電力の歴史 福島

木川田には原発が悪魔だという認識があった。「だからこそ木川田は、「努力の道標」として、自分の故郷に原発を持ってこようとしたのではないか。それが悪魔的な代物だからこそ、いい加減な官の手に任せず、民間企業の責任で危険を管理していくのだという思いがあったのだはあるまいか。自分の故郷に原発を建設したのは、その覚悟の表れであったと見るのは、甘いだろうか。」(電力と国家より引用)

「じつは、最初に「福島県の大熊、双葉あたりに、将来有望な産業を誘致したい」と木川田に持ちかけたのは、当時衆議院議員だった木村守江である。大熊、双葉町のあたりというのは、県内でもとくに貧しく、人々の生活は停滞していた。町長たちからせっつかれる形で木村が木川田に相談を持ちかけたのだ。」(電力と国家から引用)

木川田は福島県梁川町(現伊達市)の医師の家に生まれる。木村の家も代々医師で、同郷で同業の家計に木川田とは親しかった。木村の産業誘致の相談に、木川田は「原子力発電所はどうか」と即答し、木村は原発誘致に乗り出した。経済効果があるので票につながると胸算用したに違いない。

昭和36年、東電は大熊、双葉町に原発建設を決定。その時、木川田は東京電力の社長に就任していた。