日本モダンガール協會大會

7月19日、日本モダンガール協會の大會に参加。この会には日本モダンガール協會の会員が集まり、日本に於るモダンガール、またはその時代(大正末期から昭和初期)に関する発表を行った。私が発表したのは「写真レンズの歴史大正時代編」を掲載します。大會の記念写真を大正14年頃に製造されたディアドルフ8×10で撮影。残念ながら、こちらは非公開です。

写真レンズの歴史大正時代編

1、 日本光学: 日本光学設立の動機は1914(大正3)年8月に勃発した第一次世界大戦の影響に。それまでは輸入に依存度の高かった光学製品、特に光学兵器は他国に任せていたが、時の海軍は分散している企業と光学技術を結集することで光学兵器の開発と生産増大を促進しようと図った。そして、海軍とのつながりの深い造船所をもつ三菱合資会社の岩崎小弥太社長にその相談が持ち込まれた。軍の強い要請に応えて、三菱は光学工業に進出することを決意する。統合するメーカーは、東京計器製作所・光学計器部、岩崎硝子製造所・反射鏡部、藤井レンズ製造所

(カメラレビュー クラシックカメラ専科 No.53 ”50人のコレクターに聞く私の1題” 朝日ソノラマ刊(1999年12月発売)の中の矢沢征一郎氏が”最初期の民生用日本光学製レンズ2種”から引用)

2. 山崎光七 1905年(明治38年)に浅沼商会に徒弟として入社した山崎光七(1893-1989)は、指物師(当時は木製カメラを指物師が作っていた)からレンズ屋になることを決心する。そこで営業に頼んでツァイスに手紙を書いてもらう。「私は貴社のテッサー1類C型180mm F4.5が大変気に入っている。同じものを自分で作ってみたいので材料を送ってもらいたい」と書いた。営業の者はそんな馬鹿なことはないといったが、とにかくツァイスに手紙を送ってくれた。 半年も経ったであろうか、忘れたころにその現品が到着した。光七は鼻の穴を膨らまして、あらかじめ相談してあったレンズ屋の所に駆けつけた。レンズ屋がどのガラスが何番目か分からんというので、日本光学に順番を調べてもらったり、金物がうまくできなかったり、塗装で問題が出たり。

(写真工業2006年11月号、光学随想 2 山崎光七のコンゴーレンズ 尾関萬里著から引用)

コンゴーレンズが完成するのは昭和2年(1927)頃。これが契機となって輸入業者だった小西六も写真用レンズの開発を開始する。

3. 小原光学

小原甚八は海軍造兵廠で光学ガラスの試作に従事した。その後海軍は光学ガラス製造を日本光学に譲渡。昭和10年、蒲田に小原光学硝子製造所を設立。資金提供は服部時計店。レーダーの性能が向上するまで情報戦の主役は光学兵器。海軍に光学兵器を供給したのが日本光学工業、陸軍に供給したのが東京光学機械。小原光学硝子は東京光学機械が精工舎の測量機部門が独立したものだった関係から東京光学機械の光学ガラス供給源となった。

(「ミノルタかく戦えり」(神尾健三著、朝日ソノラマ)から引用)