LE REVE EDITION JAMIN page 2

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Jean Jaminは19世紀の到来とともに生まれた。(誕生年不明のため、このような書き方になっているようです。一応1801年生まれとしてもいいと思います。) 1822年に71 rue St Martinに光学機器製造会社を発足。(21歳くらいですから若いですね) 顕微鏡と望遠鏡の製造を行った。写真術の発明にともない、他の光学機器造会社と同様に写真用レンズの製造の比率を上げた。The Light(1951)誌の広告を見ると製造販売した商品が良く分かる。

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JAMIN光学商 光学機器の特許を持つ。次のような製品を製造販売。

ダゲレオタイプ、顕微鏡、望遠鏡

パリ市 St. Martin通り, 127 (71番地から移転)

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1854年9月17日にPaysage-Portrait(風景・ポートレート兼用レンズ)を発売。1855年にCone Centralisateurレンズの特許No. 22670を取得。これはレンズ・ヘッドを改良して可変焦点化したもの。(風景用とポートレート用でレンズを取り付け方を変えて焦点距離を変える二焦点レンズ)

Cone Centralisateurレンズは20年にわたり、いろいろなサイズのレンズが製造された。1855年、スタジオ兼工房を13 rue Chaponに移転(実施にはアパートメント。(ホテルと書いてあるので、ホテルのビルの一室にスタジオがあったようです。今でも大きなホテルの中には結婚写真用のスタジオがあるように)。1856年、工房を向かいの14 rue Chaponに移転。工房でレンズを作って、筋向いのスタジオで撮影。(当時は写真屋とレンズ・カメラ製造業を兼ねる人が多かったようです。)

1856年、レンズの直径が38cmで、イメージサークル1.6mのレンズを製造。(巨大なカメラ用だと思います) 1860年、弟子?のDarlotに工房を譲り、スタジオで写真撮影に専念。(最初はJaminがスタジオで使うレンズを自分で作って、欲しい人には分けてあげたような感じだったようです。初期のJaminのレンズの性能が高いのは、そのせいかもしれません。)

「LE REVE EDITION JAMIN page 2」への2件のフィードバック

  1. なるほど。英語に翻訳するとHotelはHallになりますので、単に建物の名前のようですね。パリに行く機会があったら、探してみたいと思います。

  2. 前文のようなものだと思いますが、これだけでも読んでいて結構興奮します、
    コーン・サントラリザチュールが20年も作られ続けていたこと、ジャマンはダルローに経営権を譲った後に引退したのではなく、スタジオでの撮影をしていたことはとても興味深い事実です。

    オテルはもちろんホテルの意味ですが、フランス語には建物というような意味があります。
    フランスをレンタカーで旅していて、オテル・ドゥ・何とかとあったので、1泊いくらかと聞いたら泊まれないと追い返されたことがあります。
    ksmtさんが書かれたようにホテルの1室で商売していたかも知れませんし、そういう名前の建物というだけだったかも知れません。
    参照(8~11など)
    http://www.dictionary-french-english.com/ja/%E8%BE%9E%E6%9B%B8-%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E8%AA%9E-%E8%8B%B1%E8%AA%9E/hotel

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