電力の歴史 政治献金廃止

「木川田は、1976年に会長を辞めるまでに、福島第一原子力発電所の二号機、三号機を完成させ、福島第二原子力発電所の用地買収にも自ら先頭に立って精力的に関わった。このときの木川田には「企業の社会的責任」を全うするという以外に邪念はなかっただろう。」(電力と国家から引用)

「たとえば木川田は、1974年夏に、「たとえ自民党がつぶれても、東京電力をつぶすわけにはいかん」と言い切って、企業としての政治献金を廃止した。石油ショックのあおりで、この年の6月、東電は13年ぶりの値上げをした。参議院議員の市川房枝が、政治献金は違法という民事訴訟を起こそうとし、献金反対に絡んだ「電気代一円不払い運動」が広がり始めていた。木川田は、考えた末に、政治献金を廃止することを決断し、社長の水野久男と常務だった平岩外四を呼んだ。」(電力と国家から引用)

「松永、木川田らは、GHQの威を借りてまで日発を解体し、民間による九電力体制を発足させた。それ以来、電力国管の悪夢を二度と蘇らせまいと、国家の介入を極力排除し、電力会社の自立、独立に全精力を傾けてきた。」(電力と国家から引用)