの間隔を変えるのに、逆ネジのラディアルドライブが使われました。このほかに、手でレンズをスライドさせて間隔を調整し、単純なネジで止めるタイプもあります。

訳者注2: Jaminのレンズでは前群(2枚張り合わせ)と後群(メニスカス+両凸)の間隔を変えています。Astro Rocher Kino portraitなどの可変ソフトフォーカスレンズでは後群内のメニスカスと両凸レンズの間隔を変えています。

JAMIN Cone Centralisateur 6

With focusing, without stop

lb

As Paysage, this configuration is possible, with focusing using tangental drive and no “stop”. If a camera soesn’t have focusing mechanizm, this could be usefull, but I don’t know whether this works without “stop” or not.

風景用レンズとして使いたいが、カメラにピント合わせ機能がないという場合には、このような構成も可能です。ただし、前絞りのない風景用レンズが実用的なのかは不明です。

JAMIN Cone Centralisateur 5

Acheomatic doublet with hood

ja

When using Jaman lens as “Paysage” (achromatic doublet), brass barrel can be used as hood. The length of the food can be controlled using radial drive. The inner tube of the radial drive can be removed easily to avoid darc corners on large format film.

風景用レンズとして使用する時には、鏡筒をフードとして使うことができます。フードの深さはラディラルドライブで調整できます。ラディアルドライブの内側の筒は簡単に取り外すことができます。これにより、フードによるケラレを防止できます。

jb

Unexpected removal of radial drive should cause serious damege on front element of the lens. To avoid unexpected drop, the radial drive move lend to opposite direction: turn know clockwise, the lens will move backward, where tangental drive move lens forward.

誤ってラディアルドライブが抜けた場合、レンズが落下して割れます。そこで、逆ネジになっています。ノブを右手で時計回りに回すと、レンズが後退するのです。タンジェンタルドライブを右手で時計回りに回すと、必ずレンズは前進しますが、ラディアルドライブは後退させることもできるのです。

JAMIN Cone Centralisateur 4

Achromatic doublet

j4j7Front lens element is a achromatic doublet and it can be used as “Paysage” or landscape lens. In th epicture above, camera is left hand side and “stop” in front of the lens.

前群の張り合わせレンズは、ひっくり返して絞りを前に付けることにより、風景用レンズ(Paysage)として使うことができます。

j8

The front lend element (cemented doublet) can be reversed and screwed onto the conical part. The “stop” (right hand side of this picture) can be used as “stop” of achromatic doublet lens.

張り合わせの前玉をひっくり返して円錐形の部品にねじ込みます。ペッツバールの絞りは、そのまま風景用レンズの絞りとして働きます。

j9

The screw of the frone lens element is compatible with camera flange. So, the lens above can be screwed into Camera board. In the picture above, Camera is left hand side.

前玉のスクリューは座金にねじ込めますので、この黒い部品が単独で風景用レンズになります。

The lens has no focusing mechanism. Fucuisng should be done by camera bellows.

このレンズにはピント合わせ機能がありませんので、カメラの蛇腹でピント合わせを行います。

JAMIN Cone Centralisateur 3

It’s a reversible lens

j1

Normally the black conical part (rear lens element) is camera side (actually inside bellows). In the picture above, Camera is left hand side and object to be photographed is right hand side.

通常は黒い円錐形の部分(レンズ後群)はカメラの蛇腹の中に入ります。上の写真だと、カメラが左側で被写体が右側になります。

jc

My friend pointed that the lens can be reversed because two screws on both sides of the lens are same. In the picture above, Camera can be left hand side and object to be photographed can be right hand side.

ジオさんご指摘の通り、レンズを逆向きに取り付けることができます。フードをはずすと前後のスクリューが同じになるので、金色の真鍮部分をカメラの座金にねじ込み、黒い円錐形の部分を被写体に向けることができます。これにより、レンズが75mmほど前に繰り出せますので、短い蛇腹でも近接撮影できるようになるそうです。

because flange is missing fron this lens, I cannot reverse the lens easily.

このレンズは座金が失われていますので、今回は残念ながら簡単にリバーシブルで使うというわけにはいきません。

JAMIN Cone Centralisateur 2

Investigation of Jamin Double Cone No. 1147 manufactured  in around 1857.

Jaminのレンズが手元に届きましたので調査しました。刻印から多分1857年頃の製造と判断できます。

j1

They lens has two drives: a front radial drive (for softness control) and rear tangental drive for focusing.  前方のラディアルドライブには”2”の刻印があります。これはソフト量調整用で、後ろのタンジェンタルドイライブ(ラックアンドピニオン)はピント合わせ用です。

j2JAMIN Ingr Opticien 14 rue Chapon paris Brevete, 1147 s.g.d.g

j3C. PAYSAGE engraved on front element.

j4I guess this is possibly engraved later because the find is very diffferent. 書体がずいぶん雑ですので、後の時代に刻印されたものと推測します。

j5Two internal stop rings, probably F4.0, F5.6 and F8.0.  後ろの円錐状のコーンの手前に絞り板が二枚入っています。多分F4, F5.6, F8.0みたいな絞り値だと思います。

j6

“Jamin a paris” with ink on the meniscus  lens element. メニスカス・レンズの木場にPamin a Parisのペン書きがあります。

No flange ring exist, but it’s easy to take a sample picture using Sinar 8X10.  I’ll show you 8×10 sample pictures took in a studio soon. I’m also going to make Pentax 6×7 mount adapter for portability.

このレンズを買った店にお願いしてSinarで8×10のサンプル写真を撮影して頂きました。出来上がりが楽しみです。機動性を考えて、Pentax 6×7アダプタを製作する予定です。

JAMIN Cone Centralisateur

JAMIN Cone Centralisateur。焦点距離は多分14インチくらい。巨大です。

j2住所が14 Rue Chaponになっています。1856年頃St. MartinからRue Chaponに移ったようなので、1856年以降の製造と考えられます。1860年頃になるとJAMIN DARLOT銘に変わりますので、1859年以前の製造と考えられます。シリアルナンバーは多分1147番です。よく似た刻印の1173番というのが本に出ていました。j1

焦点距離は14インチ(350mm)くらいで明るさはF5.0くらいだと思います。まだ手元には届いていません。カメラ店で8x10のカメラを借りて試写した後で手元に届く予定です。

特長はラックアンドピニオンギヤが二個付いている点です。何の目的で二個付いているのかは、まだ分かっていません。

ライカを小道具として使う

鶴岡八幡宮の牡丹園にいた人に、中将姫光学さんに借りた昭和四年製造のバルナック・ライカの自慢をしていたところ、和服の女性に気に入って頂いた様子。ブラックペイントのバルナック・ライカ+ニッケル・エルマーは誰が見ても魅力的なようです。

x1ちょっと触ってみたいというご要望。となりにいた所有者の中将姫光学はもちろんOKなのでお貸しすることに。ということで、バルナック・ライカを小道具に使ったポートレート撮影会となりました。バルナックライカは女性の手になじむ大きさで、なかなかバランスがよろしい。昔の和服にもよく合って、見栄えるする小道具です。

x2バルナック・ライカを持った女性をバルナック・ライカで撮ろうと思ったのですが、もう一台借りている昭和二年製造のライカは家に置いてきたので、やむなくデジタル+Ross XPRES 1.9/75mmで撮影。そんなに重いものではないので、今度からはもう一台のライカも持ってこようと思ったのでした。

日本カメラ 2月号

先日銀座の歩行者天国を歩いていたら、http://tokyocamerastyle.com/ のJohn Sypalさんから取材を受け、日本カメラ2015年2月号の95ページのJohn Sypal’s Yokyo Camera Collectionで掲載されました。

「あなたのカメラも町でジョンと出会うかもしれない」という副題ですので、取材を受けたい人は変わったカメラを首からぶら下げて歩くのが良いと思います。

Leitz VXZOO ヘリコイド

LeitzのヘリコイドVXZOOが一本三千円で売りに出ていたので二本買ってみました。相場は分かりませんが、eBayで一番安い中国製のヘリコイドより安いことは確かです。

h1中にVXZOO、Elmar f=5cmと書いてあります。金具には沈胴のElmarのレンズヘッド0を抜いて差し込めるようになっているようです。Elmarを使ってスライドの複写をするため装置の部品のようです。

h2裏側の金具の穴の大きさが違います。左側の穴のネジは50mmほどで中途半端です。右側は39mmです。

h3分解するとこうなります。 右側の39mmの穴が小さすぎてケラレそうなので、ピラニア鋸で穴を広げました。

h4一方はEOSマウントを貼り付け、もう一方はM42スクリューを張り付け。E.LEITZ WETZLAR Germany銘の入った安いヘリコイドの完成です。

歌って踊って潜れる あまくらぶ

Wikipediaによると、「あまくらぶは、岩手県久慈市出身の高校生海女5人組による、2014年4月 – 2015年3月までの期間限定で「歌って・踊って・潜って北三陸をPR」をテーマに活動を行っているグループである。」とのこと。

あと二ヶ月ほどで卒業になるようです。東京ドームの「ふるさと祭り東京」でとろろ昆布や「まめぶ汁」の販売をしていたので、撮影させてもらいました。ありがとうございました。ちなみに、「まめぶ」は甘く煮たクルミが入った小さな団子でした。

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居酒屋えぐざいる

「ふるさと祭り東京」に「居酒屋えぐざいる」が出店してました。別に混雑していなかったので、写真を撮らせてもらったり、雑談したり。後で調べたら去年フジテレビのお台場新大陸に「居酒屋えぐざいる」が出店したときには大混雑だったようです。(多分EXILEの主要メンバーが来店したためだと思いますが)

店員さんはEXAILE関係の現役ダンサーさんです。18日(日)まで東京ドームで開店していますので、お暇な方は「居酒屋えぐざいる」へ是非。

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カラーネガフィルムのデジタル化(フィルムベース、白いショール)

顔の肌色を白をみなしてWB調整して、フィルムベースの色を抜きましたが、フィルムの何も写っていない部分(フィルムベース)を白をみなすことも考えられます。また、明らかに無彩色(白、グレーなど)の物が写りこんでいれば、そこをクリックしてWB調整を行うこともできるはずです。

3wb顔をクリックしてWB調整

3wbbaseフィルムベース(四辺の何も写っていないところをクリック)をクリックしてWB調整

5dppshore左側の女性が白いショールを持っていることが分かっているので、ショールをクリックしてWB調整。

これをネガポジ反転すると次のような結果になります。

5posia顔基準。ちょっと緑っぽい感じ。

5posibaseaフィルムベース基準。かなり青っぽい感じ。

7posishoreaショール基準。これが一番出来がいいようです。白い物を基準にしているので、当然ですね。

最後に白黒化してしまえば、どれもそんなに変わりませんでした。本当にきれいなカラー画像が必要な場合には、プリントをスキャンするか、お店でフィルムをCD化してもらう方がよさそうですね。

カラーネガフィルムのデジタル化(顔)

モノクロ写真を撮るのに、カラーネガを使うのが良いと聞いたので試してみました。カラーネガだと普通のカメラ店で現像してくれますので、午前中フィルムで撮影したフィルムをカメラ店に持って行って現像を依頼し、午後デジタルで撮影した帰りに現像済みのネガを受け取り、帰宅後デジタル化してブログにアップすることができます。

2trimingCanon EOS 5D Mark II + Pentax 67 4/100mm MacroでRAWで二枚ずつ複写。(一枚ずつだと等倍マクロ撮影になるので面倒くさい) 後でホワイトバランス調整を使ってフィルムベースの色を抜きますので、RAWを使いました。今回は無償ソフトを使って処理しました。まずCanon DPPでトリミングをします。

3wbネガフィルムは茶色のベースフィルムを使っていますので、この茶色をクリックホワイトバランスを使って抜きます。ネガを見ても何が白か分かりませんので、とりあえず顔が白だとみなします。頬のあたりをクリックします。こんな色になります。

4dynamic次にDPPでダイナミックレンジ調整をします。先日モノクロネガで使った方法がそのまま使えます。このネガは1絞りほど露出オーバーなので、-2.5 – +2.0EVあたりに調整すればよさそうです。

6negaposiDPPから出力したファイルを使い慣れたIrfanViewで開きます。このソフトはほとんどショートカットキーで操作がでできますので、肩こりになりにくくて助かります。ネガポジ反転(Alt-I/Alt-T)するとポジ画像ができます。顔がちょっと緑っぽいですが、まあこんなもんだと思います。

7bwcmd最後にグレースケールに変換して作業終了です。IrfanViewでの操作はAlt-ITIGのキーを押せばすべて終了。

顔が写っているものは、顔をクリックすれば色調整できるので便利ですが、顔が入っていないものは、どこをクリックしていいのか分かりません。昔、写真屋さんで聞いたような気がします。

 

ブラック歯ブラシ

普通の歯ブラシでは前歯の裏のザラザラが取れません。そこで水だけでも歯ツルツルというデンタルプロ ブラックという歯ブラシを購入。プラチナコロイドセラミックス入りの黒い特殊毛を使用しています。確かに軽く磨くだけで歯の裏がツルツルになります。

「歯グキをいためないように軽めの力で磨いてください」と書いてありますが、磨いた感じは普通の歯ブラシです。

お風呂の水垢取りにはメラミンスポンジが絶大な威力を発揮するのと感じが似ています。電動歯ブラシを買おうかと思っていたのですが、これくらい磨ければ別に電動でなくてもよさそうです。

ちびまる子ちゃんのライカ

中将姫さんから借りたバルナック・ライカで撮影する時、昭和二年に製造されたライカですよ、と若い人に説明したところ、ちびまる子ちゃんに出てくるライカですね、との反応。私はそんなことは知らなかった。Wikipediaを見ると次のように書かれていました。

ちびまる子ちゃん』- 作品中で「穂波真太郎(たまちゃんのお父さん)」がライカを使用している。このカメラは当初写真コンテストの賞品として貰ったという設定のライカM3であったが落下させて故障させ、花輪くんの家に使われずに眠っていたライカM4をもらって使用している[注釈 2]。このことから代理店だった日本シイベルヘグナーは「老若男女の幅広い層にライカのブランド名を親しみやすく浸透させるのに大きく貢献していただいた」とライカR7うるしを作者のさくらももこに贈呈している[21]

ちなみに、ちびまる子ちゃんの父ヒロシさんが使っているのはキヤノネットだそうです。

671スパムコメント

このブログはWordPressというソフトを利用しているのですが、元旦から5日にかけて、固定ページに対して突然671個のスパム書き込みがありました。今日は全くスパムはありませんので、止まったようです。

とりあえず、コメントをスパムに分類したので、それが効果を発揮しているのかもしれません。

一番困るのは、コメントがあるとメールで知らせる設定になっている関係で、メールボックスがスバムだらけになり、重要なメールを見落としているかもしれないことです。もし、メールに返信がない方がおられましたら、再送して頂くようお願いします。

謹賀新年

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

今年の年賀状は五種類製作。サンプルを準備して、その中から一種類だけ選ぼうとしたのですが、まあ別に選ぶ必要もないかということで、全種類を少しづつプリントすることに。最近は毎年そんな感じです。そのうち三種類掲載します。

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モノクロネガのデジタル化

モノクロネガのデジタル化も既に20本を超え、やっとコツが分かってきました。バルナックライカ+旧エルマー3.5/50mmでネオパン100 ACROSで撮影したネガをデジタル化した時の画像処理実験結果を説明します。

まずデジカメ(Canon EOS 5D Mark II + Pentax 67 Macro 4/100mm)を使ってライトボックスの上のネガを2コマずつ複写をします。1コマずつ複写した方が解像度は出せますが、等倍マクロ撮影になるので面倒。2コマずつなら1/2倍で済むので楽です。解像度は2700×1800ピクセル程度ですので、約500万画素になります。

フリッカーを避けるため、1/60s程度のシャッターを使用。濃度とコントラストの調整がしやすので、RAWで撮影。露出はAE。

0-orig

デフォルトのまま現像して白黒反転すると下のような画像になります。

0pm

画像は白っぽくて、黒がパーフォレーションの穴に合っています。パーフォレーションやフィルムベースを見てもしょうがないので、この部分が全部黒つぶれするように現像するのが良いと思われます。

3-bas

ヒストグラムの一番右(+3付近)の山がパーフォレーションの穴、右から二番目(+2EV付近)がフィルムのベース(私はスリーブに入ったまま複写するので、厳密にはフィルム+スリーブ)の色だと思われますので、これらが白潰れ(反転後は黒潰れ)するように現像します。-6より左の山はゴミが写ったものですので無視します。

3pm

これだと少し黒くなりすぎるようです。フィルムベースは真っ黒ではなく、少し余裕を持った方がよさそうです。

2-perf

ヒストグラムの右側をパーフォレーションの山とフィルムベースの山の間に設定します。

2pm

変転後に黒に少し余裕ができます。

1-4e

画像データは-2EVから+2EVの間に入っているようです。これは昔よく聞いた-2EVが黒で+2EVが白だという原理に合っています。オリンパスOM-4にはこの原理を利用したスポット測光機能がありました。

1pm

この方法だと、どの山がフィルムベースだとかを気にする必要はありません。機械的に4EVの範囲を選択すればよいので簡単です。

4-all

もうちょっと黒に余裕が欲しいときには、パーフォレーションの山の右まで含んだ約5EVを選んでもいいと思います。

4pm

少し白っぽいですが、白黒反転後に様子を見ながら黒を締めるという場合に適すると思います。ここまで分かれば、ネガの段階で反転後の予測ができますので、画像処理の回数を節約し、諧調豊かなデジタル画像を得ることができます。

 

 

 

『文士の肖像110人』感想

『文士の肖像110人 [大型本] [1990] 朝日新聞社; 木村伊兵衛; 林忠彦; 浜谷浩; 秋山庄太郎;  土門拳』

この写真集をひととおり眺めてみたところ、写真から時代背景が透けて見えるように感じました。ただ文士の顔と居室の様子が少し写っているだけなのですが、それだけで当時の様子が分かります。一枚の写真では分かりませんが、110枚写真があるので分かるのです。

五人の写真家が撮影した写真が混ざっていますが、秋山庄太郎の写真だけは字を読まなくても分かります。顔だけのクローズアップ、レンブラントライト一灯でスタジオで撮影した写真ばかりです。他の写真が昭和30年以前であるのに対し、秋山庄太郎の写真は昭和47年頃です。昭和30年以前には嫌がる文士の家に押しかけて、おだてながら自然光で撮影するしかなかったようです。昭和47年頃になると、文士は喜んでスタジオに来てくれるようになったようです。本を売るためには文士は進んで顔を晒さねばならない状態になったと思われます。

木村伊兵衛と濱屋浩の写真はライカで撮影されたようです。林忠彦の写真も35mmで撮られたような感じです。室内の暗い条件でフラッシュなして撮影されたようで、粒子が荒くあまりシャープではありません。多分これが当時の流行りだったんだと思います。特に濱屋浩の写真は雑誌の印刷を考慮してか、線が太くてコントラストの高いプリントになっています。

土門拳の写真のうちの2枚(斎藤茂吉と辰野隆)は、大判カメラでアオって撮影されています。気難しい文士の家で三脚を据えて、奥の顔と手前の原稿に両方ピントを合わせる勇気があったようです。

それと、濱谷浩の幼馴染の桑原甲子雄の文章が面白かったです。「第二次大戦が終わったあと、日本敗戦で東京は混乱の極にあった(中略)写真家の数がきわめて少なかったこともあるが、(以下略)」。今は誰でもいつでもスマホで写真が撮れる時代ですので、当時とは全く事情が違いますね。

結局、写真家の意思とは無関係に、写真の背後にある時代背景が嫌でも写真に写りこんでしまうということのようです。(敬称略)

 

アンティーク着物系ブログ

ふだんカメラ・レンズ系のブログ、それもわずか3~4ヶ所しか見ないですが、大正時代祭で 撮影させて頂いた方のブログキモノに恋して。を見たところなかなか面白かったので時々見ています。古い着物を安く買ってコーデを楽しむというのは、古いレンズを買って改造して楽しむのに似ているようです。大正時代祭に来ておられたようですが、残念ながらお会いする機会がなかった方の着物と猫とカネコ系も面白いです。アンティーク着物ランキングではこれらふたつのブログが一位と二位で、その筋では有名なんじゃないかと思います。

Petzval 2.3/70 hood

F2.3/70mm Petzvalレンズに合うフードを探したところ、ホースマンのフードを少し削れば流用できることが判明。

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銀色のつまみで簡単に脱着することができます。ただし、これではホースマンのレンズだと思われてしまいます。初めて見る人はどうしても刻印を読もうとするからです。

Petzval 2.3/70真鍮張り

塩ビのパイプを使って改造した無銘のPetzval 2.3/70mmレンズに真鍮張りをしました。0.1mmの真鍮板をカッターで切って、合成ゴム系の糊で貼っただけです。

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厚い真鍮板は高価ですが、0.1mmの真鍮板は厚めのアルミホイルみたいなもので、安いです。大きめのホームセンターなら簡単に見つかります。

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EOSに取り付けるとこんな感じ。今は金ぴかですが、しばらく使うと錆びていい感じになると思います。

革切包丁

革を切断するのに事務用のカッターを使っていたのですが、切れ味がすぐに悪くなります。しばらく革切包丁を探していましたが、やっと安くてよく切れそうなのが見つかりました。n2

実はこれは(ノミ)です。元は刃先が長かったのですが、大工さんが使っては砥ぎ、使っては砥ぎを繰り返し、ついにチビてしまいました。刃先がなくなるまで使われた道具ですから、切れないわけがありません。

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使ったら砥ぐようにと古道具屋からのお達し。ならばと、大工さんが使っていた砥石も付けてもらいました。大工さんお手製の砥石台が付いていますので、使いやすそうです。

この鑿で革を切ってみると、確かにスパッと切れます。注意点としては、角度を間違えると定規(アクリル製)まで削れることです。

濱谷浩

大磯宿場祭りで知り合いになった方に大磯に住んでいた写真家の濱谷浩氏(1915-1999)など日本の著名な写真家の話をいろいろと伺いました。とても楽しい話だったのですが、私は日本の写真家のことをよく知らないので、ちょっと申し訳ない感じでした。そこで、勉強のためamazonで一冊写真集を注文。

『文士の肖像110人 [大型本] [1990] 朝日新聞社; 木村伊兵衛; 林忠彦; 浜谷浩; 秋山庄太郎;  土門拳』

Petzval 70mm EOS mount

無銘ペッツバールレンズをEOSマウントに改造。適当な金属の筒を探したのですが見つからず、今回初めて塩ビのパイプを使ってみました。

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パイプの内側を削ってレンズを木槌で軽く叩き込みました。塩ビは柔らかいので、少し伸びて接続されました。

p7マウント側もたまたまぴったり太さが合ったので木槌で軽く叩き込み。接着剤もビスもテープも使わず、ただ塩ビの弾性だけで組み立ててあります。

p6EOSに取り付けるとこうなります。

塩ビ管は安くて、加工しやすくて、弾力があって、軽くていいです。うまく口径があえば、ネジ切りや接着を省略することができます。難点は加工時の削りかすが掃除しにくいことです。

Petzval 70mm E mount

中将姫光学から焦点距離の短い無銘のペッツバールレンズの改造依頼。 刻印が全くないので年代もメーカーも不明ですが、19世紀にはそれが普通だったようです。カメラに取り付けて販売されることが多く、カメラの方にだけ名前を書けばよかったためだと思います。

p2p1

普通のペッツバール型レンズです。

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EOSマウントではバックーフォーカスが足りなそうなので、Sony Eマウントに改造。ネジのピッチが違うので少ししかかみあいませんが、一応ちぇんとくっついています。

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この辺が無限。   焦点距離を測ってみたら約70mm F2.3。これならぎりぎりEOSマウントに改造できそうです。

SUMMAR 2/50mm

Summar f=5cm 1:2 No 199237

1934年(昭和9年)に製造されたレンズ。これも中将姫光学さんからの借用品。IIIcsummar

私のSummarはレンズ前面の拭き傷が原因でぼんやりした写りです。しかし、借用したこのレンズは傷もなく大変クリアな写りをします。ただし、一番後ろのレンズの内側がかなり曇っていました。曇っている状態でもフィルムだとよく写ったのですが、多分デジタルだと問題になると思い、分解清掃。(中将姫さん、勝手に分解清掃してすみません。事後報告です)その結果すっかりきれいになり、完ぺきな描写が期待できます。

沈胴Summarは直径約0.8mmの小さないもネジで組み立てられています。一番後ろのレンズを外すには、ます平先イモネジを一本抜きます。

続いて、沈胴レンズを引き出した時のストッパー金具をはずし、その中のレンズをコンパスで引き抜きます。これが非常に硬くて回らない。専用のレンチがあればいいのですが、コンパスだと苦労します。

これでやっとレンズの内側がはずせましたので、拭いて元に戻します。このイモネジは細いので無理に力を入れて回すと頭が折れてしまいます。折れると抜き出すのが大変です。私も実際折ってしまい、よく写らない私のSummarのネジを流用しました。

ネジの頭が折れる原因は、このネジの小ささです。あまりに小さくて1mmのマイナスドライバーの頭にうまく乗せることができず、落としてばかり。変なところに落とすと探すのが大変。穴に入ったと思って慌てて締めると折れます。

イモネジがうまく入らず悩んだ結果、いい方法を思い付きました。ドライバーの先にちょっとだけ合成ゴム系の接着剤を付けておくのです。そうすると、ドライバからネジが落ちず、スムーズに締められます。

 

Leitz Elmar 3.5/50mm

中将姫光学さんに借りたElmar 3.5/50mm。ゲルツのガラスを使った旧エルマーと言われるレンズです。レンズ交換式になる前のレンズのようで、シリアルナンバーの刻印はありません。

elmar1

まだモノクロネガを一本撮影しただけですが、非常によく写りました。そのうちデジタル(NEX-5N)でも使ってみたいと思います。

バルナックのストラップ

お借りしたLeica 14428にはストラップ用の金具は付いているのですが、(Leica 4764には金具がついていない)、ストラップはついていません。カメラをさっとポケットから出して、さっと撮影して、またポケットにしまう、というのをやってみたのですが、沈胴のレンズを伸ばしたままだと結構不便ですし、落下の可能性も高い。そこで、ストラップを作って、みました。

strap

材料は、革:90cm x 2cm、細い紐:50cm

これをボンドでくっつけて、二本針で手縫いすれば完成。

厚手の革を縫う場合、菱目でしっかり穴をあけることが重要です。このように距離は短いが強度が必要な場所には二本針が適しています。

一般には強度が必要ないところは一本針の方が縫う速度が速いと言われていますが、私の場合には二本針の方が速いようです。一本針だとどうしても糸が絡まったり切れたりするトラブルが発生し、それを解決するのにずいぶん時間がかかります。二本針は確実に締められますし、トラブルが起こりにくいです。

菱目で穴があけられれば、厚い革を手縫いするのはそれほど難しくありません。穴に糸を通して綴じていくだけです。ポイントは良い(高価な)糸を選ぶことです。安い(撚りの弱い)糸を買うと、縫っている間に撚りが緩んで、針から糸が抜けてしまったり、切れてしまったりしてトラブルの原因になります。

 

Leica No 14428

中将姫光学さんからもう一台バルナックライカをお借りしました。製造番号14428、1929年製造のI型です。

leica3 leica32

後にライカ社で連動距離計とスローガバナが追加され、III型に変更されています。距離計の上面に製造番号が象嵌されています。

この距離計には視度調整レバーがついており、上げると老眼用、下げると近視用になります。視度を合わせるとかなり見やすくなります。もちろん老眼鏡をかけたまま距離計を見ることもできますが、今度は右側のファインダーが見にくくなるので不便です。

Leica No 4764

leica2

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ライカの製造番号表を見ると、

Serial Number 2466-5433 Leica I 1926-27

と書いてありますので、 中将姫光学さんから借りた4764番は1927年製造のLeica I型であると分かります。かなり初期型ですね。その後、ライカ社で連動距離計を追加し、距離計の上面に製造番号を刻印しなおしたようです。leica23

大変よく使い込まれていますが、動作はスムーズです。現像結果が楽しみです。

RERAPAN 100-127銀塩プリント

かわうそ商店のベスト判白黒ネガフィルムRERAPAN 100-127のネガを見たとき、粒状性も諧調も気に入らなかったのですが、試しに銀塩でプリントしてもらったところ、ほぼ完ぺきなプリントができてきました。キャビネサイズの半光沢紙にフジフィルムの標準的な機械プリントをしてもらいました。

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ネガを直接見ると目立つ粒状性の悪さ、諧調のなさ、などの欠点は消えて、なめらかなプリントになりました。

 

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拡大するとこんな感じです。やはり、ネガフィルムは銀塩プリントした時に良くなるようになっているので、プリントせずに評価をしてはいけないようです。

古い白黒ネガに残った写真を、新たに写真集として出版する時、直接ネガをスキャンするより、銀塩プリントした紙をスキャンするのだそうです。この例で、その理由がよく分かりました。

しかしながら、今ご覧いただいた写真はデジカメで複写したものであり、実際のプリントよりはかなりアラが目立ちます。人間の目はデジカメほどには細かいところが見えないせいだと思います。

銀塩プリントという化学現象を画像編集である程度再現することはできます。単にボカシをかければいいようです。ですから、銀塩のフィルムまたはプリントをデジカメで複写してそのままWebに載せるのは無理があるようです。ボカシなどの必要な画像処理を行ってからWebに掲載した方が実際に近いと思います。

ねえ、私に集中して

チャラの歌詞でもうひとつ印象的だったのは、

「ねえ、私に集中して」

です。今まで何故怒られているのか分からなかったことが多々あるのですが、理由は多分これですね。私には「私に集中してほしい」という概念がありませんので、意味が分からなかったんだと思います。言葉の内容とか態度よりも「集中」が大切なんですね。参考になりました。

永遠とはいけないこと

チャラのCDを何枚か聴いたところ、二カ所ほどすごいなあと思う歌詞がありました。

「永遠とはいけないことでしょ!」

最近、永遠を望むのはいけないことだと思うことが多いのです。盛者必衰。必要なのは永遠ではなく、世代交代。チャラはえらい。

ところが、ネットで歌詞を検索すると、正しくは、

「永遠とは逃げないことでしょ?」

だそうです。これは全然違いますね。なんか生臭い感じですね。

CC Harrison

C.C Harrison New York 9650

中将姫光学から改造依頼のあったC.C. Harrison社のペッツバールレンズ。製造番号から1863年(文久三年)頃にニューヨークで製造されたと分かります。

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非常にきれいな刻印です。

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普通のペッツバール型のレンズです。ラックアンドピニオンギヤが今でもスムーズに動きますので、これでピント合わせできます。今回はヘリコイドを使わずにEOSマウントに改造しました。

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部品はジャンクのレンズから取り出したEOSマウント付の筒と、アルミのアングルから切り出した小さな金具3個。

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これらをビスで接続して改造完了。

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最後にアダプタ部分に化粧革を巻き、革でキャップを製作。左手でピント合わせができるように調整しました。

はちきんガールズ

はちきんガールズは高知出身のアイドルグループ。高知県の野球チームのチアグループのなかから「はちきん」に選ばれた4人が上京しアイドル活動をしているそうです。高知県観光特使なので第一回ご当地「鍋」フェスティバル で歌う合間に「はちきん鍋」の宣伝。

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高知県をはじめ各県は東京での観光キャンペーンに熱心で、毎週たくさんのイベントが開かれています。原宿表参道元氣祭 スーパーよさこいにはミス高知が派遣されますが、交通費もバカにならないので、東京在住の高知県観光特使が活躍。なにより、すぐ隣の小音楽堂でのステージの空き時間に活動できるので、効率的です。

いまだ高知には(というか四国に)行ったことがありませんので、一度行ってみたいと思います。

東京府のマボロシ

東京府のマボロシ という本が12月12日に社会評論社から出版されます。その中で日本モダンガール協會の会長の淺井カヨさんが「郵便受に咲く花のやうに ─モダンガールとその時代の追體驗─」と題する特別寄稿をされています。その中で私が江戸時代のレンズ(1851年と1861年製造)で撮影した写真を掲載して頂きました。

Leica III

中将姫光学さんからもう一台バルナックライカIII(Summar付)を借りました。スローシャッターが付いています。

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こちらにはTMAX100を入れました。一眼レフしか使ったことがないので、まずはレンジファインダーでの距離合わせを練習しなければなりません。

Leica II

中将姫光学さんから旧エルマー付のLeica IIをお借りしました。保護用に黄色いフィルターがついています。白黒ネガフィルムで撮影しようと思います。

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私はバルナックライカはもとより、M型もRも使ったことがありません。製造年など、詳しいことは未調査。中将姫光学さんにフィルムの入れ方を教わって、TMAX400を入れました。ぼちぼち使ってみたいと思います。

老眼鏡のストラップ

近眼の人はずっと眼鏡をかけているのでストラップはいらないようですが、老眼鏡は頻繁にかけたりはずしたりするのでストラップが便利です。

最初、百均で眼鏡ストラップを数本買って試したのですが、どれも細すぎていまいち。その後USBケーブルを改造したのですが、眼鏡との接続ゴムが百均のものだったので、ちょっと引っ張るとすぐ切れる。通販でゴムのチューブに眼鏡のツルを押し込むタイプを発見したのですが、デザインがいまいち。

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そこで思い付いたのが、このゴムチューブ。直径約7ミリ。子供の頃、ゴム銃で使ったあれです。ホームセンターで1mあたり250円くらい。50cmくらいあれば足りますので、安いです。抜け落ちることも、切れることも、からまることもなく、今のところ順調です。

127白黒ネガフィルム

127(ベスト判)白黒ネガフィルムでの写真の撮り方がやっと分かってきました。要点は以下の三つ。

1.好みに合ったフィルムを使う

2.良い現像条件を見つける

3.良いレンズを使う

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京都二年坂にて。カメラ:Nacht Exakta、レンズ:Dallmeyer Super-Six 1.9/75mm、フィルム:efke R100-127

11月23日は三連休の真ん中で、紅葉の盛りの京都はものすごい人手。二年坂の途中での撮影は結構迷惑なので手早く済まさねばなりません。左側の通行人が切れるのを待ちたかったのですが、結局待ちきれず。

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京都二年坂にて。カメラ:Nacht Exakta、レンズ:Dallmeyer Super-Six 1.9/75mm、フィルム:efke R100-127

efke R100-127はほぼ満足のいく結果を得ることができました。現像はアートラボの機械現像。

一方、ReraPan 100-127の方は10本撮影しても、ついに好みの画像を得ることはできませんでした。rx8

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カメラ:Nacht Exakta、レンズ:Schneider Xenon 2/8cm、フィルム:ReraPan 100-127

フィルムのせいか、現像のせいかは分かりませんが、粒状性も諧調も好みではありません。カメラと撮影方法はefkeの時と同じ。

念のため、両方のフィルムを購入した「かわうそ商店」に問い合わせてみたところ、次のような丁寧な回答がありました。

○ 同じカメラで撮影し、自家現像してみた経験上RERAPANが劣るようなことはなかった。粒状性ならびに階調に大きな差が出るのは腑に落ちない。他のRERAPANユーザーの評判は良い。

○ フィルムベースが透明系のefkeに比べ、多少色のついているRERAPANはスキャナーによっては幾らか分が悪い。

 ○ モノクロフィルムは撮影時の露出や現像液、現像条件により同じフィルムでも出来上がりが大きく変わる。

結論は、efkeのフィルムをアートラボで機械現像してもらえば好みのネガができる、ということになりました。自家現像をしたいところですが、それは後の楽しみに取っておきたいと思います。

 

アジェ・フォト

アジェ・フォトは昔の写真家の作品を見るのに便利です。日誌に書くためジュリア・マーガレット・キャメロンのことを調べる途中でこのサイトを見つけました。

キャメロン、ナダール、マイブリッジ、ケーゼビア、べロックなど、19世紀末から20世紀初頭の写真家が面白いです。1900年頃にはコダックがブローニーフィルムを売り出したようですが、プロの写真家はまだしばらく乾板を使ったようです。

写真集が欲しくなるのですが、どれも高価で重そうなので躊躇します。アジェ・フォトにはyoutubeの動画へのリンクがたくさんあります。最初はyoutubeで写真をみるのはどうかと思ったのですが、見出すとなかなか分かりやすい。マイブリッジの連続写真はyoutubeでは見事に動画化されています。今や写真はyoutubeで見る時代になったのかもしれません。

大磯宿場まつりの白黒写真

大磯宿場まつりでベスト判の白黒フィルムで撮影した写真を少し説明します。撮影機材:

Camera: Ihagee Nacht Exakta
Film: efke R100-127
Lens: Schneider Kreuznach No 870382 Xenon f:2 F=8cm D.R.P.

oiso2JR東海道線の大磯駅から徒歩10分ほどのところに、旧東海道の松並木が残っています。ここに近隣の方が店を出して宿場祭りを盛り上げています。三年ほど前までは仮装行列があったようですが、二年前に初めて行った時には、高齢化のため行列は中止になり、その場で仮装するだけになったそうです。今年は天気予報が雨だったせいもあり、仮装する方の数が減ってしまい残念でした。一昨年と昨年撮影させて頂いた写真を2Lサイズにプリントして差し上げたところ、店の暖簾に張り付けて頂きました。

同級生の方々で店を出しておられそうで、とても楽しそうでした。昭和10年に製造されたカメラに白黒フィルムを入れて撮影すると言うと、にこやかに整列して頂きました。実家の古いアルバムに貼られた古い白黒写真の中の整列の仕方に似ています。

oiso3 着物姿で働く奥さんにモデルをお願いしたところ、快く引き受けた頂きました。現代の物があまり写っていないのでよかったのですが、左側の旗の字が読めないので何を売っておられたのかは不明。なかなか繁盛していました。

この写真は北東を向いて太陽を背にしているので順光なのですが、明るい空が入っているので、かなりフレアが出ています。この条件ではデジカメ+古いレンズでもやはりうまく写りません。スマホで撮影しても同じだと思います。戦前のカメラで良く写る光線状態であれば、今のカメラだと必ず良く写ります。

oiso1紋次郎さん。三年前に品川宿場祭りで知り合って、大磯宿場祭りを紹介して頂いた方です。自前の衣装で各地の祭りなどに参加しておられます。笠をかぶると顔が暗くなってしまうので、少し笠を上げてもらっています。フレアが出て画面中央が白っぽくなっていますが、顔が明るくなってちょうどよかった例です。

紋次郎さんは若いころから江戸時代の衣装を研究しているので本格的です。気軽に記念撮影に応じて頂けるので、大変な人気です。

馬車道の白黒写真の説明

ふだん http://www.ksmt.com/ に大量にレンズ毎の作例を掲載していますが、写真の説明はほとんどしていません。写真を見て頂ければ描写は分かると思いますので、説明文を書く暇があったら一枚でも多くの写真を掲載しようと思っています。

ブログは一般に写真一枚ずつ説明するのが普通ですので、たまには普通に説明してみたいと思います。

Camera: Ihagee Nacht Exakta
Film: efke R100-127
Lens: Schneider Kreuznach No 870382 Xenon f:2 F=8cm D.R.P.

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午前10時半に馬車道駅付近に行ったら、すでに鹿鳴館時代の衣装を着た方々の撮影会が始まっていました。最初はカメラマンで混雑していましたので、Nacht Exaktaで撮影することはできません。上からファインダーを見る関係上、カメラをお腹のあたりまで下げなければなりません。このため、列の一番前に出なければなりません。カメラを上下さかさまにして頭上に差し上げる方法を試してみましたが、これはかなり危険だし、ピント合わせ困難なので、やめました。

この写真は人物もバックも日陰のため、普通に描写されています。ビルが高いので、前方に全く空が入らず、完全な順光条件になっています。ピントもまあまあで、今までNacht Exaktaで撮影した写真の中では、一番まともに写っています。

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Nache Exaktaで縦位置の撮影は困難です。左右逆像のため、横位置でもうまく水平になりません。縦位置だと上下逆像になり、さらに水平が保てなくなります。縦位置ではピント合わせできないので、まず横位置でピントを合わせて、後でカメラを縦にして撮影しています。その時、ちょっとピントがずれたようです。

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バックに明るい空があり、逆光になっています。今のカメラだとまったく問題ない条件ですが、昭和10年当時のレンズでは問題になります。逆光なので、より昔風の写真に見えるともいえます。この写真は白黒フィルムで撮った写真の中で最も昔の雰囲気が出ていると思います。

画面中央に白っぽいフレアが出ており、コントラストが低下しています。レンズに深いフードを取り付ければ多少改善されると思いますが、この写真は場合には明るい空が直接画面に入っているので、多分完全にはフレアは取れないと思います。もうちょっとカメラを右に振って、直接空が入らないようにすれば、フードがよく効くと思います。ただし、このレンズに合うフードはないので、手作りになります。その時、カメラの外観を損ねないようにするのが難しです。

タスキをかけているのが横浜観光親善大使で、それ以外の方は公募で選ばれた方だそうです。撮影会の後も馬車道付近を歩いておられますので、別に急がなくても、ゆっくり撮影できるようでした。

 

電力の歴史 平岩外四

「ところが、その木川田の後継者である平岩外四が東電、財界の実権を握るようになったとたん、通産省に力を貸し、木川田があれほど死守してきた原子力の主導権を、簡単に通産省に譲り渡してしまうのである。平岩が東電の社長になったのが1976年、その翌年の77年に木川田は亡くなっている。これはどういうことなのか。あきらかに平岩は木川田とまったく逆の道に踏み出した。当時の時代背景を考えれば、平岩の方針転換の理由はわからないでもない。1973年のオイルショック以降、石油問題は、経済の問題を越えて政治的なものとなり、民間企業の手に負えるものではなくなっていた。しかも石油に代わるべく電力会社が通産相としのぎを削って導入した原子力はトラブル続きで暗礁に乗り上げていた。」(電力と国家から引用)

オイルショックのことは覚えています。ガソリンの値段はどんどん上がり、今とほぼ同じ値段になりました。当時の日本の経済成長は著しく、電力消費量はうなぎのぼりでした。工場は増産を続け、家庭にはカラーテレビ、冷蔵庫、洗濯機などが普及しました。電力はもっとも大事なエネルギーとなり、何としても停電を防がなければなりませんでした。中東の石油に不安がある以上、悪魔に魂を売ってでも原発を推進する必要があったようです。今となっては悪魔に魂を売ったことが悔やまれますが、そのおかげで、停電することなく日本の産業が発展を続けることができたのもまた事実だと思います。

電力の歴史 政治献金廃止

「木川田は、1976年に会長を辞めるまでに、福島第一原子力発電所の二号機、三号機を完成させ、福島第二原子力発電所の用地買収にも自ら先頭に立って精力的に関わった。このときの木川田には「企業の社会的責任」を全うするという以外に邪念はなかっただろう。」(電力と国家から引用)

「たとえば木川田は、1974年夏に、「たとえ自民党がつぶれても、東京電力をつぶすわけにはいかん」と言い切って、企業としての政治献金を廃止した。石油ショックのあおりで、この年の6月、東電は13年ぶりの値上げをした。参議院議員の市川房枝が、政治献金は違法という民事訴訟を起こそうとし、献金反対に絡んだ「電気代一円不払い運動」が広がり始めていた。木川田は、考えた末に、政治献金を廃止することを決断し、社長の水野久男と常務だった平岩外四を呼んだ。」(電力と国家から引用)

「松永、木川田らは、GHQの威を借りてまで日発を解体し、民間による九電力体制を発足させた。それ以来、電力国管の悪夢を二度と蘇らせまいと、国家の介入を極力排除し、電力会社の自立、独立に全精力を傾けてきた。」(電力と国家から引用)

電力の歴史 福島

木川田には原発が悪魔だという認識があった。「だからこそ木川田は、「努力の道標」として、自分の故郷に原発を持ってこようとしたのではないか。それが悪魔的な代物だからこそ、いい加減な官の手に任せず、民間企業の責任で危険を管理していくのだという思いがあったのだはあるまいか。自分の故郷に原発を建設したのは、その覚悟の表れであったと見るのは、甘いだろうか。」(電力と国家より引用)

「じつは、最初に「福島県の大熊、双葉あたりに、将来有望な産業を誘致したい」と木川田に持ちかけたのは、当時衆議院議員だった木村守江である。大熊、双葉町のあたりというのは、県内でもとくに貧しく、人々の生活は停滞していた。町長たちからせっつかれる形で木村が木川田に相談を持ちかけたのだ。」(電力と国家から引用)

木川田は福島県梁川町(現伊達市)の医師の家に生まれる。木村の家も代々医師で、同郷で同業の家計に木川田とは親しかった。木村の産業誘致の相談に、木川田は「原子力発電所はどうか」と即答し、木村は原発誘致に乗り出した。経済効果があるので票につながると胸算用したに違いない。

昭和36年、東電は大熊、双葉町に原発建設を決定。その時、木川田は東京電力の社長に就任していた。

 

電力の歴史 木川田一隆

大正15年、東大を卒業した木川田一隆が東京電燈に入社。当時、東京電燈は松永安左エ門率いる東京電力に仕掛けられた攻撃に戦々恐々の状態だった。木川田と松永は敵対関係にあった。

戦後松永が復帰すると、関東配電常務だった木川田が松永に賛同し、松永をフォローする。「電力をもって国を興そう」としていた松永を支えた。

東京電力の副社長だった木川田一隆は最初原子力政策に反対だった。昭和29年、中曽根康弘が奔走し、国会で初の原子力予算が可決。同じころ、第五福竜丸が水爆の死の灰を浴びる。まだ広島・長崎の原爆から9年しかたっておらず、原発反対運動が起きる。木川田は当然原子力導入を断固拒否。

ところが、木川田は突然豹変し、原子力発電の開発のための体制づくりを指示。戦前、松永とともに繰り返した国家との戦争が、戦後には原発を巡って再発。「原子力開発は挙国一致で」という河野一郎の主張は戦前と同じだった。木川田は国家に自由を奪われた暗い時代に逆戻りはできないと、決戦にのぞむ覚悟をきめた。

電力の歴史 河野対正力

1955年、東京電力に原子力発電課新設。大型発電用原子炉導入の動きが活発になる。

「その当時、原子炉の受け皿をどこにするか、政府内で対立が起こった。原子力委員長の正力松太郎は、迅速かつ柔軟な対応が可能な民間の企業を受け皿にすべきだと主張し、経済企画庁長官・河野一郎は、まだ不安定要素が多い原発は、国家機関で慎重に行うべきだと主張していた。正力には、自分が作った日本テレビの普及のために、民間の電力会社に原発を導入させ、速やかなる形で低廉で豊富な電気が欲しかったのだ。(中略)河野一郎にいう、原発の受け皿になる「国家機関」とは、かつて松永安左エ門と共に、苦労して解体に追い込んだ「日本送発電」を母体にした「電源開発」だったからである。電源開発とは、日発解体後、九電力体制がまだ発足したばかりで力弱かった頃、通産官僚たちの巻き返しで生まれた国策会社である。この原子炉導入をめぐる攻防は、民に奪われた電力の主導権を再び国家のものにせんとする、まさに官僚の仕掛けた「遺恨試合」でもあったのだ」(電力と国家から引用)

「河野対正力の対決は、河野に電力会社が「届け物」をしたことで、あっけなく手打ちとなる。「届け物」とはもちろん金である。」(電力と国家から引用)

その結果、民間が原子力発電の主導権を握り、民間80%、電源開発から20%出資して日本原子力発電が設立された。

 

 

 

電力の歴史 値上げ

昭和26年、九電力会社がスタート。政府は昭和28年までの二年間の電力需要増加を3%を想定し、2521億円の資金を投じて96万8千キロワットの電力開発を行う方針を打ち出す。しかし、松永は増加率を8%に想定し、7848億円を投じ722万キロワットの電力開発を行う案を提示。松永はまず日銀総裁の一万田尚登を説得。3%では日本の経済復興は期待できない。米国で電源開発資金について話し合う時には8%を主張してほしいと依頼。

問題は九電力会社の資金力。渇水問題と石炭の入手困難で停電対策に追われていた九電力会社には金がなかった。松永はまたしても政府、国会、消費者、産業界と真っ向から闘う。適正原価にもとづく採算可能な電気料金の算出を電力各社に要求。この結果、値上げ率は平均76%。これに対し、庶民もメディアも一斉に猛反発。GHQも困惑し、値上げ幅を30%に下げて昭和26年8月に値上げ実施。翌昭和27年5月に再度平均28.8%の値上げ。

日本の産業も消費者も、結局大幅な値上げを消化することができ、電力会社の財政好転。高度経済成長による電力需要の激増に対応でき、日本の経済の発展を支えた。

電力の歴史 GHQ

昭和24年、GHQの要請により「電気事業再編成審議会」が設置され松永安左エ門が会長に就任。「過度経済力集中排除法」により、日本発送電解体し、電力事業の再編成を行う。当時、日本電気産業労働組合は送発電事業の全国一元化、日発は全国一社案、九配電は民営化を前提とした地区別発送電(戦前、政府の統制下で配電事業は九社に統合されていた)を主張。片山哲内閣は全国一社案を提示したがGHQに黙殺された。

GHQは米国から専門家チームを招いて解決を図る。オハイオの電力会社の元社長のT・O・ケネディーが中心となり、送発電分離の「全国七ブロック案」を作成。これに対し、松永は送発電一体の「全国九分割案」、すなわち現在の九電力体制である。

松永はまず大蔵大臣池田勇人を説得。池田が通産相兼任となり、九分割案の実践を決断する。しかし、GHQが反対し、折衝は難航。松永が会長の電気事業再編成審議会も松永案に反対、ジャーナリズムも反対、国会も反対。

松永はついにT・O・ケネディーを説得。国会審議ではなく、GHQが「ポツダム政令」によって送発電一体の「全国九分割案」を政府に命令。

 

電力の歴史 電力国家管理法

昭和13年、電力国家管理法成立。東邦電力の松永安左エ門と日本電力の池尾芳蔵は最後まで頑なに反対したが、軍部と革新官僚に押し切られる。昭和14年国営電力会社「日本発送電株式会社」(日発)発足。

昭和14年は雨が少なく、水力発電が主力だった日発は致命的な打撃を受けた。親方日の丸の日発は水不足に備えて、火力発電用の石炭の確保をしていなかった。送電停止、停電が相次ぎ、阪神工業地帯の工場主は休業をやむなくされた。

政府への非難が高まると、国家総動員法を使い「電力消費規制」を発動。異を唱えるものは「非国民」として弾圧。民間の電力消費を制限し、兵器製造に優先的に電力を供給。一家に許される電球は一個のみ。

松永安左エ門引退。大蔵大臣や大政翼賛会総裁などの誘いをすべて断る。

電力の歴史 松永安左エ門

太陽光発電のことを調べる中で、「電力と国家」(佐高信著、集英社新書)を読んだところ、日本の電力の歴史が書かれていました。抜粋して紹介したいと思います。松永安左エ門がこの本の主人公です。

松永安左エ門は明治八年、海運業を営む豪商、二代目松永安左エ門の長男として生まれる。福沢諭吉の「学問のすゝめ」を読んで感激し、父親の反対を押し切って慶應義塾に学ぶ。福沢諭吉の朝の「散歩党」に加わり、師の言葉に耳を傾ける。「福沢の門下生は数多いが、福沢精神を体現した門人の筆頭は「電力の鬼」松永安左エ門だと私は考える」(電力と国家より引用)

父親が亡くなると故郷で三年間家業を継ぎ、また慶應に復学する。しかし学校がつまらなくなり、社会に出る。三越の売り子、日本銀行入社、石炭販売などの事業を行うが、不良石炭山をつかまされ、無一文に。

明治12年、エジソンが白熱電球の実用化に成功。明治16年日本で最初の電力会社東京電燈設立。日清・日露戦争の好景気で明治40年ごろには、全国で100社以上の電力会社が乱立、競争が激化。明治41年、松永安左エ門が電力にかかわる。

広滝水力発電の監査役、福博電気軌道の設立、名古屋電燈の再建、関西水力電気を合併し関西電気を発足、九州電燈鉄道を統合し東邦電力を設立。子会社東京電力(今の東京電力とは無関係)を使って東京に進出。東京電燈と激しい覇権争い。

「昭和に入り、革新官僚たちの「電力国有化」論が台頭してくると、松永の敵は官僚たちへと鮮明に切り替わる。松永の人生の中で、このときほど官に抗する福沢諭吉の精神を体現し、自らを奮い立たせたときはなかったのではあるまいか。「国有化されれば、「自由な企業家精神は死ぬ」と、電力国有化反対の立場を貫いたのだった。」(電力と国家より引用)

 

 

127フィルムの複写

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127フィルム複写用のマスクを作成。厚いボール紙に67mm x  44mm程度の穴をあけます。これで、ライトボックスからの不要な光を遮るとともに、カールしたフィルムを平らになるよう押さえつけます。三脚にPentax 67 MACRO 4/100mm+EOS 5D MarkIIを取り付けて複写をします。複写は手持ちでもできます。

手持ちなら50mmマクロレンズでも複写できますが、三脚に据えるとフィルムから距離が離れるので倍率が低すぎます。100mmだとちょうどよい感じです。無料で頂戴したPentax 67の100mmマクロが役にたしました。

efke R100-127フィルムのカール

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efke R100-127フィルムは現像後にこのくらいカールします。

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スリーブに入っていても、これくらいカールしています。ベースのフィルムの性質なのだと思います。同じ127フィルムでもReraPan 100-127はほとんどカールしません。

 

ksmt.com/blog開設

ksmt.comブログを開設しました。どうそよろしく。

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