電力の歴史 GHQ

昭和24年、GHQの要請により「電気事業再編成審議会」が設置され松永安左エ門が会長に就任。「過度経済力集中排除法」により、日本発送電解体し、電力事業の再編成を行う。当時、日本電気産業労働組合は送発電事業の全国一元化、日発は全国一社案、九配電は民営化を前提とした地区別発送電(戦前、政府の統制下で配電事業は九社に統合されていた)を主張。片山哲内閣は全国一社案を提示したがGHQに黙殺された。

GHQは米国から専門家チームを招いて解決を図る。オハイオの電力会社の元社長のT・O・ケネディーが中心となり、送発電分離の「全国七ブロック案」を作成。これに対し、松永は送発電一体の「全国九分割案」、すなわち現在の九電力体制である。

松永はまず大蔵大臣池田勇人を説得。池田が通産相兼任となり、九分割案の実践を決断する。しかし、GHQが反対し、折衝は難航。松永が会長の電気事業再編成審議会も松永案に反対、ジャーナリズムも反対、国会も反対。

松永はついにT・O・ケネディーを説得。国会審議ではなく、GHQが「ポツダム政令」によって送発電一体の「全国九分割案」を政府に命令。

 

「電力の歴史 GHQ」への1件のフィードバック

コメントは停止中です。