電力の歴史 平岩外四

「ところが、その木川田の後継者である平岩外四が東電、財界の実権を握るようになったとたん、通産省に力を貸し、木川田があれほど死守してきた原子力の主導権を、簡単に通産省に譲り渡してしまうのである。平岩が東電の社長になったのが1976年、その翌年の77年に木川田は亡くなっている。これはどういうことなのか。あきらかに平岩は木川田とまったく逆の道に踏み出した。当時の時代背景を考えれば、平岩の方針転換の理由はわからないでもない。1973年のオイルショック以降、石油問題は、経済の問題を越えて政治的なものとなり、民間企業の手に負えるものではなくなっていた。しかも石油に代わるべく電力会社が通産相としのぎを削って導入した原子力はトラブル続きで暗礁に乗り上げていた。」(電力と国家から引用)

オイルショックのことは覚えています。ガソリンの値段はどんどん上がり、今とほぼ同じ値段になりました。当時の日本の経済成長は著しく、電力消費量はうなぎのぼりでした。工場は増産を続け、家庭にはカラーテレビ、冷蔵庫、洗濯機などが普及しました。電力はもっとも大事なエネルギーとなり、何としても停電を防がなければなりませんでした。中東の石油に不安がある以上、悪魔に魂を売ってでも原発を推進する必要があったようです。今となっては悪魔に魂を売ったことが悔やまれますが、そのおかげで、停電することなく日本の産業が発展を続けることができたのもまた事実だと思います。